冒険の間のつかの間の休息。
妖精を連れた緑の服の少年リンクは、カカリコ村の穏やかな雰囲気の中、高い展望台の上に登ってハイラルを見渡す。

『相変わらず広いネ!』
「ここに来ると、なんかワクワクするよね!」

リンクの頭上をくるくると飛ぶナビィがはしゃぐように言った。遠くを眺めてうんと伸びをして、リンクも楽しげに笑いながら答える。
こんなに広い世界を守る使命を背負って、大人と子供を行き来しているのだと思うと、なんだか不思議な感覚を覚える。
柵に寄りかかりその平原の広さ見渡していると、小さく砂埃を立てて走る姿が見えた。

「あ、あれマラソンマンだ」
『あのウサギ耳頭巾、ちゃんと役に立ってるみたいネ』
「ものすごいことになってるねえ」

からからと笑っていると、ギシリと後ろから木が軋む音が聞こえた。
誰かやってきたのだろうかと何気なく振り返ってみると、そこにはひょっこりと顔をのぞかせた少女がいる。
どうやらリンクたちの姿を見て、上ってくるのを躊躇っているようだ。降りようか降りまいかと困ったような顔をしている。
気まずそうにリンクを見つめる彼女を見て、ナビィはそっと耳打ちした。

『リンク、何か言ってあげて!』
「えっ?」
『あのコ困ってるヨ!男見せて!』

こんなことで男を見せるってどういうことだよ、ともんやり思いながら、それでも困った女の子を無視することなんてできない。
リンクは梯子の近くに行き、手を差し出した。

「こんにちは」
「……! こんにちはっ!」

にっこりと、リンクは少女に笑いかけた。するとそれを見て安心したのか、彼女も笑ってリンクの手を取った。リンクは彼女が梯子から上がってくるのと一緒に手を引いてやり、展望台の上にエスコートする。ぴこぴこと空中を舞うナビィはなんだか楽しげだ。

「えっと……君、カカリコ村の子?」

リンクが問うと、少女はうなずく。

「わたし、おなまえっていうの。あなたは?」
「リンクだよ」
「リンクかぁ、よろしくねっ!」

彼女は少しはにかみながら、すっと手を差し出してくる。リンクもよろしく、と返してその手を握り返す。少しだけ、冷たい手だった。

おなまえは最初に見た印象と違って、はきはきと話して笑顔を見せている。
何度もカカリコ村には来てるけれど、こんな子がいたなんて知らなかった、と思う。
彼女の肌はとても白くて、体はとても細かった。手を握った感触は、骨ばっている印象だ。人懐っこくにこにこと笑顔を見せている姿は、見た目よりも幼くも思える。
どうしてだろう、なんて考えながら彼女を見ていたら、おなまえは表情を一変させる。

「あっ!」

驚きと喜びが一緒になったような顔で見たのは、ふわふわとリンクたちの様子を伺うように飛んでいたナビィ。

「うわあ、妖精だ!」
『ナビィだヨ!』
「しゃべった!」

ふおお、とおなまえはナビィを観察している。そっと手を伸ばして、捕まえようと試みるが、ナビィは高くへ飛び上がって逃げた。リンクの後ろへ回り込んだら、帽子に入れろとぽふぽふ頭に体当たりする。わかったよ、とリンクは帽子をあげて中に入れてあげた。キラキラした瞳でこちらのやりとりを見つめていたおなまえは、ナビィに逃げられてちょっと残念そうな顔を見せるが、すぐに笑顔になる。

「ここに人がいるなんて思ってなかった」
「僕はよく来るよ。おなまえもよく来るの?」
「ううん、初めて」

そしておなまえは柵に手をかけながら、ハイラルを見渡した。

「うわぁ………」

その広大さに感嘆の声を漏らす。初めて見たというその景色にすっかり心を奪われてしまっているようだった。そんな彼女が少し微笑ましくて、リンクは景色に見入っている彼女の後姿を眺めていた。平原やデスマウンテンを繰り返し見ては楽しそうにはしゃいでいる。
隠れていたナビィが、おなまえの様子を伺うように帽子の隙間から体を覗かせて、そっとリンクに囁く。

『そんなに珍しいのかナ?』
「え?」
『リンクとおんなじネ』
「………」

リンクと、同じ。
それは、コキリの森から出たことがなかったリンクが、外に出た時のことを言っているのだろう、とリンクは自分のことを思い出す。
初めてコキリの森を出たときの感動は、今でもはっきりと覚えている。突然勇者としての運命を背負うことになって、不安もあった旅立ちの時。開けた平原を見た瞬間に、かすかな不安は希望へと変わった。広い世界の輝きに圧倒されながら、これからこの世界を走り回ることができる喜びは、忘れられない。

ふと、おなまえがリンクのほうを見た。

「リンクはいつもこんな景色見てるんだね」
「うん、ここは見晴らしがよくて好きだな」
「いいなぁ、とても自由で」
「………」

自由、が欲しいのかな?
遠くを見る横顔がとても儚くて、つい、見つめてしまった。
と、ぱっとリンクを見たおなまえはもう儚い横顔の面影などない明るいわくわくした笑顔で、訊ねてくる。

「ねえ、その格好って今流行ってるの?」
「えっ、どうして?」
「わたし外の事よく知らないから」
「流行ってないと思うけど……、僕が住んでたところはみんなこんな格好してるよ」
「そうなの?あなたカカリコ村の子じゃないんだ……ねえ、どこに住んでたの?城下街?」
「ううん、森。街の人たちはこんな格好してないよ」
「森……森って、木しかないんだよね!すごいね!」
「うん、とってもいいところだよ」

