亡くなった人には一生敵わないと誰かが言っていた。綺麗な愛おしい記憶のまま、色褪せることなくその人の心の中に在り続ける。
別に特別死にたい願望はないのだけれど、たまにふとした時に思うのだ。もし私がこの世から去ったら、その時は、私は彼の心の中に少しでも存在することができるのだろうか。
そんなことを思っていたせいなのだろうか。格上の呪霊というだけでもかなり不利な状況下の中で、相手の攻撃を避けるのが数秒遅れてしまった。
ぷしゃっと裂けた肉から真っ赤な血が噴き出すのを、まるで他人事のように見ている自分はやっぱり根っからの呪術師なのだろう。
傷口が焼けるように熱くて、声も出ない程の痛みに襲われていてもなお、頭の中を占めるのは大好きでたまらない彼ーー乙骨憂太だった。
一目見た時から、その全てに心を奪われた。
みんなが背後にいる忌々しい特級呪霊に殺気立っている中で、私だけがキラキラと輝く彼に夢中になっていた。
乙骨は優しかった。人を疑うことを知らない、思わずこっちが心配になってしまうくらいの善人。
ふわっと優しく笑うところも、少し怯えた表情も、焦って挙動不審になるところも、それなのにいざという時には頼りになるところも、全部全部大好きだった。全力で乙骨に恋してた。
「リカちゃんが羨ましいなあ」
「えっ。な、なんで?」
「だって、乙骨はリカちゃんのことが好きなんでしょ?」
少し遠回しの、告白、のつもりだった。
乙骨は少し驚いたような顔をして、そしてすぐに困ったように眉を下げて「ごめんね…」と小さな声で、でも確かに私にそう言ったのだ。
別に乙骨を困らせたかったわけでも、明確な返事が欲しかったわけでもない。ただ何となく、乙骨に私のこの気持ちを知っていてほしいと、そう思っただけなのだ。
でも冷静になって考えてみると、呪術師には到底似つかわしくないほどの善人な彼が、私の恋心を知って悩まないわけがない。これは自惚れでも何でもなく、乙骨憂太という人間はそういう性分なのだ。
「…なーんてねっ!冗談!ドキッとした?」
ぺろっと舌を出してそう言うと、乙骨は眉を下げたまま私の頭を優しく撫でる。
「僕は、希のことも大切なんだよ」
ずるいなあと思う。その優しさが、その眼差しが、不毛だと知っていてもなお、私の心を奪って離さない。
好き。大好き。リカちゃんに負けないくらい、私だって乙骨のことを愛しているのに。
「…ありがとう」
ぽつりと呟いた言葉が少し震えていることに、きっと勘が鋭い乙骨は気付いていただろうなあ。
かつ、かつ、かつ
此方に向かってくる呪霊にゆっくりと視線を向けるけど、瞼が重くて良く見えない。霞み行く視界の中で、特級呪霊の口角がにんやりと吊り上がり、掲げた手先にとてつもない程の呪力が集まっていくのが見える。このままほっといてもどうせ死ぬと思うけど、この呪霊はどうやら慎重型らしい。私に、トドメを刺すつもりなのだろう。
もう痛みすら感じない。ここまで、か。
死ぬ直前に好きな人を思い浮かべるなんて、私も大概乙女だなあ。嗚呼、でも。
これで、私も。綺麗な想い出のまま、色褪せることなく、乙骨の心の中に少しでも存在することができるのだろうか。そう思うと、これからくる痛みにも、死の恐怖ですら、何も感じない。あるのは、ただーー。
「……っ希!!!」
この声を、私は知っている。
でも、いつも飄々としていて、自信に満ち溢れているあの人のこんなにも弱々しく泣きそうな声を、私は知らない。
「っ…大丈夫だからな、希。もう少しで、硝子が来るからっ。そしたらこんな傷、すぐに治るからっ…」
「五条、先生」
「泣かないで」
ぽつぽつと大粒の涙が、私の顔を濡らしていく。
あの最強の男も、生徒の死を悲しみそして涙を流すこともあるんだなあ、なんて。そんなことをどこか他人事のように思いながら、私は意識を手放した。
▽
ゆっくりと意識が浮上していく。
まず一番最初に視界に入ったのは見覚えのある真っ白な天井で、自分があの状況下で助かったことに信じられない気持ちになった。恐るべし反転術式。家入さんは私の命の恩人だ。
ふと視線を感じて顔を隣に向けると、じっと私のことを見据えている五条先生がいて、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「え…五条先生…?」
「うん。五条先生だよ」
「お、おはよう?ございます」
「はは。うん。おはよう。希」
にっこりと微笑まれて、違和感しか感じない。
五条先生の目が全然笑っていなくて、なんとなく怒っているような気さえして冷や汗を垂らす。
え、なんで五条先生怒ってるの?もしかして私、意識手放す前になんか変なこと言った?それともあれか?1級術師のくせに特級に負けるんじゃねーよ的な??いや流石にそこまでの性悪じゃないと信じたいが、なんせ相手はあの“五条悟”だ。充分にありえる。
「希さ、」
「は、はい…」
「今、失礼なこと考えてるでしょ」
「え?!い、いやそんなことは」
「隠さなくてもいいよ。希の考えてることはだいたい分かるから」
目を細めて笑った五条先生は、私の頬を優しくなぞるように撫でて、その意図が読めずにじーっと五条先生の顔を見つめる。
「今、僕はね、ものすご〜く怒ってるんだ。なんでか分かる?」
「…特級呪霊を祓えなかったから?」
「はあ?そんなワケないでしょ」
眉間にしわを寄せたままぱちんとおでこにデコピンされて「い゛った〜っ……」とおでこを抑えたまま悶えていると、五条先生がふっと笑う。こんの鬼!キッと睨むけど、五条先生はそんな私を気にもとめずに話しはじめる。
「希さ、なんで格上の呪霊って分かった瞬間に逃げなかったの?」
「それ、は…」
「僕が特級を祓って希の元に駆けよったら、オマエ、笑ってたんだよ」
「えっ…」
「まるで死ぬのが嬉しいみたいに」
「……」
「ねえ希。それは、なんで?」
言葉がでずに俯くと、五条先生が「まあ、大体見当はつくけど」と呟いて え? と思わず顔を上げる。
「憂太のこと、そんなに好き?」
驚きすぎて、言葉がでない。
なんで、なんで五条先生が知ってるの?
