二度目、三年目の生

『君は、仮の名前・仮の名字……だね? ……ほう。なかなか難しい境遇のようだ。さてどこの寮が良いか……ふむ』
『寮はどこでもいいです。それより私の心の中に見たものをもし誰かに言ったら、あなたを一生恨む』
『ほう! 恐ろしい事を言うお嬢さんだね。良いだろうとも。霞がかっていてはっきり見えた訳じゃないが……誰にも言わないと約束しよう』
『ありがとうございます』
『よし、よし。では! スリザリィィン!』
 
 そんなやりとりを脳内で交わしたのは組み分け帽子とだった。組み分け帽子は心を見る。霞んでいたとは言っていたけど、きっと私の心の中で色々見た事だろう。これは分かっていた事で、避けられない事でもあった。
 私の様な小娘の脅し紛いな発言が効いているかは全くもって謎だが、誰にも言わないと約束してくれたボロ帽子を信じる他なく、私は宣言された寮の名前を静かに聞いた。

 
 ホグワーツ魔法魔術学校に通うようになって、二年。あっという間だった。
 入学当初に組み分けされた寮はスリザリンで、私が思っていた寮では無かったが、それは特に問題ではない。
 目立たず静かに、"その時"を待つ分には私はどの寮でも良かった。
 
 私がいるスリザリン寮とは真っ向から敵対しているような雰囲気が漂うグリフィンドール寮には、ハリー・ポッターという男の子がいた。彼とは話こそした事はなかったが、側から見ていると、とても素直で、良い子。それでいて気に入らない事があると時折癇癪を起こすような、そんな男の子。普通の、年相応の男の子だと思った。彼といつも一緒であるウィーズリーやグレンジャーがいるからこそ、ポッターという男の子はグリフィンドールの名に相応しいような勇敢さを垣間見せているように思う。三人だから、凄いのだと思った。
 そしてその勇敢さを発揮して、ポッターはホグワーツ城に隠された秘密の部屋へ自ら赴き、ヴォルデモートの記憶、分霊箱であるトム・リドルの日記を破壊した。
 それが、前期に起こっていた事である。
 休みが終われば、私は三年生になる。


 終業式が終わった後は、私も例に漏れず、他の生徒と同じようにホグワーツから帰省している。そして夏休みに該当するこの長期休暇を使って、私は短期のアルバイトをしていた。
 魔法の世界ではなく、マグルの世界で。
 一年の内たった二ヶ月程しか働けないが、職場は毎年同じだった。生産工場のような、黙々と作業をする様な職場で。毎年、丁度休暇中に短期アルバイトの募集が出る職場だった。日本でいう年賀状を仕分けるバイトのようなものだろう。そういう、特定の時期だけ人員を増やす、そんな募集に私は毎年応募し、そして働いていた。
 私はそうして、ホグワーツで必要となる学用品を買う為の資金集めをしている。
 
 今年も休暇いっぱい働き、ふくろう便で届いた学用品リストを持って、まず向かうはグリンゴッツ銀行。マグルのお金を魔法界のお金ものへ換金する為だった。
 三回目となると慣れたもので、スムーズに換金してから必要になるだろう金額だけを持って、速やかに学用品を購入していった。
 
 家に帰って、翌日に控えた登校に備えてトランクに必要なものを詰めていく。学校で使うものから、着替えなど、必要最低限のものしか入れないトランクはまだまだ隙間があるものの、私はそのまま蓋をしめる。
 そしてベッドに寝転びながら、シリウス・ブラックが脱獄したという見出しのある新聞を見て、少し眉を顰めた。
 

 三年生が始まって、新学期を迎えた大広間はそれはもう賑やかだった。
 アズカバンから脱獄したというシリウス・ブラックの話でどの寮のテーブルも持ち切りだった。
 重ねて二つの教科の担当教員が代わった事でも賑わいをみせていた。
 私が座っている席から少し離れた場所ではドラコ・マルフォイが新しく魔法生物飼育学の担当になったハグリットの事を大っぴらに蔑んでいる。
 私はそれを微かに聞きながら、教員席に座る自身の寮の寮監へ視線を向けた。

 全身を黒い衣服に包んだ彼――スネイプ教授は、いつ見ても眉間を寄せている。今日も変わらないその表情を私はこっそり観察して、そしていつも少しだけ、苦しくなった。
 スネイプ先生。心の中でだけ彼の名前を呟いてみる。
 余計に苦しさが募った気がして、それを払拭するべく、全く食べる気にならない豪華な朝食を無視し、カボチャジュースのみを胃に流し込んで私は早々に席を立った。
 たまにこっそりと屋敷しもべ妖精に無理を言って作ってもらっていたおにぎりが恋しくなった。


 涼しさが頬を掠める中、お昼は屋敷しもべ妖精に貰ったミートパイを一切れ持って太陽の元へ出た。
 中庭にある大きな木の根元で、まだ少し温かさが残るパイを齧る。美味しい。
 そのままボーッと、空を揺蕩う雲を見上げていると、ふと視界の端で黒い影が揺れ動いた。スネイプ教授だった。

