私の斜め前の席に姿勢良く座る柳くんをじっと見つめる。時折、頬杖をつきながら先生の話を聞いているんだろう彼は、今日も今日とて、とてつもなく私の好奇心をくすぐってくる。正しく言えば、勝手に好奇心を募らせている、だけなのだが。
最初はこうではなかった。
三年生になって初めて同じクラスになり、隣の席に一度なったのがきっかけで少しだけ話す様になった。大人っぽくて、落ち着いていて、優しくて、格好良い。そんな柳くんを好きになるのにそう時間はかからなかった。純粋に、好きだったのだ。
そして、好きだと意識し始めた頃から、私は柳くんと、"そういう事"をしたいという願望を持つようになった。これは、好きな相手に対してなら誰もが思う筈。触りたいとか触られたいとか、キスしたいとか、その先だって……。思春期真っ只中である年頃の人間なら、こんな風に考えるのは至極当然だと思う。それに伴って私も、いつも柳くんを見る度、話をする度に、触りたいなとか、そんな事を思っていた。
そんな私の、淡い恋心からくる願望は、ある事がきっかけで過剰になっていった。
柳くんがテニス部に属しているのは知っていたが、強いとか、彼の戦い方までは最近まで知らなかった。
ある日同じクラスの男の子、ヒタチくんが柳くんへ「データテニスって何? どういうの?」と疑問をぶつけているのを遠目から見ていた時の事。
ヒタチくんはどこかで柳くんのテニスがそう呼ばれている事を聞いたらしく、どういうものなのかを本人へ、なんとなしに聞いた様子だった。
「言葉のままだ。相手のスタイル、打ち方を観察、調べ研究し、そこから対抗策を練る。ここまではどの選手もやっている事だろうが、俺は性格や癖、私生活まで、どんな細やかな事も見逃すべきではないと思っている。その日の出来事で、人の心は大きく動く」
「はあ、」
「ヒタチにもあるだろう。お前はバスケ部所属だが、その日の弁当が好物ばかりだった場合、お前のシュート成功率は十五パーセント上がる。自分では気づいていないかもしれないが」
「へ、」
その言葉に、ヒタチくんは勿論の事、話が耳に入った周りの生徒からも驚きの声が相次いだ。
たちまち柳くんの周りには人が集まり、「俺のは?」「私の事も何か知ってる?」と皆が皆、自分の事を彼に聞いていく。柳くんは困った様な表情をしながらも、皆の行動パターンや癖などといった事を主に話していた。
ヒグチさんは下駄箱で靴を履き替える時必ず右の靴下を上げ直して左足から靴を履き替える。
ナカノくんは家に帰ってからすぐ上半身裸になり麦茶を飲むのがルーティンである。
トキくんは毎時間授業が終わると、まず「よっし終わった」と右手首をぐりぐり回しながら呟くし、放課後彼女と帰る約束をしている時の最後の授業終わりは自身の両頬をパチンと叩く。……などなど。
所々、なんでそんな事知ってるんだろうと思う節もあるが、情報の出所は秘密らしい。
皆は各々、凄い凄いと感嘆したり、恥ずかしがったり、意識してみようと自分の癖を発見するに心がけたりしていた。
そして最後に、一人の女子が言ったある事で、私は柳くんの恋愛事情、というより不純異性行為……はっきり言えばどんな風にセックスするんだろうという事に興味が湧いた。
「柳、そんだけ色んな人のデータ取ってんならさあ、彼女が出来た時ヤバそお」
「ヤバいとは、どういう意味だ」
「だって多分、彼女の事もめちゃくちゃ調べるんでしょ? 下世話な話、彼女の身体の事とかめっちゃ調べてそー! 昨日より体重が増えてるとかなんとかさあ。やばいウケる。てか彼女そんな事言われたら可哀想ー」
その会話を聞いて、それって凄く……なんだかエッチな気がすると思ったのはきっと私だけじゃない筈。その証拠に、数人の女子はほんのちょっと頬を赤く染めていた。
結局そこで休憩時間の終わりを告げる予鈴が鳴ったので、それ以上会話が広がる事は無かったのだが、皆が席に戻っていく中でなされていた「柳くんの彼女になったら身体の隅々まで知られちゃうのかな? 自分でも知らない事とかも把握されちゃったり」「なんかやらしーよね」という女子同士の密やかな会話を耳にして、私はとうとう授業どころではなくなってしまった。
