習い性と成る

 午前四時。小さな部屋に鈍い機械音が低く唸っている。それは男の厚い双丘の間をうねり、度々激しく突き上げた。
 その体が小刻みに揺れる度に、大きな体に似つかわしくないシングルサイズのベッドが悲鳴を上げる。
 ベッドに仰向けになり腰を浮かせると、腹にまで届きそうなほど反り返ったペニスから白濁した液体がどろりと垂れた。その色は薄い。
 声を押し殺し、顎を反り、絶頂に耐える。男の体はひどく痙攣している。その瞳は虚ろに、白い天井を見上げた。

 これではそういった類の病気だと診断されてもおかしくは無い、と汗や別の液体で濡れたシーツを洗濯機に詰め込みながら、窓から朝日が登るのを男は眺めていた。
 先程まで自分の中を突き上げていた、洗いたての紫の玩具が洗面台の片隅でその存在を主張している。あんなに大きなものが、さっきまで入っていたという事実に雲田春夫は、酷く腹の底が疼いて仕方がなかった。
 自慰を覚えたての学生じゃあるまいし、すぐに反応してみせる自分の体がいやになる。けれど、そんな体にしたのは悲しいかな紛れもなく自分自身だった。
 あと一時間後には車に乗り、出社しなければならない。
 春生はベッド脇のデジタル時計を確認すると、再び先程洗ったばかりのそれを手に取った。

 ***

 半袖では寒いとはいえ、日の照った車内は気温が上がる。
 時間ギリギリで慌てて車に乗り込んだのもあって、春生の額にはじっとりと汗が滲んでいた。
 早朝から何度も達した体はやけに浮遊感を覚え、会社に隣接されてある駐車場に到着し、白のSUV車を降りると僅かに足元がふらつく。
 明らかに、春生の例の日課は自身の日常生活に支障をきたしている。

 春生の働く会社は、小さいながらも郊外に自社ビルを持った建設関係の問屋だ。
 気温は低いが、半袖の体格の良い配達員の青年が額に汗を垂らし、春生に頭を下げ会社の倉庫へと入っていく。その肩には商品の入った丸く太い筒が二本担がれている。その青年よりも少しばかり背が高く、肉付きの良い春生もまた、額の汗を手の甲で拭い、会社へと入って行った。
 
 ここでの業務は主に三通りだ。営業、配達、事務。その中で春生は会社の隅でひたすら書類を作成している事務に回っていた。
 上司は春生を営業に回したがっていたが、本人が頑なに首を横に振った。自分は口下手で、そういった仕事で上手くいった試しが無いのだと、上司に頭を下げたのだ。そして入社当初に志願していた第一志望の事務処理に日々追われる事となった春生は、今日も窓際の一番日当たりの良い席に着いた。
 日当たりが良いと言っても、夏は暑く冷房も届きにくく、冬は寒く、暖房ももちろん届きにくい。それに今日はやけに日差しが強い。
 春生は椅子に座り、パソコンの電源を入れると藍色のスーツのジャケットを脱いだ。
 
「っす」
 
 首元でシャツをパタパタと仰いでいた晴雄の隣の机が小さく揺れた。同期であり小学生の頃からの幼馴染の手嶋が机に重たそうな鞄を置いたのだ。
 
「おはよう」
 
 鞄と一緒に置かれた弁当箱を包んだ、鮮やかなドット柄の黄色がやけに眩しい。
 
「今日は午後も回るからいいって言ったんだけど、子供のついでにだってさ。ついでだぜ?」
 
 幼馴染の視線が弁当へと向いている事に気がついた手嶋が、そう言って苦笑いをする。
 春生と手嶋の入社は同時期で、上司の意向により手嶋は営業の方へと回った。春生とは違い、昔から友人も多く、周りに人の絶えない手嶋にとって営業は天職とも言える。
 入社して半年も経たないうちに成績は右肩上がり。当たり前のようにその一年後には、営業先で出会った年下の女性と結婚し女の子を授かった。春生には、天地がひっくり返っても真似できる事では無い。
 
「よかったじゃないか」
「どうせ食えねえもん」
「そうなのか?」
「そーなの。もう出ないといけねーし。今日結構回るんだわ」
 
 いかにも高そうな腕時計に視線をやり、ため息をこぼす手嶋。春生は生まれてこの方、弁当は母親からしか貰った事は無いし、恋人もいたことが無い。きっと大好きな人が作った弁当は格別だろうと春生は想像するが、手嶋の反応を見る限りそうとは言い切れないようだった。
 電子音が鳴り、手嶋はスーツのジャケットの内ポケットからスマートフォンを取り出した。画面を見るなり、着信に出ることを止めたらしく、そのまま再び内ポケットへと入れ直す。手嶋はもう一度腕時計で時間を確認した。
 
