人魚姫


352話を見て。いろいろ嫌なこといいことあるけど、とりあえずこれが一番起きてほしくないわ。と思って、それが助かるなら他を失ってもいい、と思って、こんな話ができました。
ハピエンではないので、せめてメリバであって欲しい、と思っています。


*   *   *


ちりぢりになったヒーローたちは作戦通りにヴィランを制圧した。これからは世界の復興という役目が待っていて、ヒーローたちの戦いは終わりが尽きない。
主軸の一人であった炎司は、戦いでボロボロになった体を押して、病院に駆け込んでいた。己の治療のためではなく、運び込まれた息子を心配してのことだった。
警察病院の一つであるそこには荼毘が運び込まれている。自分の命を問わない無茶な戦いぶりで、荼毘は生死の淵を彷徨っていた。
荼毘は凶悪なヴィランであり、この大きな戦いの重要な参考人でもある。警察や医師たちは何とかその命を助けようと躍起になっていた。
病院に着くなり、炎司は荼毘の担当医に呼び出される。それはエンデヴァーではなく、轟炎司として、荼毘ではなく燈矢の状況を説明するための呼び出しだった。
医師は燈矢の状態を事細かに説明し、なんとか命だけは助かる状態に向かっていることを告げる。炎司はホッと胸を撫でおろすと、医師に感謝の言葉を述べ、深く頭を下げた。安心とともに強張っていた表情が緩んだ炎司だったが、医師は険しい顔を崩さなかった。
「非常に、申し上げにくいのですが」
医師はそう言って小さく息を吐く。狭い診察室には重苦しい空気が満ちていた。
「このまま命が助かっても、彼が少しでも個性を使おうとすれば、その命は持たないでしょう。それくらいギリギリのところで命を繋いでいます」
炎司の血の気が引いていく。今度こそ燈矢が助かるのだと思った希望が目の前から消えていった。
息子の死を覚悟しろと言っているのだ。炎司はそう理解する。炎司は希望から一変して絶望に落とされた落差から眩暈がした。
それは息子の二度目の死だった。だが今度こそ死に目に会えると思えば不幸中の幸いのような気もした。つらく、悲しくて仕方がないのに、炎司はショックのあまりに感覚が麻痺していた。
分かりましたと炎司は答えた。腹を括るしかないのだと思った。
蒼白する炎司を見て医師は慌てた。「待ってください。本題は別にあるんです」
かつて、死穢八斎會との戦いにおいて、壊理という少女が持つ個性が武器として利用されたことがあった。少女のもつ「巻き戻す」個性は、個性を消滅させる凶器となった。
少女が保護された後、その個性は警察が研究していた。ヴィラン制圧に役立てようとしていたのだ。
「わずかですが、薬があります。個性を消す薬です」
荼毘はその強烈な個性を持って多くの命を奪った。だがこの超常社会において「個性」を消すということは、人の尊厳の奪う行為である。だがこの場合、「個性」を消さねば荼毘の命は持たない。
「どうしますか?」
故に、医師はその判断を家族である炎司に委ねたのだ。
医師の言葉が炎司の身に重くのしかかる。命がかかっているとはいえ、燈矢から個性を奪うことがどんなことか、炎司は誰よりも理解している。
燈矢にとってその個性は拠り所だ。父に愛されるために磨き続け、その強い思いはこうして身を滅ぼすほどになった。それを家族だから、父だからといって、その行方を簡単に決められるものではない。
しかし時間がなかった。投薬は燈矢が眠る間に行わなければならない。炎司以外の家族にも連絡を取って確認するほどの時間はなく、炎司が今ここで決めなければならなかった。
あまりに重い決断を強いられ、炎司の身がすくむ。それでも、炎司の意思はもう決まっていた。