「Ms.仮の名字」
「こんにちは、スネイプ先生」
「こんな所で何をしている」
「何も」

 教授たちとは――特にスネイプ教授とは、授業以外では殆ど話をした事が無い。だが稀にこうして、私が一人でいる時に声を掛けてくる事はあった。淡々と、問われた事に答えていく。
 
 そもそもの話だが、私はあまり英語を話すのが得意じゃなかった。聞き取ったり、読み書きに関しては今のところ魔法でなんとかなっているが、自身の話し言葉だけはどうにもならず、こればっかりは魔法で聞き取れている英語を基にしながら、少しづつ覚えるしかなかった。
 しかし英語話者に二年も囲まれていれば多少なりとも話す事には慣れたもので、わざわざ言葉が違っているとか、どうのこうのと言ってくる人は、今では殆どいない。だけれど周りの人間よりは、私の話すスピードは比較的ゆっくりだった。それを煩わしく思う人もいる。
 今、私に話しかけているスネイプ先生のように。

「Ms.仮の名字。授業以外でも勉学に励めとは言わないがね。そのように暇を持て余すくらいなら図書室から本の一冊や二冊借りて読む事ですな。口にしながら読み込めば、その幼稚な話し方も多少改善されるだろう。時間は有効的に使いたまえ」
「そうですね。そうします」
 
 言い放たれた嫌味に、ニコリともせず答える。
 スネイプ教授は、ポッター程ではないが、ちくちくと嫌味っぽい事を述べるのは自寮の生徒にもままあるようだった。私に関してはいつも「幼稚な話し方を改めろ」とか「他の者の三倍は時間がかかっている」とか、そんなような私のゆっくりな話し方に対して皮肉めいた事を言ってくる。そんなに嫌なら話掛けて来なければいいのにとも思う。事実、私からは話しかけた事なんてないのだ。ただの一度も。授業に関する質問でさえした事がない。
 私の事を思っての事なら、もう少し言い方を改めてくれてもいいと思うのだが、彼にとっては憂さ晴らし程度の事なのかもしれないので、私は特に何も言わなかった。
 
 フン、と鼻を鳴らすのが聞こえる。どんな顔して指摘しているのかと表情が気になる所ではあるが、私はいつも校長であるダンブルドアと、スネイプ教授の二人だけとは、いつ何時も目を合わさない様にしている。そのためどんな表情で今、彼がその嫌味を言っているのかはあまり分からないが、多分、いつもと変わりない顰めっ面か、ポッターをいびっている時のような薄笑いなんだろう。

 座っている私の膝に飛んできてくれた小さな一羽の鳥をひと撫でして、私は一言「失礼します」と、隣に立っているスネイプ教授へ告げてから城へ戻った。彼がどんな顔をしているかはやっぱり見ていない。
 

 占い学でグリムの話をされていたポッターと、ある休日の日に廊下ですれ違い、そういえば、シリウス・ブラックは黒い犬のアニメーガスになれるんだったかと考えながら、青々とした空の下へ出た。
 ぼうっと雲の行く末を眺めていると、「我輩の言った事を覚えているかね」そう声が掛かる。よく知る声だった。

「こんにちは。スネイプ先生」
「暇を持て余すなら本でも読めと、申し上げた筈だが?」
「はい先生。そうします」

 またもや空を眺めている私を見つけたスネイプ教授の顔は見ず、適当に肯定の意を返す。
 実際、言われた通りに本を読むなんて事はしないのだが、「嫌です」なんて馬鹿正直に言った日には何を言い返されるか分からない。
 話し込む気も無いので、立ち去ろうと腰を上げれば、スネイプ教授は一つ溜め息を静かに溢し「する事が無いのなら付いて来たまえ」と、私の返事を待たずして長いローブを翻した。

 仕方なく真っ黒な背中を追いかけていくと、湖の近くで彼は立ち止まる。
 この辺りに群生している草を摘めと。私に命じた。私より少し上の学年の、魔法薬学の授業で使うらしい。
 スネイプ教授言う通り私は暇を持て余していたので、目当ての草の見た目と、摘み取り方を教えて貰い、そこから時間にして一時間程だろうか、終始無言で草を摘んだ。

「ご苦労」

 本当に思っているんだろうかと思う程の労いの言葉を貰って、作業が終了した。
 目の前に広がる湖が太陽を反射して綺麗だったので、私は少し散歩してから城へ戻ろうと考えていたのだが、スネイプ教授は私がそれを言うより早く、「来たまえ」と踵を返し城の方へ歩いて行ってしまう。
 せっかちなのかな、なんてぼんやり考えながら私はまたその黒い後ろ姿を追いかけた。

