「なんて顔してんの」
そうやって声をかけられたのは俺がまだ幼く、敵意を向けてくる里の住人に対して憎しみよりも悲しみが大きかった頃だ。
そいつは俺が住む風影邸から目と鼻の先、二軒隣に住んでいて、大人達から嫌われ、同じ年頃の子供には怖がられて、泣きながら家路を辿っている時に突然声をかけてきた。
泣いている俺に向かって話しかけてくるその女は、夜叉丸の様に優しげでもなく、かといって他の大人達の様に敵意を向けてくるでもなく、ただ通りすがりの俺が泣いているのを見かけて、なんとなく声をかけてきただけの様だった。
無表情だったのだ。その女の顔は。
哀れむでもなく、慌てるでもなく、ただ真っ直ぐ俺を見つめるその表情には、色が無かった。
優しく慰められた訳でも、叱られた訳でもないが、夜叉丸以外の大人に、普通に話しかけられた事が初めてだった俺は、何故だか余計に涙が溢れてきた。
担を切った様に泣き出した俺に対して、少し驚いた表情になりながらも、また元の覇気のない表情に戻った女は、「親が心配するから早く帰りなよ」と言ってポケットからハンカチを取り出し俺に差し出した。
そしてそのまま、女の家なんであろう玄関まで行き、中へと入って行ってしまったんだ。
俺は渡されたハンカチを使う事もできずにただ眺め、いつまでも泣き続けた。
辺りはもう闇に支配された景色が広がっていて、点々と続く民家の灯りが眩しかった。
悲しい気持ちを抑える事もせず
帰れという女の言葉を無視して、月がよく見える建物の上へと足を運んだ。
その日からだ。
俺に「愛とは心の薬」と教えてくれた夜叉丸に命を狙われ、誰にも愛されていなかったと言われ、俺の生きる価値は人を殺める事でしか得られないと説くようになったのは。
そして泣く事をやめ、悲しみを捨てた。
里を恨み、父を恨んだ。
それからは忍だろうが、そうで無かろうが目があった者は皆殺しだと、そうして何人もの命を奪ってきた。
だが一人だけ、何度声をかけられても殺せない女がいる。
何度も何度も殺そうとしたんだ。
だが俺はその女を殺す事ができない。
もう何年経ったかも分からなくて、何故殺せないのか、いつも自分に問いかけてみるものの、答えが出た事はない。
「君は最近、いつも怖い顔してるね」
そして今日もその女は、相変わらず覇気のない表情で俺に話かけてくるんだ。
この道を通れば必ずこいつがいる。
いつも手にはホースが握られていて、どうやら水を撒いている様だった。
毎日毎日、嫌になるほどの暑さには、もう随分と前に慣れたものだが、それでも水の撒かれたこの道を通ると、茹だる暑さが少し和らぐ気がした。
「ていうかさ、ハンカチ返してよ」
「……」
「貸したでしょ。ほら、何年も前だけどさ、君が泣いてた時に」
ああ、今日は良く喋る。
そう思いながらも俺は立ち止まり、こいつの声に耳を傾けてしまう。
何故なのか。
何故、俺はいつもこいつが居ると分かっていながらもこの道を通ってしまうのか。
何も聞かず、通り過ぎればいいものを、立ち止まってしまうのは何故なのか。
「ねえ、聞いてる?」
「……そんな物、とうの昔に捨てた」
咄嗟について出た小さな嘘。
本当は捨ててなどいないが、この時、何故か俺は何年も前に渡されたハンカチを返したくないと思った。
捨てたと聞かされた女は、悲しむでもなく、怒るでもなく、ただ一言、「そっか」と小さく口にしてから、持っていたホースを手元で纏め、背中を向けた後、一瞬振り返って、
「またね。我愛羅君」
そう言った。
◇◇
ハンカチを返せと言われてから数日、俺はいつもの様に女が住んでいる家がある道を通り、自宅を目指していた。
下忍になってからもう暫く経つが、相変わらず里の為と称した任務はくだらないものばかりで、俺の身体は疼くばかり。
もっと血を寄越せと、身体の中の何かが、いつも俺に言っていた。
「……」
女の家の前まで来て、立ち止まった俺は二階建ての、砂で出来た一軒家を仰ぎ見る。
一人で住んでいるのか、それとも家族がいるのか、女の事は名前すら、何一つ知らない。知ろうとも思った事はない。
今日もいないのか。
いつもこの道を通れば決まって女の姿はあったのに、ここ数日はとんと見かけない。
もしかして、ハンカチを捨てたと言った事から、呆れでもしたのか、はたまた内心怒ってでもいたのか。
それであの日から姿を見せなくなったとでもいうのか。
それとも、俺の内に秘めるバケモノを見つけて、恐怖で逃げたのかもしれない。
あの日、別れ際に「我愛羅君」と呼ばれたという事は、やはり俺の事を何処かで知って、これ以上は関わらないようにと避けているのかもしれない。
別に、俺にとって取るに足らない存在である女が、居ようが居まいがどうでもいい。
決まって見かける姿が突然無くなるとなんだか落ち着かない気分だが、結局あいつも他の奴らと同じように、俺が「砂漠の我愛羅」だと知った瞬間逃げていくような奴だったという事だ。
それならもう会う事はないだろうと考えながら、再度足を進める。
太陽はまだ真上にあって、ジリジリと肌を焼く音が聞こえた気がした。
ハンカチも、もう本当に捨ててしまえば良い。
今なら捨てる事もできるだろう。
風影邸まで辿り着き、門番へ声をかける事もせず中へ入る。外より少しだけ冷たい風が頬を撫でた。
俺が普段生活している部屋までの道すがら、すれ違う忍どもは、俺を見つけると途端に顔色が変わる。
そんなに俺が怖いのかと、尋ねてでもやりたくなるが、向こうは目も合わせようとしてこない。
これが俺の日常だった。
「我愛羅!」
部屋まで辿り着き、扉に手をかけた瞬間、不意に声をかけられる。
一体誰だと思うよりも早く、聞き慣れたその声にすぐにテマリだと気づく。
扉から手を離し、小走りで近づいてくるテマリの方へと視線を向ければ、テマリの肩が少しだけ跳ねたのが見て取れた。
怖いなら呼ぶな、なんて思い眉間に皺が寄るものの、テマリが好きこのんでで俺に声をかけて来た訳じゃない事が、テマリの発言で分かった。
「……我愛羅、親父が呼んでる」
「……」
親父と聞いて、ピクリと眉間が寄った。
四代目風影。
俺の父であり、砂隠れの里の長。
俺はあいつが嫌いだ。
俺を化け物として、いつも冷えた視線を向けてくるあいつが憎くてたまらない。
だが、何故だか俺はあいつに逆らう事ができない。
父と子、その絆はとうに捨てたはずなのに、やはり心の何処かではまだ、その絆とやらを捨てきれずにいる様で、それが余計、俺の憎しみを増長させた。
「……すぐに行く」
「あ、ああ……執務室に居るみたいだから、行ってくれ、」
やはり俺が怖いのか、用が済めばテマリはすぐに走り去ってしまう。
パタパタと、走り去る後ろ姿を見つめては、瞬身の術でも使えばいいものを。なんてどうでも良い事を考えた。
「……」
手を離していた扉に再び手をかけ、半分程開けた所でまた閉じる。
自室に戻ってすぐに捨ててしまおうと思っていたハンカチの寿命が伸びたな、などと思いながら部屋には入らず、俺は執務室へ向かう事にした。