「お前はちゃんと食えてんの? ろくに女も作らねえから、いつまでもでかいままなんだぞ」
 
 手嶋の手が少し汗ばんだ春生の頭を荒々しく撫でた。撫でる手を振りほどき、手嶋の言葉にむっとしてみせる。
 
「ったく、お前は相変わらずだよな、ずっと変わんねえ」
 
 再び手嶋の胸元で電子音が鳴る。
 
「出なくていいのか」
「大した事じゃないから大丈夫」
 
 また画面を確認するなり、手嶋はすぐにポケットへと仕舞い込んだ。
 
「じゃ、そろそろ出るわ」
「ああ。今日は直接帰るのか?」
「前川さんにも伝えてある。何かあったら電話しろよ、春生の電話は絶対取るからさ」
「……なんだそれ」
 
 笑いを含んだ晴雄に、つられて笑う手嶋。ふざけているだけだと分かっていても、春生には思いがけない甘い言葉だった。
 
 
 ―――春生は手嶋に三十年以上の片思いをしていた。
 
 想いよりも先に、その幼い体は反応した。
 友達は手嶋ひとりだけ、という春生の少年時代は何をするにも手嶋といっしょだった。新しく覚えた遊びや悪いこと。今思えば、自分の言葉を鵜呑みにし、楽しそうについて回る春生に手嶋は優越感を感じていたのかもしれない。
 手嶋は春生の知らないことを、全て教えてくれた。
 自慰を覚え、恋を覚えた。それが実ることは無いのだと、春生はすぐに知ることになる。
 同性に性欲が芽生えるのは「普通」じゃない。誰も口にしないけれど、それは当たり前の事じゃないんだと、当時中学生だった春生は痛感したのだった。今でこそ、同じ会社の後輩にゲイだと公言する子もいたし、一々それにとやかく言う人間もいない。関心が無いと言えば冷たく聞こえるかもしれないが、春生のいるこのコミュニティの中で、同性愛や性的マイノリティは、異性愛と同じ「普通」だった。きっと春生の知っている世界よりも呼吸はしやすい。それなのに、手嶋を見るたびに後ろめたさがついて回る。ひとつの大きな要因は、手嶋が既婚者であり、子供をもっているということ。そしてもうひとつは、手嶋は自分の幼馴染だということ。
 まだ学生の頃は、いつか社会に出たら離れていくだろうと、寂しくもあり、どこかそれが希望でもあったが、大学進学をせず地元企業への就職を決めた春生に、手嶋はついて来た。
 手嶋が結婚する前は週に三度となっていた二人きりの仕事終わりの居酒屋も、今では月に一度程度。少しづつ離れていく事に安堵を覚えたが、それでも未だに手嶋の何気ない行動や言葉に心臓が飛び跳ねる。
 春生は営業先に向かった手嶋の背中を眺め、小さなため息を吐いた。

  ***
 
 会社の営業車に乗り込むなり、手嶋は先程から胸元で振動するスマートフォンを手に取る。
 
「今から出ますよ」
 
 電話の相手は営業先の女性社員だった。宥めるような手嶋の声に、女も落ち着いたのか上機嫌で返事をする。
 学生の頃から友人も多く、恋人も絶えなかった。穏やかで人懐っこい雰囲気と、どこか腹の中を見せない手嶋に、周りの女達は密かに好意を抱いていた。
 春生の前では「少し大人びた優しい友達」を演じた。というよりも、それが春生の前では素の手嶋だったのだ。一度たりとも春生を傷つけた事は無かったし、自分に恋人ができても、春生には自分しかいないと分かっていたので、恋人を優先する事もしなかった。

 ある時、春夫が進学をせず、就職するというので手嶋も春夫と同じ道を選んだ。高校進学の時は、あんなに自分と一緒にいたがっていたのに、自分の進路先も聞かずに一人で社会に出る事を決めてしまった。手嶋はその時だけ、怒りのような感情を初めて春夫に向けた。
 
 あれから十年以上が経つ。就職し、すぐに恋人ができた手嶋は子どもを授かり、結婚をした。その相手も営業先で出会った女だった。
 手嶋の顔が好きなのだと、出会ってすぐそう言われ、素直な女だと思った。
 正直なところ、交際相手に恋をした事がない。好きだからと言ってくるので受け入れていた。それがいつの間にか、当たり前になっていて、それは結婚し、子供をもった今でも変わらない事だった。
 