 スネイプ教授から二歩ほどの距離を開けながら城へ戻り、大広間に繋がる扉を横目に通りすぎ、地下への階段を降りる。そうして辿り着いたのはいつもスネイプ教授が教鞭を取る魔法薬学の地下牢教室。の、横にある彼の研究室だった。
 几帳面そうだと思っていた彼の研究室は、お世辞にも片付いているとは言えない雰囲気だった。次年度の授業の準備などで忙しいんだろうか。部屋には薬草というか薬品というか、そんな匂いがふんわり漂っている。執務机には羊皮紙や本が雑多に置かれ、床にも材料だろうものが入った木箱が沢山。とにかく物が多い印象だった。棚にも沢山の本と、瓶詰めにされた生々しく感じる何かが所狭しと並んでいた。これも魔法薬の材料なんだろう。授業で扱った覚えのあるものもある。

「そこへ座れ。休憩を挟んでから、先程摘んだ薬草の葉と茎を切り分けてもらおう。暇で暇で仕方がない君への仕事だ」

 さりげなく嫌味を含ませて、スネイプ教授は言う。正直なところ本を読むよりは良い暇つぶしになるので、作業を手伝うのは全く問題ない。
 短く了解の返事をして、休憩をと指定された革張りのソファへ腰をおろした。
 スネイプ教授が杖を振ると、部屋の奥の方からティーセットがふよふよと宙を舞ってやってくる。まもなくテーブルへ着地した其れへ視線を向けていると、スネイプ教授は私の対面にあるソファへ腰掛け、ゆったりとした湯気があがるティーカップを取った。
 そして私の為に用意されたんであろうもう一つのティーカップへ手を差し向ける。飲んでいい、の意味だろう。

「ありがとうございます。でも、結構です」
「Ms.仮の名字。君は東洋の――日本人だと聞いているが、まさか紅茶を飲まないなどという訳でもあるまい」
「私も日本人も、紅茶は飲みます。でも、すみません。私、人から出されたものは口にしないようにしていて」
「……何故、と聞いても?」
「そう決めてるだけです」
「ほう。なるほど。人の善意を無駄にする、という事を君は心に決めていると。そう捉えて宜しいのですかな?」

 スネイプ教授の放つ空気がぐっと重くなったが、それでも私は目の前のティーカップを取る事はしない。
 他の先生や生徒に関しては気にしていないが、ダンブルドアと、特にこの人が出す物は絶対口にしないと前々から決めていた。何か混ぜられていては困るのだ。例えば真実薬とか。
 私みたいな平凡な生徒にそんな事をするとは思えないし、真実薬は生徒に対しての使用は禁止されている筈だが、念の為である。
 目を合わせない様にしているのも、一種の予防の為だった。杖も無く無詠唱で開心術を使える人だという認識があったからだ。もしかしたら彼にとっては目を合わす必要すらもないのかもしれないけど。そのあたりはよく分からないが、注意しておいて悪い事はない。
 私には、知られたくない事が山程あるのだから。

「すみません。でも、そう決めた事なので。私、作業始めますね」

 紅茶も飲まずただソファに座っている訳にもいかないので、さっきスネイプ教授が言っていた作業を先に始めるべく席を立つ。
 座っている彼の横を通りすぎ、ついさっき摘んできたものを机に広げた。
 指示を仰ぎつつ切り分けている最中、私とスネイプ教授の間に業務的な事以外の会話はなかった。

 その日の事が原因なんだろうか。分からないが、スネイプ教授は私を見つけると声を掛けるだけじゃなく、何かしらの手伝いを命じてくるようになった。紅茶は、あの日以来出されていない。
 もしかしたら何かしら思う事があって呼びつけられているのかもしれないが、断ったら断ったで嫌味が爆発しそうである。だけどそもそも断る権限も理由もないので、二つ返事で了承する。
 今日は夕食前の時間に、魔法薬の材料たちを色々なカテゴリーに仕分けする作業を言いつけられた。
 私は大きな木箱に雑多に入れられた、まるで雑草にも見える草たちを同じ物同士にひたすら分ける。
 私がひとつひとつ、ほとんど同じように見える草を仕分け並べていると「呼び寄せ呪文を使えばよかろう」と。魔法使いとしてもっともな事を言われた。

「マグル式で、とは誰も言っていない」
「そうですね。でも、大丈夫です。手で分けた方が早いです」

 そもそも呼び寄せ呪文――アクシオは、物の名前も分かっていなければならない。雑多に混ざった物の中から一つのものを呼ぶなら尚且つのこと。私は箱の中の草がなんという名前なのか、殆ど分からない。
 どれを呼べばいいのか分からないので、とスネイプ教授の方を見もせず答えた。というかそもそも、仕分けはもうすぐ終わりそうなので今更である。
 スネイプ教授からの返事はなかった。

「終わりました」
「ご苦労。そろそろ夕食だ。大広間へ行きたまえ」

 作業が終了した事を報告すると、スネイプ教授は沢山の羊皮紙に何かを書き込みながら
、私の方を見もせず答える。レポートの採点でもしているんだろうか。時折、呆れた様なため息を溢している。
 私は「分かりました」とだけ言って、魔法薬学の教室を後にした。