入館証明

 やっぱり場違いなんだよなあ、と早々とロアの部屋から出た春生の足は華館の扉の前で止まった。
 こうして周りと馴染む服を着ていたって、どこか孤立しているのは元いた世界と何処か似ている。
 何のためにこのエレギヒアに来たのだろうか。
 ロアは春生を民話や伝説の一部としているが、果たして本当にそうなのだろうか。そうであったとしても、あまりにも頼りない自分に、嫌気がさす。
 今頃会社はどうなっているのだろうか。家族は心配していないだろうか。手嶋は、元気だろうか。
 
「入らないの?」
「っ、わ、び、っくりした……」
 
 背後からの声に、晴雄の体は飛び跳ねる。その様子に、楽しそうに笑うシャオの姿があった。
 
「おはよう。ハルオ」
「ああ、おはよう。シャオ」
「今朝はロア様の所にいたんだってね、仲いいんだあ」

 何か勘違いをしているような物言いをするシャオに春生は苦笑いで返す。

「昨日も思ったんだけど、ハルオ体大きいよね。いいなあ」
 
 羨ましい。とシャオが頬を膨らます。
 シャオはそう言ってくれるが、電車では邪険にされ、人混みの中に居ると、その身長と体格に視線が付き纏う。それに手嶋の隣に立つには歪な自分は、あまり好きになれない。
 
「おっぱいもお尻も大きいし。可愛い」
「……大人をからかうな」
 
 性癖も人それぞれだが、自分に興奮していた昨日のシャオを思い出すと、なんだかいたたまれない気持ちだ。仕事が仕事なだけに、性癖の幅も広がっていくものなのだろうか。
 華館に入ると、様々な人で賑わっていた。華やかな若い男女に、客とも見れる老若男女。昨夜とはまた違う客層だ。
 
「祭りか何かか?」
「ああ、今日は給金日だからね。いつもはお城の人達ばかりだけど、今日みたいな日は主にテンティプの人達がやって来て、朝からぱーっと遊んでるんだよ」
「テンティプ?」
「王都の事。ハルオ知らないんだね? もしかして違う国の人だったりする?」
 
 思わず疑問を口にしてしまった事に、やばいと春生は口を閉ざす。
 
「あれ、秘密だった?」

 苦笑いを浮かべたシャオは、春生の手を取ると人混みの中を潜り抜けていく。
 華館で働いている者は、客と食事をしたり、そのまま客と二階の部屋へと入って行ったりと様々だ。
 そんな様子を眺めながら酒と煙草、そして独特な甘い匂いに、春生はまだ慣れそうにも無かった。
 
「あら、シャオ。今日出勤だったの? だったら私の相手してよ」
 
 シャオと年の近そうな若い娘が、シャオに気づくと此方へとやって来た。その後ろには、この子の今日の相手だろう華館の男の子を連れている。
 
「ごめん、今日は本当に仕事じゃないんだ。よかったら明日来てよ。だから今日はユージンの相手してあげて」
 
 女の子の頭を撫で、自然にその手を離すシャオ。
 
「ふーん。じゃあ、明日も来るわよ。絶対いてよ! 約束だからね」
 
 女の子の視線が、ちらりと春生へと向いた。今にも罵声が飛んで来るのでは、と内心怯えたが、シャオの眩しすぎる笑顔により、女の子は落ち着きを取り戻していく。
 
「うん。約束」
 
 正直シャオと女の子のやり取りに、ユージンと呼ばれていた華館の子が可哀想に思えたが、そんな事どうでもいいといったような彼の表情は、この華館そのものを表しているようだった。
 それがなんだか寂しくて、思わず晴雄はシャオの手を強く握る。
 
「さて、行こうか」
 
 それに気づいたかのように、シャオは春生の手を引いた。

***

「あ、これ入館証明」
 
 人混みからやっと抜け出し、先日通された従業員達が集まる部屋へと入る。ほとんどが出払っているようで、もぬけの殻だ。
 華館に所属する者が、ここに来た事を証明する為らしく、差し出されたノートを受け取る。
 この国の文字なんて書けるわけもないのに、どうしたものかと困っていると、驚くことにパラパラと捲ったページには、春生の知った日本語が書かれていた。
 
「ん? 書き方分かんない?」
「あ、だ、大丈夫。ここ、だよな」
「そうそう」
 
 話している言葉といい、何か修正のようなものが行われているのだろうか。
 考え込んでも仕方ないので、春生は受け取った万年筆で名前を書き込んでいく。
 フルネームで書くと、また厄介な事になるのではと思い、ハルオとだけカタカナで書いた。
 
「その、王族付きの人達は普段どんな仕事をしているんだ?」
 
 参考にと、春生が聞くとシャオは難しそうに考え込む。
 
「んー、……主に求められたら、股を開く。それが仕事。他にも身の回りの事をさせる人もいるみたい。ちなみに王族付きはね、他の慰み者と違って地位は高いんだよ。だから殆どの王族付きは遊び呆けてるよ。給金もずっと高いからね。華やかに着飾って、豪遊する。それだけ」
 
 王族付きとは、そういうものなのか。しかしシャオの表情は浮かない。華館の王族付き以外の慰み者はそれぞれ複雑な事情があるとロアから聞いた。王族付きもまた、同様なのだろうか。
 
「何で王族付きもわざわざ毎日この入館証明を書くと思う?」
「……不正がない、ように?」
 
 豪遊故の怠惰をさせない為にだろうか、と春生は首を傾げる。
 
「それは建前上ね。本当の理由は、生存確認」
「は……」
「王族は絶対だから、何をしても許される。王族付きに選ばれてしまえば、その主の所有物。だから、気に食わなければ殺される事だってあるし、酷い事をされて、そのまま死んじゃう人もいる。それを皆知ってるから、どんなに遊び呆けてる王族付きでも、この入館証明だけは絶対にするんだ。自分が死んだ事を知らせる為に」
 