乙骨以外、私が乙骨に向ける気持ちを知っている人は存在しないはずなのに。
まさか乙骨が?なんて一瞬思ったけれど、乙骨がそんな人ではないことくらい私が一番よく分かってる。
「なんで知ってるのって思った?」
“五条悟”の六眼は、心の中まで見透かしてしまうのだろうか。
「希が憂太のことを見ているくらい、僕も希のことを見ていたから」
「…えっ」
「僕、希のことが好きなんだ」
………
思考が完全に停止して、頭の中が真っ白になる。
あの五条悟が、私のことを、好き?
いやいやそんなはずはない。
確かに五条先生は私に優しい。大体がふざけているような人だしたまに度がすぎる悪ふざけもしてくるけど、それでもいつだって五条先生は生徒想いの優しい人だった。特別私を気にかけているとか、そんなことは今まで一度たりとも感じなかったけれど、あくまで生徒のうちの一人として、良くしてもらっていたと思う。
…ああ、なるほど、そういうことか。
五条先生があまりにも真剣な眼差しで私に「好き」なんて言うものだから勘違いをしてしまったけれど、つまり五条先生は、あくまで私のことを生徒として好きだと言ったんだ。なんて自惚れをしてしまったんだろう…恥ずかしい。
そんな私に、五条先生は少し苛立った様子でピシャリと言い放った。
「生徒としてじゃない。一人の女の子として、希のことが好きだよ」
「……え?え?」
「本当は、希が高専卒業するまで言わないつもりだったんだ。だけど…血塗れで倒れている希を見た時、僕、思ったんだよね」
「……」
「呪術師はいつ死ぬか分からない。未来の確証なんてどこにもない。だから、今、生きているこの瞬間を、大事にしなくちゃって」
「……」
「好きだよ。希。誰よりも、いつどんな時だって、僕は希のことを愛してる」
「っ…」
「希の意識が戻らない数日間、海外にいる憂太はそれはもう心配していたよ」
「えっ?」
思わずその言葉に嬉しくなってパッと顔を上げると、五条先生は不機嫌そうに頬を膨らませて、そんなあからさまに拗ねている姿に柄にもなくかわいいなあ、なんて思ってしまう。
「でも、憂太は、海外からこっちに戻ってこなかったよ。それなのに僕はこのクソ忙しい中、少しの時間を見つけては甲斐甲斐しく医務室に通い、いつ希が目覚めるのか分からないから、いれる時はずっと希の傍にいたんだ」
「え、えーっと…?」
「知ってる?女の子は愛すより愛された方が幸せなんだよ」
「は、はあ…?」
「つまり」
「つまり?」
「僕にたくさん愛される彼女になってみませんか」
ずるいなあ思う。大人のくせに、教師のくせに、弱っている生徒につけ込むなんて。でも、それでも。倒れている私をぽろぽろ涙を零しながら抱き締めている五条先生を見たら、私のことを好きだというその言葉は、嘘ではない気がする。それに、初めから気付いていたんだ。五条先生の目の下にうっすらとしたら隈があることに。年に数日休みがあればいい方。それくらい、日々多忙を極める人だ。そんな人が睡眠時間を削ってまで、私の傍にいようとしてくれた。そんなの、嬉しくないわけがないじゃないか。
「誰よりも愛して、誰よりも幸せにする。憂太の代わりにしたっていい。希の望むことだったらなんだってする。だから、お願い。僕だけの希になって」
五条先生は…五条悟は、大袈裟でもなんでもなく、呪術界にとって神様のような人だ。そんな人が、こんなにも縋るような眼差しで私を見つめて、自分のモノになってくれと願っている。こんなの、ずるい。ずるいよ…。
「…………乙骨を忘れさせるくらい、私を愛して」
そう言ってその唇に一つ、キスを落とした。
弱っているからすぐに絆されたんだと、どうか誰か笑ってくれ。
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