いやらしい妄想が止まらなくなって、授業を聞く事に努めるものの、頭はそういう行為に及ぶ柳くんでいっぱいになる。相手は勿論私。
――柳くんの、大きな手のひらで惜しみなく身体を触られて、くすぐったいから止めてとお願いしても、彼は「それは擽ったい訳ではない」とかなんとか言って止めてくれない。私がイヤイヤと首を振っても「本音は違うだろう。お前はこうされるのが善いと、身体の反応を見ていれば分かる」と彼は私をデータに基づき蹂躙するのだ。
勿論、柳くんはそんな人間では無い事は分かっている。私から見る彼は清廉潔白。純粋なスポーツマンで、テニスに夢中な男子。それ以外の事はあまり興味がなさそうである。データを集めるそもそもの目的だってテニスをする為、勝つ為のものであるし、クラスの皆の事はきっと、日々の観察を纏めているだけだろう。分かってはいるが、精錬潔白に見えているからこそ余計に気になるのだ。それに一度そういう妄想をしてしまった思春期真っ只中な、加えて柳くんに想いを寄せている私は留まる事を知らない。
この日から、私の思考は「大好きな柳くんに触られたい」というものから「柳くんはどんな風に触ってくるんだろう」という好奇心へ変化し、妄想も、日々激しさを増していった。そして妄想をすればする程、私の身体は疼いて欲情してしまう。時には夜、一人ベッドの上で柳くんを想い自慰行為に走る事もしばしば。最近では学校へ来れば必然的に柳くんを見る為、その度に妄想が頭を占め、どうしようもなくムズムズとしてしまう身体を鎮める為に、トイレや誰もいない屋上、はたまた皆が帰った後の教室で、柳くんに触られていると妄想しながらスカートの中に手をいれてしまう事もある。私はとんでもなく淫乱で、加えて変態なんだろう。
そして今日も、私の斜め前にいる柳くんを下衆な思考を引き連れ見つめている。
シャーペンを持つ手がノートにスラスラと文字を認めていて、無骨な男子の手をしているけどしなやかで、とても綺麗だと思った。
時にその手は、優しく頭を撫でてくれたり、いやらしく身体の線をなぞったりするんだろうか。あの手で撫でられたら、多分私はそれだけで気をやってしまいそうだ。
「……っ」
授業中なのに、破廉恥な妄想ばかりしていると途端に身体がムズムズしてくる。全身が粟立つ感じに膝を擦り合わせ疼きを逃そうとしてみるものの、頭の中の柳くんに身体は疼きを増していく。
なるべく授業中は考えないようにしているつもりだったが、斜め前にいる柳くんを見てしまうと妄想が捗っていけない。時計を見ればあと数分で最後のチャイムが鳴る時間だった。授業は全く聞けていない。
すぐさまノートに板書を写そうとシャーペンを握りしめるが、頭は切り替わっておらず黒板と柳くんを私の視線は行ったり来たりを繰り返す。その時、無意識に擦り合わせていた膝に、下腹部の疼きに合わせて力が入った。勢い余って机にぶつかり、思った以上にガンッと大きな音が鳴ってしまった。
「苗字。どうかしたか?」
「……あ、えと」
音に気づいた先生が、黒板から振り返りキョトンとした目を向けてくる。合わせて私より前の席にいる生徒達もこちらを向いていて、かなり気まずい状況だ。
何か言わなきゃと内心焦りながらチラリ視線を泳がせると、柳くんも私を見ていて、目が合った瞬間心臓が飛び出るかと思った。
動揺しすぎて思わず立ち上がり「ト、トイレに行きたいです!」と言い放った私の耳へ、次に届いたのは授業の終わりを告げる鐘の音。
先生は「授業は終了みたいだな。行って来ていいぞ。苗字」と朗らかに言う。皆も私から視線を外し、各々背伸びをしたり席を立ったりしていて、私は広げた教科書やノートもそのままに、静かに教室を出た。