*   *   *

長い眠りから目を覚ますと、そこはコンクリートの壁に包まれた場所だった。体中に管が繋がれ、口には透明なマスクを着けている。燈矢は薄く開いた瞼から、目玉だけをきょろきょろと動かして辺りを見渡した。
捕まったか。燈矢は達観するように思った。理想通りとはいかなかったが、ポンコツな体でよくやったものだと自身を賞賛する。やれる限りは尽くしたという実感があった。
生きていることさえ奇跡だと思いながら、指一本動かない体を燈矢は鬱陶しく思う。今後はヒーロー連中のオモチャになるのだと思うと今からため息が出た。
ベッドの端には父親がいた。待ち疲れたのか、燈矢のベッドに突っ伏して寝ている。
焼き切れた喉で声を出すことも叶わず、燈矢は黙って炎司を見つめた。その内、視線に気付いたのか、炎司がハッと目を覚ました。燈矢が目覚めたことに気付くなり、父が嬉しそうな顔をしたのが燈矢には印象的だった。
「起きたのか。よかった。体の具合はどうだ?」
思いつくままに喋る父に燈矢は無言だった。燈矢が喋れないことに気付いていない炎司は無視されたのだと思い、だんだんと沈んだ表情になった。
気まずそうな顔をして黙る父を燈矢はじっと見ていた。自分との戦いから逃げた父親がこうして目の前にいることが不思議だった。
焦凍との戦いの中で、燈矢はこれ以上自分の体がもたないだろうと思っていた。これが最後の戦いとなり、己の炎に焼かれて死んでいくのだろうと思った。
だがたまたま生き残ることができた。それが嬉しいとも思わないが、結果、燈矢はこうして父と顔を合わせることができた。
結局父は自分を選ばなかったが、こうしてここにいるということは、おそらく、自分が目を覚ますことを父は待っていたのだ。
燈矢はそれを、素直に喜ぶことができなかった。今更なにをと、憎まれ口の一つくらい言いたかったが、この役立たずの体はそれすらもできない。
燈矢は言葉の代わりに小さな炎でも燃やしてやろうと思った。それは反射的なもので、いつもなら特に意識せずとも起こせたことだった。
しかし燈矢の体からは何も出なかった。燈矢は自分の体に何かが起きたのだと気付く。
それは負傷しているから炎が出せないとか、そういう単純なものではないような気がしたからだ。例えるなら体から魂が抜けたような感覚が燈矢にあった。
違和感の正体を、目の前の父親が知っているのだと燈矢はすぐに分かった。そうでなければ、自分を捨ててきた男が目の前にいるはずがない。
燈矢は訴えるように炎司を睨む。ヒーロー連中が自分の体に何をしたのか聞かねばならない。
燈矢の鋭い視線から炎司はすぐに悟った。燈矢が自分の体に起きている異変に気付いたのだと思った。
炎司は燈矢の視線が怖かった。あまりにいたたまれなくなって、炎司は容易に話を切り出せなくなった。
燈矢がその身に起きたことを知ったらなんていうだろうか。炎司は自分自身がそうなった時の想像をし、胸が痛くなった。
己の個性を拠り所として生きてきたのは炎司も同じで、その個性を失ってしまったら生きる意味をなくしてしまう。自分によく似た燈矢も、きっとそう思うはずである。
炎司は緊張で喉が渇いた。カラカラの喉ではうまく喋れないが、それでも勇気を振り絞らなくてはいけない。
「燈矢。わかっていると思うが、お前の体はボロボロだ。少しでもその体に負荷がかかったら、お前の命は危ないんだ」
炎司は回りくどく話し始めた。少しでも心の負担を和らげるように、なるべく柔らかく説明する。炎司はこれ以上、燈矢を無駄に傷つけるようなことをしたくはなかった。
「つまり……。お前に、個性を消す薬を使った。お前の命を助けるために、俺がそう決めた」
こんな話を聞かされて、燈矢はどんな顔をしているだろう。炎司はショックを受ける息子の姿を想像するだけで辛く、燈矢の顔をまともに見ることができない。
炎司は逃げ出したい気持ちになった。無個性となったわが子を見る勇気が出ず、背中を丸めて俯いた。病室の空気が増して重くなっていった。
大人しい父を前に燈矢は頭が真っ白になった。求められたヒーローになれないどころか、遂には個性そのものが消えてしまった。
無個性となった己は恥を晒して生きていくのと同じで、燈矢には耐えられそうにない。自分の生きる意味であった個性を失うなんて燈矢にとって何よりの屈辱で、いっそ死んだほうがマシだと思った。
燈矢は俺を殺してくれと叫びたかった。しかし焼けた喉ではそれも叶わない。
これはヒーローたちが己に下した罰なのだろう。燈矢は動かない体を見つめながらそう思った。
炎司は燈矢の言葉を待っていたが、燈矢は黙り続けていた。燈矢は喋りたくても喋れないだけだったが、殆ど燈矢を見られない炎司にはそれがわからなかった。
黙り続ける燈矢は炎司にとって無言の圧力となる。また逃げている己に気付き、炎司は顔を上げた。しょぼくれた顔をした父と、燈矢の視線が合わさった。
「すまない、燈矢。お前から、個性を奪うことがどんなことか、わかっている。……」
炎司は焼け爛れた燈矢の体を見て顔をくしゃくしゃにする。ツンとする鼻で、ますますうまく喋れなくなりそうだった。
それでも。炎司は絞り出すように言葉を続ける。
「お前に、生きてて欲しかった」
炎司はひとすじの涙を零す。一度目から溢れたそれは、ぽろぽろと落ちて止まらなくなった。
生きていて欲しいという自分のエゴで、炎司は息子の命とも呼べるものを奪ってしまった。
燈矢から尊厳を奪うのはこれで何度目だろうか。炎司は燈矢に申し訳なく思うが、それは悩みぬいた決断でもあった。燈矢にひどく憎まれるだろうとわかっていても、炎司は燈矢に生きていて欲しかった。
炎司は泣きじゃくり、ひたすら燈矢に謝り続ける。償いきれない罪を背負っているのは炎司も同じだった。
燈矢は自分のベッドのそばで泣き続ける炎司をじっと見ていた。焼けた喉は相変わらず使い物にならなくて、燈矢は黙ってその姿を見つめていた。





単純に声が出ないから人魚姫にしたわけではなく
そもそも大切な個性を失ってしまったというところから人魚姫にしました。
でも話の中で一度も声が出せないので、結果そういう意味で人魚姫みたいだなって思いました。

万が一続きがあるなら、人魚姫の声=この話の個性なので、退院した荼毘は普通に喋ります。

2022/05/22