天使なんかと恋6


悟空が助っ人活動をやめると宣言した後、運動部では軽い騒ぎになった。しかし騒いでいた運動部たちは、暫くすると悟空に甘えていたことを反省し、もともといた部員だけで頑張る様になっていた。カカロットはほっとしていて、それを知ったベジータは当然のことだといって気にしていなかった。
苦手だった勉強も、地球での知識が増えていくたびに理解できるようになり、毎日続いていた補習がついに廃止となる。付き合わされていた先生もようやく解放されたと喜んで、カカロットは再びベジータと一緒に帰れるようになった。
「なあ! オラの補習がなくなった記念に、どっか連れてってくれよ!」
カカロットは事の経緯を喜々として報告していう。なぜオレがそんなことを、とベジータがうんざりしていうと、約束したじゃねえか!とカカロットはむくれていう。
「お前には無理だってベジータがいうからよ。オラが赤点とらなくなったら、なんでもしてやるって、おめえ言ってたぞ」
勉強が一向に身につかず、いつまで経っても赤点をとるので、ベジータは茶化すようにそんな発言をしていた。当時、珍しくカカロットがムッとして、それもまた面白くなったベジータは、得意げになってそんな約束をしたのだ。
「行きたいところでもあるのか?」
ベジータはすっかり忘れていたし、面倒だとも思ったが、約束を破るような男だと思われるのも心外だった。
「海!」
ベジータが素知らぬふりで尋ねると、カカロットはにっこりと笑ってそう言った。


二人は週末、電車を乗り継いで一番近くの海水浴場へ向かった。まだ海開きが始まっていないそこは、ぽつぽつと人がいるだけの寂しい場所だった。カカロットは海を眺めていても、あまり嬉しそうな顔をしなかった。自分が行きたいといった割に、随分と反応が薄い。
「楽しみにしていたんじゃなかったのか」
黙っているカカロットを見て納得のいかないベジータがいう。カカロットはうーん、と悩むように相槌を打つ。
「一緒に住んでいるじいちゃんが好きなんだ。ぴちぴちぎゃるがいて楽しいぞって。ぴちぴちぎゃるを見に来たんだけど、なんかじいちゃんから聞いていた海と違うなあ」
ベジータは腕組したまま足を滑らせ、ずるりと体が傾く。なんて間抜けな希望理由だろうか。
「カカロット、ぴちぴちぎゃるがなんだかわかってるのか?」
「知らねえからよ、海に来ればわかるんじゃねえかって思ったんだ」
ベジータは大きな溜息を吐く。カカロットのおじいさんが言っていることは、水着を着た若い女性のことを指すのだと説明してやると、カカロットは大きな声を出して驚いていた。そんなものを見て何が楽しいのかと不思議がっていて、ベジータは開いた口が塞がらない。
カカロットはがっかりしながら踵を返す。美味しい食べ物でもあれば来た甲斐もあるというものだが、あいにくと露店の季節でもなかった。
じゃあよ。カカロットはくるりと振り返る。がっかりしていた表情は明るくなっていて、相変わらずの切り返しの速さだった。
「温泉行こうぜ!」
おじいさんから聞いた話によると、ぴちぴちぎゃるを堪能した後、近くの日帰り温泉に入って帰ってくるというのがこの街の王道コースらしい。遠方から訪れるツアー客もいるほど賑わっているのは確かである。
「じいちゃんがベジータと裸の付き合いしてこいって。なんかいいんだろ、裸の付き合いって」
相変わらず漠然とした理解しかないカカロットにベジータが溜息を吐く。天使であるカカロットと腹を割って話したり、裸の付き合いをして何の意味があるだろう。
しかしカカロットはおじいさんのいう友達や仲間というものに憧れを持っていた。他人同士が距離を縮め、親しみを深めていくという感覚は天使にはない概念である。カカロットはベジータとその感覚を学びたいと思っていた。
だがベジータにとって、それはまるで自分が実験台にされているように思えた。ベジータは別の誰かにしろといったが、天使であるカカロットが嘘偽りなく話せるのは、悟空が天使だと知っているベジータだけなのである。しかしそんなことはカカロットの勝手で、ベジータの知ったことではない。
頑なに拒否をする悟空はとうとう観念し、ベジータとの裸の付き合いを諦めることにした。ベジータがホッとしたつかの間、その代わり、というカカロットの言葉に嫌な予感が走る。
足湯はどうだ? カカロットが指さす方向は、日帰り温泉の店だった。店舗の入り口の脇に、屋根付きの小さな小屋がある。
カカロットは拝むように両手を合わせる。いつの間にか、お願いのポーズを覚えていたらしい。どうしても温泉に入りたいカカロットに根負けし、ベジータは舌打ちをしながら首を縦に振った。
二人は受付で支払いを済ませると、入浴用のタオル一式を渡され、足湯の小屋へと向かう。わざわざここまで来て、日帰り温泉を利用せずに足湯に入る客はいないようで、その小さな東屋には誰もいなかった。二人は渡された籠に靴下を脱ぎ捨て、ズボンを捲ると、木製のベンチに座って湯の中に足を入れる。真ん中から噴き出るようにお湯が出て、温泉は常にきれいな状態に保たれていた。カカロットは仄かに香る硫黄の匂いに気付き、顔をしかめる。これが温泉の匂いだと知ると、感心するように頷いた。カカロットは温泉の匂いをしっかり感じ取ろうと目を閉じ、ふんふんと鼻を動かしていた。
カカロットは足を入れる湯の中に手を入れ、掬うように手で器を作った。うっすらと濁る湯を観察するように眺めた後、浸み込ませるように手足に塗り付け、変化を窺っていた。
「温泉に入ると体のいてえところがなくなるってじいちゃんが言ってたんだけど、あんまりよくわかんねえな」
「療養泉というやつだ。この足湯にもいろんな効能があるらしいな」
ベジータはそういうと、壁に貼ってある成分表を指さした。
「だがきさまが思うような、入ればすべてが治るといったものではない」
カカロットはまたがっくりと肩を落とす。人間界にもすごいものがあるのだと驚いていたのだが、それは思い違いだったようだ。
しかし想像するものとは違ったものの、温泉というのはなかなかいいものだとカカロットは思う。歩いて張っていた足の筋肉が温かい湯で解されていくのがわかる。ほんのりぬめりのある湯につかっていると、乾燥してガサガサだった皮膚がしっとりとすべすべになっている。
ふふ、とカカロットが湯を眺めながら笑う。温泉っていいな。
ベジータは少し間をとった後、まあな、と当たり障りのない返答をする。この街が観光地として人気があるのは、温泉地であることが大きい。それほど人間には人気のあるものなのだ。
カカロットは足を揺らし、ちゃぷちゃぷと音を立てて遊ぶ。浸かっているのは足だけなのに、体がじっくりと温められ、全身の筋肉がほぐれていく。ふうと自然とため息が出て、カカロットは自分がそれほどリラックスしていたことに驚いた。
ベジータはそれを黙って隣で眺めていた。何はともあれ、カカロットの初めての遠出は成功に終わったようだった。


2020/09/27