朝露に濡れる希望
ガラル地方 キルクスタウン
ポケモンアカデミー


街中に深々と降り積もる雪。
辺り一面銀世界に包まれ、まだ日中だと言うのに空を鈍い灰色が覆う中
淡いオレンジ色の灯りが辺りを照らし、積もった雪が光を透かして街を暖かく包み込んでいる。
憂鬱な寒空とは対照的な風景。
この街に住む人間ならば見慣れた光景だろう。

そんな日常の一部をアカデミーの6階の窓から眺め続ける少女が1人。
中の教室では道徳の授業が始まったばかりだった。


「人が楽しく平和に生きる為には、ルールが必要なんだ。みんなで作ったルールの中に、みんなで作った居場所を作って一緒に生きる。それはポケモン達と共に暮らす事でも大切な事なんだよ」


教師はこれからの未来を作っていく子供達を前に、諭す様に優しい微笑みを作って言葉を繋げていく。

「友達との約束や学校のルールなんかもそうだ。少し難しい話になるけれど、地方によってそれぞれ定められている法律も該当するね。だから自分勝手な行動はしちゃいけないんだよ。ルールに従って生きてる私達は、誰かがルールを破ってしまうとルールを守っている誰かが困ったり、傷付けてしまうことになるから」

わかったかな?と教師が生徒達に問いかけると、生徒達は揃って返事をした。
つまらなそうに返事をする子、そもそも返事をしない子、または元気に声を上げる子。色々だ。
アカデミー6年生とは言え、まだ12歳頃の幼い子供達。話の本筋を理解しているのか、していないのか判断はしづらいだろう。だが教師はそんなことはどうでも良いと言わんばかりに、先程までニコニコと作っていた表情を消してすぐに別の話へと話題を変える。


生徒達が各々テキストとノートを開いていく中、先程まで窓を眺めていた少女は視線を外界から外し、頬杖を付きながら呆然と教師を見つめている。

ただ淡々と話す教師の姿は、少女の目には口では優しい言葉を紡ぎながらも私達子供には理解を求めていないように見えた。



ーーーーーーーーー

「たっだいまー!!」
「おかえりなさいませ、お嬢様」

キルクスタウンの隅に存在する、豪華な屋敷に元気な声が響く。
此処はガラル地方発祥の財閥一族の家系が長年暮らし続けている屋敷だ。キルクスタウンの他にも各地方に親族達が屋敷を構えている。

ドタバタ、と効果音がつきそうな程慌ただしく帰宅する少女を向かい入れる数人のメイド達。それぞれの手には雑巾やモップと言った掃除道具が握られており、どうやら掃除の最中の様だ。
メイド達がせっせと磨き上げ、鏡の様に光を反射する大理石の上を少女は勢いよく駆けていく。
アカデミーでぼんやり授業を受けていた姿とはまるで別人だった。

遅れて屋敷の扉を潜った少女の付き人である執事は若干息を切らしながら少女を追いかける。
メイドや執事達が転んでは危険だと忠告するも少女の勢いは止まらず、長い廊下を一目散に走って行く。

「お嬢様!そんなに走られては危ないですよ!」
「もー!だいじょうぶだ、よ…っ!?」


漫画の世界ならズテーン!という擬音が確実に飛び出していただろう。少女はダイナミックに足を滑らせ、磨かれた大理石にお尻を打ち付ける。
コミカルな絵面だが、後頭部を打ちでもしたら笑い事では済まない。だが幸い、無意識のうちに咄嗟に身を守ろうと身体が反応したのか、頭は打ち付けずに済んだ。

「お嬢様…!」


少女を追いかけて来ていた執事は息を切らし、転んだ少女に駆け寄り、怪我の心配がない事を確認すると怒りと心配が入り混じった眼差しを向け「ほれ、だから言ったでしょう!」と少女を叱責する。だが当の少女は痛みに悶絶し声にならない悲鳴を上げ、床を転げ回っていて執事の声はまるで届いていない。

「いっったーい!!!」
「当たり前です!全く、打ち所が悪ければ死んでしまう可能性だって充分にあるんですからね!」
「絶対お尻にたんこぶ出来てるよ!お尻が3つに割れたらどうしよう…!」
「お尻は3つになりません!」


もう12歳になると言うのに、10歳にも満たないわんぱく小僧の様な反応をする少女に執事は呆れてしまう。
12歳の子供と言えば、丁度思春期初期を迎え始め、もう少ししおらしくなるものではないのだろうか?と自分の娘の幼い頃を振り返り疑問に思う。

そもそも少女は財閥一族の一人娘で、言わば財閥の跡取りとなる御令嬢なのだ。
その為、学校以外でも幼い頃から礼儀作法や経済学を学んでいるし、元来聡い子なので、同年齢の子達と比べれば多少落ち着きがあった方が不思議ではない。
だが当の少女は、何度注意されようとも礼儀作法のれの字も見えない程自由気ままに振る舞う。子供が素直に元気で居られる事自体は良い事なのだが、
本当に今のままで、この子や財閥の未来は大丈夫なのか、と執事は度々一抹の不安を感じて思わず溜め息を零す。

「溜め息つくと幸せが逃げちゃうらしいよ」
「…お嬢様。失礼ながら申し上げたい事が…」
「あ!早くリリーにご飯あげないと!」


この御令嬢の人の話を全く聞きかない落ち着きのなさと破天荒さは一体どこで身につけてしまったのか、付き人である執事は頭をかかえそうになる。
この子が産まれた時から世話係として付いているが、昔は今程ではなかった筈なのだが。
そう言えば、少女が初めてポケモンと接する様になってからだったような…と、執事は記憶の糸を辿る。

リリー、とは彼女が2年前の誕生日に父親からプレゼントしてもらったアブソルの事だ。
少女は随分とそのアブソルの事を可愛がっており、毎日片時も離れたくないと帰宅する度に一目散にアブソルの元へと飛んでいく。
そうして執事の話などものの3秒で忘れ、執事が呆けている間に少女は自室に居るアブソルの元へとまた駆け出して行った。


1人残された執事はまた一つ、溜め息を吐く。

執事の記憶では確かに2年前、リリーと出会う前の少女はそれはもう大人しい子供だった。  
時たま天真爛漫な部分の鱗片を見せていたが、今の様に振り切っている事もなく、礼儀作法を弁えたお淑やかな淑女そのものだったのだ。だがその反面、今の様に元気に年相応に振る舞う事も、楽しそうに笑みを見せる事も無かった。

親の抑圧で抑えられていたものが反動で出て来ているのだろうか。
ポケモンとの出会いが少女を変えたんだ。
今の少女には手を焼かされる事も多く、その分上司や父から叱責される事も増えたのだが、何はともあれ子供が笑って過ごせる事が良い事だ。

そう思案する執事の表情は、柔らかいものへと変化していた。

さて、お嬢様の様子を見てこなければと執事は再び脚を運び始める。
ポケモンとの出会いが自分を変える、若い頃の自身にも似た体験があったなと物思いに耽け、少女の変化を大切にしてやらねばと心に決めたのだった。


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