ラムネ


 溶けたアイスが手首を伝う。あ、と横目にそれを眺めながら特に何を言うでもなく、大和は最後の一口を口に放り込んだ。
 虎児の冷蔵庫の一番下を占領しているのは大和と琉生が買ってきたアイスだ。今年の猛暑のおかげで減りも早い。以前虎児が購入したあずきバーは二人がお気に召さなかったようで、それ以降虎児がアイスを補充する事はなくなった。

「あ、」

 やっと手首を伝う溶けたアイスに気がついた虎児が、残り半分のバニラ味のアイスバーを咥え、ベッドのサイドテーブルにあるティッシュを掴む。動いた拍子にポタポタと溶けたアイスがフローリングの床へと落ちて行く。
 舌打ちの音と共に虎児は腕を掴まれ床へと尻もちをついた。

「どんくせえ」

 引っ張られた拍子に咥えていたアイスが床へと落ちる。すぐに液状化しだしたそれは原型が無い。

「ご、ごめんね」

 機嫌の悪そうな大和に慌てて謝る虎児は、床に溶けたアイスよりも、目の前の子どもを気にかける。そんなおどおどとした男をじっと見つめた大和は、再度床に溶けたアイスを眺め口を開く。

「舐めて」
「え?」
「床に落ちたの、汚いだろ。舐めて綺麗にしろよ」

 何を考えているのか分からない黒い瞳がぼんやりと虎児を見やる。さも虎児が舐めて綺麗にするのが当たり前かのような口ぶりは、虎児を簡単に跪かせた。
 虎児は床に両手を付き、顔を近づける。ふわりと甘いバニラの香りが鼻をついた。
 頭上からの視線を感じるも、見えない圧で顔を上げる事はできない。虎児は小さく口を開き、その先にある生ぬるいバニラに舌を這わせた。
 虎児に羞恥はあっても、屈辱感は無かった。それで大和の機嫌が少しでも良くなるのなら安いものだった。
 ぺろぺろと床に舌を這わせ、もう白濁したバニラが無くなった頃、虎児はやっと体を起こす。すでに大和の興味はスマホの画面の向こうとなっており、虎児は少し寂しさを感じながらも、机の上にあるウェットティッシュでその床を拭いていく。ふとスマホの画面を見つめる大和に視線を上げると、やけに穏やかな瞳がそこにあった。
 ああ、ほんとに好きなんだなと先程のバニラよりも生温いものが体を這う。

「琉生来るって」
「……そうか」

 琉生のバイトが終わったのだろう。大和はやけに軽やかな足取りでキッチンへと向かい、冷凍庫を開ける。二本目のアイスを取り出した大和はアイスを銜えたまま、スマホの画面をタップした。
 大和が虎児のアパートに来て二時間弱。大和との二人きりの時間は滅多に無くて、この時間が永遠と続けばいいのにと虎児は願ってしまう。大和の心など、ここには無いというのに。

「おら、」

 やけに話の入って来ない夜のバラエティ番組を眺めていた虎児の唇にぬるりと冷たいものがあたる。それは爽やかで甘ったるいラムネ味。

「今度は上手に食え」

 体の芯がぶわりと熱く火照る。先ほど大和が口に銜えていたアイスだ。この歳で関節キスに騒ぐことはしたくないが、虎児にとっては大イベントに他ならない。

「ん、きた」

 大和は落ち着いているように見えるが、大和に尻尾が生えているとすればきっと大きく左右に揺れているだろう。
 錆びたようなチャイムが鳴ると、大和はアイスを持ったまま、その足は玄関へと向かう。
 暑さに溶けた声が玄関の方から聞こえた。

「お疲れ様」

 外はかなりの暑さのようで、琉生は汗で濡れた前髪をかき上げる。

「風呂借りる」
「うん、どうぞ」

 いつの間にか琉生が置いて行ったままの下着やスウェットは、クローゼットの中だ。その中に、大和のものは無い。

「まじで暑い。死ぬわ」
「琉生のバイト先、コンビニだろ」
「ここに来るまで、すげえ暑いんだって」

 大和は唸る琉生に野次を飛ばし、虎児のベッドに腰を下ろした。
 すると、不思議そうに琉生が大和を見下ろした。それ、と指を差した先には、先ほどのラムネ味のアイス。

「お前、ラムネ味嫌いだろ。珍しいな」
 その言葉に、大和は他人事のように反応を示す。ああ、そうだった。そんな事もあったな、なんて、自分の事なのにやけに他人行儀で、それが虎児は少し寂しい。

「なんか、食えるようになってるわ」
「ンだそれ」

 相変わらずだと琉生は呆れた視線を大和に返し、会話を切り上げ浴室へと向かう。

「……嫌いだったの?」
「あんま覚えてねえ」

 しゃりしゃりと音をさせながら、アイスを噛み砕く。
 三人の、初めての夏の事だった。


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