向かうはトイレでは無く、目的地は屋上。早く自分で自分を慰めたいと思い、歩くスピードが少し上がる。お昼休憩時ならともかく、授業の合間にある休憩時間に屋上へ来る人はほとんど居ない。校内から屋上へ出る扉からは見えない、死角になる場所も分かっているので、私の後に突然誰かが来ても大丈夫。
階段を上がって屋上の扉を開けると、真っ先に給水塔の方へ。塔の横には設備室の小さなコンクリートで出来た建物があり、私は塔と建物の間へ身体を滑り込ませた。
身体の敏感な箇所がじわじわと熱くて、地面に腰を下ろすやいなやスカートの中へ手を伸ばす。下着の上からでも分かるくらいそこは湿っていて、ぐり、と少し手に力を込めれば電撃が走った様な快感に襲われた。
「……っは、んん、」
見つかるとは思っていないが、なるべく声は出ない様に片方の手首辺りを噛んで押し殺す。これはいつも、学校でどうしようも無くなって自分を慰める時、私が声を押し殺す方法だった。お陰で手首には薄ら噛み跡が出来ている。今はまだ長袖だが、半袖の時期になるまでにはもっと違う方法を見つけないと。
「ん……う、や、」
柳くんに触られているのを想像して、下着の上からぐりぐり押しつぶす様にして手を動かすと、段々と見えてくる終わり。お尻の辺りに力が入って、足は震えてくる。膝の裏には汗をかいていて、雫が太腿を伝った。上履きを履いている中で、足の指はぎゅっと縮こまり、身体は限界に近づいていく。
自然と手に力が入ってゆき、ぐに、と指を押し付けた瞬間、目の前が揺らいだ。
「や、なぎく……! っんん!」
快感のあまり噛んでいた手首から口が離れ、呟いたのは彼の名前。生理的な涙が流れて、身体には倦怠感がどっと襲った。
「……はあ、は、……ふう」
深呼吸をして、身体を落ち着かせる。この後は本日最後の授業が待っている。あんまりゆっくり余韻には浸っていられない。
ハンカチを制服のポケットから出して、汗で濡れた肌を拭っていく。噛んだ左手首は少し赤く、歯型が残っていたので、見えないようにシャツとブレザーの袖口をきっちり伸ばしておいた。だけど手を上げたりすれば袖が捲れて見えてしまう位置に跡があるので、注意しなきゃ。……リストバンドでも買おうかな。
時間にして一、二分だろう落ち着く時間を取ってから、最後にもう一度深呼吸をして立ち上がる。
耳を澄まし、誰の声も聞こえない事を確認して、給水塔と建物の間から出た。――その時だった。
「苗字」
狭い隙間から身体を出した瞬間、自分の斜め後ろから声がして、バッと勢いよく振り返ると、そこにはよく知った顔。
「や、やなぎく……」
み、見られ……見られてた?よりによって柳くんに?もしかして、一部始終を見てたんだろうか。でもどうしてこの隙間にいるのが分かったのか。
私の名前を呼んだあと何も言わず、いつも閉じている目を薄ら開けてこっちを見ている柳くんに、背筋が凍る思いがした。どうしよう、どうしようと考えるが、見られていたなら言い訳なんて効力は無い。ましてや賢い柳くんに、口で勝てる筈もない。
先程自分を慰めていた時とは違う汗が、背中を這っていく。冷たくて身震いしそうになっていると、ふと柳くんが「あと二分足らずで予鈴が鳴る。授業に遅れるぞ」と、普段通りのように言った。
薄く開けていた目は既に閉じていた。
「え、あ……うん」
もしかして、見られていなかったんだろうか。私が終えた後、息を整えている時に屋上へやってきて、たまたま隙間から出てくる私を見つけたとか。
柳くんの一歩後ろから、彼を見つめてみるが私は心が読める訳でもないので何も分からない。
結局、教室に入るまで柳くんは何も言わなかった。どうして屋上に居たのか、何か見たのか、聞きたい事は山ほどあるが、もし彼が何も本当に見ていなかった場合墓穴を掘る事になってしまう為、聞けなかった。
もし見ていたとしても、柳くんは誰かの痴態を他に言いふらすような人では無い……筈。
本鈴が鳴り、先生が教室に入ってくる。授業が始まっても私はまったく集中できなくて、噛んだ左手首を服の上から握り、斜め前に座る柳くんの背中に向かって届く筈もない念を送り続けた。
もし見ていたとしても、誰にも言わないで。と。