 言葉が出なかった。ただただ、給金が高いから、身分が他の慰み者より高いから、豪遊しているわけでは無い。
 いつ、自分が死ぬのか分からない。だから今を必死に生きようとしているように思えて仕方なかった。
 王族だからと、そんな事がまかり通るなんて。
 春生の胸の奥底にふつふつと湧き上がるのは、悲しみよりも怒りだった。

「そんな顔もするんだね」
 
 俯く春生の顔を覗き込んだシャオがくすくすと笑う。
 
「でもハルオが同情してあげる必要も無いと思うよ。自分がいつ死ぬか分からない、そんなのこの国にいる人間皆そうじゃん? 華館ではできるだけロア様は守ってくれるけど、皆がみんな、救われるわけじゃない。なのに、王族付きのあいつらは、威張り散らして、悪い事し放題。王族付きだからって理由にはならない」
 
 冷たい声に孕んだ怒りの事情を、春生は聞くとができなかった。誰だって不快になる事だが、それとはまた違う所にある、シャオの深い場所に触れてはいけない気がしたからだ。
 
「……ごめんね。久しぶりにこの事話したから、ちょっとイライラしちゃった」
「俺の方こそごめん」
「なんでハルオが謝るのさ」
 
 霧がかった空気を跳ね除けるシャオの笑顔が、春生に向けられる。その笑顔は十分自分を安心させた。
 
「……それでも、シャオ達にロア様がいてよかったと俺は思う」
 
 無力な自分を安心させるように春生が呟くと「そうだね」とシャオも力強く頷き、もう一度微笑んだ。
 
「さて、行きますか」
 
 春生の手を再び取ったシャオを、慌てて春生は引き止める。先程の女の子の言葉が気になっていた。
 
「今日は休日なんだろう。俺のことはいいから、自分の時間を過ごしてくれ」
「休日だからここに来たんだけど」
 
 けろっとした、大きなは瞳が春生に笑いかける。
 
「いつも休みに俺がしてることがあるから、ハルオの仕事は雑用なんだし、せっかくだから手伝って貰おうと思って」
 
 さあさあと、シャオに連れられ、春生は部屋の更に奥へと向かって行く。昨日、華館で働く者達が着替えや髪結をしていた鏡台が並ぶ、更に奥だった。
 引き戸となっている、花や植物の絵が描いてある赤い扉をシャオが開くと、そこに広がったのは、プールのように大きな浴室だった。
 
「今のうちに掃除したくてさ。手伝ってよ」
 
 浴室の隅に置いてあったデッキブラシのようなものを春生は受け取ると、学生の頃に参加させられたプール掃除を思い出した。
 
「いつも一人でしているのか?」
「まさか。俺の休みは月イチだから、その時だけ。いつもは交代制で何人かで毎日洗ってる」
「でもシャオが休みの日は、やっぱり一人じゃないのか? 大変だろう」
「どうせする事ないし。一人で黙々と掃除するのも悪くないよ」
 
 くるくると、ブラシの柄を回し、宙に放り投げる。軽やかにそれをキャッチしたシャオは、自慢げに笑った。
 ブラシの先は、どうやらゴムで出来ているのか、春生が床を磨けば、きゅっきゅと音が鳴る。
 鼻歌なんて歌いながら、手馴れた様子で床を磨いてくシャオに、その歌はこの国では有名なのかと聞きたくなったが、そんな事を自分が聞くのはかなりリスクが伴う。
 秘密は苦手だ。それでも、長年手嶋への想いは隠し通してきたつもりだった。だからといって、ここで秘密にするものは、一つや二つでは無い。これからの事を考えると、きゅっと春生の胃が傷む。

 ***
 
  掃除を終えたのは、正午過ぎだった。
 久しぶりにいい汗をかいた春生は、シャオに誘われるまま湯浴みをし、どこかさっぱりとした気分に浸る。広すぎる大浴場を独占しているようで、気分も良かった。
 丁度、客の入れ替わりの時間だろうか。数人の華館の子達が部屋へと戻り、シャオに挨拶をする。
 仕事はこれで終わりだと言われた春生は、裸同然の薄着の子達が戻ってくる度に、居心地の悪さを感じる。
 とりあえず外に出ようと春生が扉に手をかけた時だった。その扉は春生を意思を阻むようにして開き、前に一人の男が立ちはだかる。
 赤いチャンパオが映えるその黒髪は腰まで長く、身長も晴雄と視線が交わる程高い。すらりとした体型に似合う一重の瞳が、じろりと春生を見た。男の金色の棒状の耳飾りがゆらりと揺れる。
 
「お前がハルオだな」
 
 その端正な顔通りの、響きのいい声はやけに静かで温度が無い。
 男の姿に、静まり返った華館にいた客や店側の人間達もまた、恐怖の色を隠せずにいる。
 
「おい、口がきけないのか」
 
 一重の瞼が、すっと落ち、きつく春生を睨む。
 
「俺がハルオです」
 
 緊張から、出た声は小さい。思えばこんなに敵意を向けられたのは、これが初めてだ。ロアは初めから穏やかに晴雄を迎えたし、信用はされてはいないが、ヤンでさえ会話をしてくれる。
 前の男は会話をする気は無いようで、物の所在を確認するように、目の前の大男が春生だと確認すると、春生に背を向けた。逃げも隠れもするわけがない、できないのだと言われているようだった。
 
「ラミュ様、こちらにおりました」
 
 ひゅ、と息を飲む。春生の心臓がばくばくと脈を打つ。
 死にたくない、と子どものように泣きわめいてしまいたかった。

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