春生がここに来て、これまで与えられたものといえば、薄い昆布出汁の様な味の温いスープが僅かと、小さなパンがひとつ。成人した男にとっては、かなり量の少ないものだった。
けれど、身分の怪しい自分に食事をくれた事に感謝したのも事実だ。出逢う人々は春生に優しくしてくれるが、信用はできないはずだ。そんな人間を追い出しもせず、利用価値があると置いてくれている。
それでも、目の前の豪華な朝食に思わず春生は見惚れてしまう。食パンのようだが、耳のない平たいパンが何層にも重なり、芳ばしい香りが食を唆る。赤や緑、黄色といった彩り豊かなサラダには、薄い肉の様なものが乗っている。一番大きな器には、湯気の立った赤いスープがあった。
「ヤンとハルオも、なんだか仲良くなれそうでよかったよ」
書斎机の上に散らばっている書類を、自分の隣で片付けているヤンを見上げ、ロアは微笑んだ。
「……気のせいでしょう」
ニコニコと微笑むロアに、小さく溜息を吐いたヤンは、どうでもいいと、目の前の書類を睨む。
「それよりもロア様、この量の書類、上が目を通すとでも?」
赤いスープに、ロアは平たいパンを浸す。ヤンの声は明らかに、うんざりとしていた。
「その上とやらが、華館を利用しているんだ。その華館を仕切ってるのは俺だ。嫌でも読んでもらう」
慣れた手つきで、薄い肉にサラダをくるくると手で包んだロアは、ひと口でそれを平らげていく。
「……孤児院でも作る気ですか?」
「それもいいなと思ってるよ。でも選択肢は多い方が良い。華館に連れて来られた子達に、無理強いだけはしたくないからね」
柔らかく笑みを向けられたヤンは、小さく「そうですね」と同意の言葉を呟いた。
そのヤンの表情は、あまり浮かない。ロアの進もうとしている道は余程厳しいものなのか。それとも、ヤンには違う考えでもあるのだろうか。
今までいた、小さな社会で、こんな風に誰かの為に生きる事はできなかった春生は、口を閉ざすしか選択は無い。
「おい、こんな所で油売ってていいのか」
ヤンの声にはっとした春生は、城の外が賑やかになるのに気づく。時間感覚は春生のいた世界と共通なようで、ロアの机の上の金魚を模した時計が、八時を指す。
「華館ですか?」
「あ、はい。そろそろ時間なので、行ってきます」
慌てたように春生は深々と頭を下げ、急ぐようにして出て行った。
春生が華館へと向かい、二人だけになった部屋は静まり返る。
目の前の食事に手を伸ばそうとしないロアに、書類を封筒に入れ終えたヤンが口を開く。
「あいつを華館に置いたのは、あなたですよ」
「そうだね、なんだかあの人と話していると楽しくて」
「他の王族付きみたいにデカイ顔して遊びまくってる奴と比べると、少しはまともみたいですね。まあ表向きは、真面目な働き者って気がしますけど、あいつが叔父上様や他の派閥の間者だったとしたら、納得のいく物言いですけどね」
「……僕はハルオの力を借りると決めたからね、信じるよ」
ああ、冷めてしまったとロアは赤いスープの上に手をかざした。すると掌を割くようにして、スープから湯気が立ち昇っていく。
ロアの折れた右の角が、ふとヤンの視界に入った。それと同時に一人の男の顔を思い出す。
何もなければいい、けれどそんな願いなど届くわけが無いとヤンは知っていた。