理屈じゃない5
帰宅後、炎司は家族に対し、燈矢に会ったことを伝えなかった。燈矢に会ったと伝えれば、きっと家族は燈矢の住まいに興味をもって、遊びに行きたいというに違いない。しかし燈矢のみすぼらしいアパートを見れば、きっと家族は傷付くだろうと炎司は思った。それはそうまでしてでも家を出た燈矢を見て、炎司自身がショックを受けていたからに他ならない。
炎司は家族に内緒にしたまま、時間を見つけては燈矢の家に訪ねて行った。いつ訪ねても燈矢は留守にしていて、炎司は仕事が忙しいのだと思った。燈矢の生活を心配した炎司は、適当な食材を買ってはドアノブに引っ掛けて帰っていった。小さなメモを残していけば、手の空いた時にでも食べてくれるだろう。炎司はそう期待しながら、一方的な思いやりをそっと置いていく。炎司は燈矢の好物もロクに知らず、しょっぱいものや甘いもの、加工肉や珍しい調味料、流行りのものや会社でオススメされたものなど、その時々に詰め込んでいた。
用意した雑多な買い物袋の中に、炎司はいつも葛餅だけは必ず入れるようにしていた。それは炎司の好物であったが、父の真似をしたがった幼い燈矢が、父に貰って食べた時に、とても嬉しそうにしていた思い出があったからだ。少なくとも嫌いではないだろうと思った炎司は、気に入っていつも食べていた葛餅を、買い物袋の中にそっと忍ばせていた。
燈矢の帰宅時間は不規則だ。日付を回って帰ってくることもある。そういう時はいつも職場の先輩にご飯へ連れていかれる時である。
炎司が残していく買い物袋を、燈矢はいつも呆れながら回収する。中には高そうな缶詰や贈答品のような肉、宝石のようなフルーツが入っていて、悪いものではないが、世間ずれした父を見るようで燈矢に笑いがこみ上げる。
葛餅だけが毎回必ず入っていることにも、燈矢は気付いていた。燈矢にとって葛餅は、特別好きでも、嫌いでもなかった。ただ燈矢が父の真似をして葛餅を食べたいというと、父はとても嬉しそうな顔をする。燈矢はそんな父が見たくて、子供の頃はよく父が食べている葛餅をねだっていた。
ただそれは、もう十年以上も前の話だ。父にとって自分の思い出がそこで止まっているという証拠でしかなく、燈矢は無神経な父に苛立った。どうせ自分が出ていった意味も分からないまま、自己満足な優しさを重ねることで父は己を慰めているのだろう。
燈矢はそういう父が大嫌いな一方で、体の芯に眠る本能が燈矢の体を燃やしていた。それは全身から焦げ臭い匂いが漂うほど昂っていて、燈矢は自身の面倒臭い感性を嘆きつつも、そんな自分にすっかり慣れてもいた。昂る熱が下半身に降りてくるのを感じながら、燈矢は部屋の扉をゆっくりと閉じていった。
2021/03/23