言えば、おなまえは笑って柵に寄りかかり、また遠くを見つめる。
リンクはその隣に並び、おなまえを見た。やっぱり儚げな横顔で、一瞬で目を奪われる。
ナビィに軽く頭を小突かれて、はっと我に返った。なんだか少し恥ずかしくなって彼女から視線を逸らしてしまう。

それにしても、とリンクは思う。
彼女は、コキリの森のように他の場所から隔離されるような場所にいるわけでもないのに、少し世間に疎すぎやしないだろうか。
さほど広くはないこの村ならば、他の住人たちの顔くらい把握していられそうなものだというのに、リンクのことを村人だと思っていたようなことを呟いたのも不思議だ。
リンクはしばらく考えた末、いまだに遠くを見つめているおなまえに向き直る。

「おなまえ」
「なに?」
「おなまえって、さ」
「―――う」
「え?」

突然、にこにこと笑顔を見せていたおなまえが、苦しげに顔を歪ませて胸と口元を押さえる。そしてそのまま、力が抜けていくように座り込んだ。

「……っ、ごほっ、けほっ…」
「えっ、だ、大丈夫!?」

座り込んでしまったおなまえの傍にしゃがみこんでみるが、どうしていいのかがわからなくておろおろするばかり。
ナビィも帽子から飛び出して慌てて頭上をくるくると回る。

「ごほっ、はぁ、けほ」

苦しげに咳き込み続けていたおなまえだったが、少しずつ落ち着いてきた。肩で息をしながら、ぎゅうと胸に当てた手に力が入っている。

「……おなまえ?」

どうすることもできないまま、小さく呼び掛けたら、そっとおなまえは顔を上げた。

「ご、ごめんね。大丈夫だから」

だが、おなまえはぱっと顔をあげて笑って見せた。
名残のように出てくる咳を数回して、ようやく咳はおさまったようだ。
息をつく暇もなく出た咳のせいで、今は肩で息をしている。ひゅう、と喉を空気が通る音が聞こえる。
どうしようもなくて、ただ見ているだけでいると、彼女はまたにっこりと笑った。

「わたし、体弱くて」

ぽつん、と言われた言葉。おなまえはゆっくりと平原の方を見た。

「本当は外に出るのも許されてないの。ずっと家の中にいて……でも、どうしても外に出たくて、広い景色を見たくて、出てきちゃった」

帰ったら絶対怒られる、とおなまえは笑った。

「治らないの?」
「うーん……薬をね、今飲んでるんだ」
「薬?」
「そう。大きくなったら丈夫な体にちゃんとなるからって」
「ふーん……」

だからきっと治るよ、とおなまえは言う。
けれども、リンクは未来の世界でこの村を訪れた時も、おなまえの姿を見たことはなかった。
もしかするとカカリコ村から引っ越しただけのことかもしれない。元気になって、どこか違う場所に行っただけで。
それともたまたま見かけないだけなのかもしれない。
けれど、もしかすると。

「薬だけで、治るのかな」
「………え?」

リンクはおなまえをまっすぐに見つめることが出来ないまま、小さく言った。
おなまえはその言葉に不意を突かれたのか、俯いているリンクを見てきょとんとする。
意を決したように、リンクは顔を上げる。おなまえをまっすぐ見つめて、真剣な顔つきになった。

「いくら体が弱くても、家の中でじっとしてて薬を飲むだけって、よくないんじゃないかな」
「………そう、だね」

はっきりとした口調で言われ、おなまえはただうなずくしかないようだった。
泣いちゃうかもしれない、とリンクは思いながらも言わずにはいられない。

「もっと外に出てみたら?」
「…………」
「もったいないよ、おなまえはすごく明るく笑うのに」

なのに、それは閉鎖された空間でしか見られないなんて。

皆まで言えず、リンクは黙りこむ。リンクの言葉を黙って聞いていたおなまえはじっと口を閉ざした彼を見つめた。
そうして、ゆっくりと言葉を紡ぎだす。

「ありがとう」

笑顔が添えられたその言葉に、リンクはふと自分の心臓の音が高鳴ったのに気がついた。おなまえはそっと遠くの世界を見つめる。

「わたしももっと、世界を知りたい」

そうしておなまえはリンクを見て、ぱっと楽しげな声で言う。

「リンクはいろんなこと知ってるんでしょ?いろんなこと、教えてくれる?」
「………もちろん」

静かにリンクはうなずいて、そして笑いかけた。

「元気になったら、いろんなところに連れて行ってあげるよ」
「ほんと!?」
「だから、早く元気になってよ」
「うん、頑張る。早く元気になる」
「じゃあ、約束しよう」
「うん」
「7年後、君が元気になってたら、僕は君を世界に連れ出してあげるよ」

小指を出して言えば、おなまえは首をかしげた。

「7年後、なの?」
「うん、7年後」

長いね、なんて言いながら、彼女はリンクの指にその小さな細い小指を絡ませる。

「絶対だからね」

悪戯っぽく笑って、おなまえは言った。
リンクは強くうなずいて、梯子の前へと行く。そして振り返って、もう一度笑いかけた。期待でいっぱいのおなまえを見つめながら、言う。

「迎えに来るから」

おなまえもその言葉を受けて満面の笑みを浮かべながら手を振る。

「待ってる」

その言葉を胸に、リンクは飛び降りるかのように勢いよく梯子を下りて地に足をつく。
そしてそのまま走りだした。

『ちょっとリンク、どこ行くの!』
「おなまえを迎えに!」

カカリコ村から飛び出して、少し後ろを仰ぎ見てみると、じっとリンクを見送るおなまえの姿が目に入る。
それを見て強く笑むと、再びリンクは走りだした。


迎えに行くよ


長い月日をまたいで、君を迎えに行くから。
どうか、その命尽きないまま、またその笑顔で僕を待っていて。

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