「手嶋さん」
 
 営業先につくなり、立体駐車場の中で待っていたらしい、その女は発情したように車内になだれ込んで来た。大きな乳房が目の前で揺れる。運転席のシートを倒すと、後部座席の黄色の弁当箱が視界に入る。
 頭の中に浮かんだのは、弁当を作ってくれた妻でも、いってらっしゃいと言ってくれた娘でもなく、弁当箱を見つめていた幼馴染の姿だった。

 ***

 春夫が息を切らし、エレベーターに乗り込み腕時計を確認すると、時計の針は十八時を回っていた。目的の階に到着し、足早に一番奥に位置する自宅まで向かおうとしていると、玄関前で見覚えのある作業服を着た男が立っていた。
 
「あ、雲田さん。ちょうど良かった」
 
 愛嬌は無いものの、口数が少ないわけでは無い青年は春夫に気づくと、こちらへと駆け寄って来る。手慣れた手順で春夫は渡された用紙にサインをした。
 
「いつもお疲れ様です」
「いえ、組もたさんも、お疲れ様です」
 
 じゃ、と短い挨拶を交わすと、品物の欄に[雑貨]と書かれた小さな段ボール箱を受け取る。
 このマンションに越して来て、何度も彼と顔を合わせたというのに春夫は未だに彼の名前を知らなかった。けれど、配達員と自分とではそれぐらいの距離感が丁度いい。でなければ、こんなものを運んでもらっている時点で、春夫は罪悪感に押しつぶされそうだった。
 
「でーもん、でぃるど……」
 
 しっかりと後手に玄関の鍵を閉めた春夫は鞄を置き、スーツのままベッドに座る。
 開封した段ボールを開けると重々しい黒い箱が現れ、両手で恐る恐る蓋を開ければ真っ赤なそれが現れた。
 思わずその名称を呟いてしまう。デーモン、なんて大袈裟な名称の割には大きさも普通で、形は今まで愛用していた玩具よりも、うねりや角度が普通だ。
 少し拍子抜けしてしまった春夫は長年愛用していた大人の玩具通販サイトに騙されたのかと不安になったが、使用してみれば分かることだろう、とスーツの下を下着ごと脱いだ。
 受注生産とやらで、一ヶ月ほど待った玩具の正体を暴いてやる、といった期待に馴染みのローションで解した穴はだらしなく手元のそれを求めてひくついている。
 
「ん、ぅあ……、う、わ……っすご、」
 
 中へ押し込むとうねるようにして玩具は春夫の中を押し進んでいく。
 こちらが手を加えなくとも、まるで自我が芽生えたかのように奥へ奥へと入っていくのだ。
 春夫はベッドに仰向けに寝転がり、片方の手で玩具の膨らんだ根本を支える。じゅぽっと空気が抜けたような音を立て、春夫はピストンをはじめた。
 いつもはゆっくりと動かすそれも、何故か無意識に腰は揺れ、手を動かす速さは激しさを増していく。
 自分で突いているはずなのに、犯されているような感覚に、春夫は喉を反らし目に涙を浮かべた。達しているのか、達しそうなのか、よく分からない強い感覚にぎゅっと目を閉じる。
 いつもゆっくりとピストンをはじめるのには理由があった。
 想像の中の手嶋は優しい手で自分に触れ、大切なものを扱うように自分を抱いた。もちろんあくまで想像の中で、だ。
 ただこれは違う。春夫の意思なんて関係無いというように、それは激しく春夫を突き上げる。
 
「っ、んっ、……っは、あ?」
 
 ふと、春夫が異変に気づく。
 手を加えずとも、それは動いていた。万単位もした玩具だ。オプションか何かだろうか。
 
「ふ、あっあ、っ」
 
 春夫が両手でベッドのシーツを掴むも、抜けることなくピストンを続ける赤い玩具は容赦なく責め立てる。
 
「ま、って、イ、イく、で、る……っでる、」
 
 このまま死んでしまってもおかしくは無いと思った。溶けきったような逆上せた脳みそが白く濁る。視界はちかちかと星が舞い、春夫の声は喘ぎというよりも怯えきっていた。
 見に覚えのない絶頂が春夫を襲う。一瞬意識が飛び、中に入っていたものが、ずるりとひとりでに外へと出ていく。生き物のように、すっと直立に浮遊したそれは春夫をじっと見下ろしているように思える。
 ちかちかとぼやけた視界の中、現実味のない光景を春夫は眺め、ふと気づく。
 
――そんな形、してたっけ。
 
 何かに似ている。そうだ、あれは

「金棒」
 
 そう呟いて、意識がハッキリしていくと、春夫は自分を受け止めてくれていた柔らかなベッドとは違い、ひんやりとした硬いものを背に感じた。

 そして次に目の前に広がったのは眩しいくらいの赤だった。

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