ロアの一日の始まりは、二人の弟や王である父に比べると、ずっと静かなものだろう。
身の回りの世話を焼かれるのは、あまり得意ではないのだ。
朝だと目覚めを教えてくる者もいなければ、服を着るのを手伝う者もいない。しかし、あと一時間もすれば、自分の身の回りの世話役をしてくれている、部下であるヤンが朝食を運んで来てくれる時間だ。もう慣れてしまった事だが、これも[第一王子]としての役割なのだろう。
しかし朝の支度を終え、資料や書類の山で溢れる仕事机を前に、ロアは小さくため息を吐いた。
異世界からの使者に自分の野望の手伝いを頼んだロアだったが、ヤンのように、彼を警戒する気持ちがゼロだというわけでもなかった。
彼との出会いのせいでもあるだろうが、やはり色事を好む男だという印象は強い。しかし、話していると、真面目で素直で礼儀正しく、好ましい。
言葉を交わせば、信用に足る人間だと思えた。けれど性に無頓着なロアにとって、彼は少しだけ複雑に感じる。
「……不健康なのは俺の方なのかもしれない」
救いたい者を救う為、必要の無いものを捨ててきた。そのひとつが恋愛事や色事だった。
周りの人間が、そんな話に花を咲かせているのを、観客席で眺めているような日々を恨んではいない。
しかし理解できない事に、寂しさを覚えた事があるのもまた事実だ。
「っい゛、」
中々落ち着かず、自室の扉を開くと、ロアの足元で何かを踏み潰したような声が聞こえた。
床に蹲る大きな体が、ロアを見上げ目を見開く。
「おは、ようございます」
立ち上がりもせずに、床に正座をしたままの春生が頭を下げる。
「お、はようございます。……こんな所でどうしたんですか?」
その強張った顔が、今度は泣きそうに歪む。春生は、そのまま上半身を前に倒し床に額を打ち付けた。
「昨夜はっ、大変申し訳ありませんでした!」
野太い声が早朝の廊下に響き渡る。
「一度ならず、何度も、醜態を晒した挙句、ロア様の純粋で真っ直ぐなお気持ちを汚すような形になってしまった事、深く後悔しています。煮るなり焼くなり、どうぞロア様のお好きに、っ」
大きな体を縮こませ、怯えるように震え瞳を濡らす春生の目の前に、ロアの手が伸びる。その手が春生の両手を包み込んだ。
「そんなに思いつめなくてもいいんですよ。……確かに、驚きましたけど、ハルオに罰を与えようなんて思ってません」
自分よりもずっと年上の男に、子供に言い聞かせるようにロアはゆっくりと言葉を紡ぐ。
ロアが眠れなかったのは、実際春生が原因なのだが、ここまで思い詰めている男を前に、ロアはある事に気づく。
自分は単に困っていただけなのだ。春生の自慰を見てしまい、どう接すればいいのだろう、と。
「でも正直驚いて、あまり眠れなかったんですよ」
今の春生にとっては、ただの意地悪でしかない言葉がロアの口から出ると、その顔は青く引き攣った。
「ダメですね。この国を守りたいなんて大きな事を言っている人間が、まだまだ世間知らずで、お恥ずかしいです」
この国の華やかな王族達と自分とでは、イメージの中で全く重ならない。それでもこの信念が揺らぐ事は無いのだけれど、自分の中の無力さと幼さに不安が過ぎる。
「そ、んな事ありません。できます。純粋なロア様だから、できる事があるはずです」
自分をダメだと言ったロアよりも、傷ついたように悲痛の表情を浮かべる春生が横に首を振る。
「そもそも俺が悪いんですし、ロア様がそんな風に思わなくていいんです。寧ろ、腑抜けた行動をした俺を最低だと罵って頂いた方が賢明です」
「のの、しる? ですか。ハルオを」
「は、はい!」
思わず元気よく返事をしてしまった春生に、考え込むロア。
その様子を傍らで見ていたヤンは頭がひどく痛むのを感じ、ロアの朝食を片手に春生の背中を蹴ったのだった。