天使なんかと恋8


ベジータの住む街には歴史のある美術館がある。外観は古い洋館のようで、柱には綺麗な彫刻が施してあるとても美しい建物だった。ベジータは幼い頃、父に連れられ一度だけ訪れたことがある。由緒正しい家系に生まれたベジータは、教養として美術の知識も学ぶようにいわれていた。だが一度行ったきり、ベジータがその美術館を訪れたことはなかった。ベジータは芸術の類にはとんと興味が湧かなかったのだ。
そんな中、学園に美術館から定期のお知らせが届く。いつも通り内容も見ずに捨てるところを、ベジータの手が止まった。
“人が焦がれた光”
フルカラーの鮮やかなチラシに、その見出しは大きく記載されていた。表面は天使をモチーフにしたとても有名な絵画である。ベジータは学園長の権限で無料の招待券を貰っていた。

「カカロット、週末これを観に行くぞ」
ベジータは帰路を進みながら、貰った招待券をカカロットに差し出した。すっかり二人で帰るのが当たり前となっていた。
「なんだこれ」
「美術館の招待券だ。展示会のテーマが天使らしくてな。人間がきさまら天使をどんな風に見ているか知るのは勉強になるだろう」
カカロットは渡されたチケットと告知のチラシに目を向ける。人間たちが見たこともない天使を想像し、絵画や彫刻といった芸術に昇華しているらしい。いったいどんな姿を想像しているのか、考えただけで面白そうだとカカロットはチラシに載せられた絵画を興味深く見つめていた。
「……でも、オラいいや。ベジータ一人で行ってこいよ」
カカロットはそう言って渡されたチケットとチラシをベジータに返した。
地球の暮らしに随分慣れてきたが、それでもカカロットはまだまだ知らないことが多かった。知らないことがあるとなんでもベジータに尋ねて、すべて相手にしていると疲れ果ててしまうほどだった。ベジータはそんなカカロットを幼い子供のようだと思いながら、ベジータの話を楽しそうに聞いている姿を見るのが好きだった。きっと喜ぶだろうと思っていたベジータは、カカロットの言葉が意外でならなかった。
「……予定でもあるのか」
「え? あー、……そう、だな」
カカロットは唯一正体を知るベジータとほとんどの時間を共にしているが、学年が違うため、学校では別々に過ごしている。入学してから半年ほど経ち、いくら無知で無茶苦茶なヤツとはいえ、底抜けに明るい悟空という男がクラスメイトと仲良くないわけはない。ベジータも知らない友人なんていくらでもいることだろう。それどころか、地球に来てからのプライベートの時間のほとんどをベジータと一緒にいることがおかしいくらいだ。
きっと週末にはベジータが知らない友人との約束があるのだろう。ただそれだけなのに、ベジータはカカロットに断られたことが気にくわなかった。美術館の展示会はまだ始まったばかりで、来週でも、再来週でも、日程をあらためればいい話だ。それは分かっているのに、ベジータは自分の誘いを優先されないことが面白くなかった。
ベジータはカカロットに強請られれば、どれほど面倒でも時間を作ってあげていた。自分しか頼りになる者がいないのだと泣きつくので鬱陶しくてしょうがなかった。自分以外にも、カカロットの素朴な疑問の数々に答えられるヤツがいるのであれば、ベジータだって自分の時間を削られることもなく、気が楽になると思っていた。
「……フンッ。いつもオレの予定なんぞお構いなしに来やがるのに、オレの誘いには乗れないか。いいご身分じゃねえか、天使様よ」
しかしそう思っていたはずなのに、いざ別の友人を頼るカカロットを見るとイライラしてしょうがない。ベジータはどれほど取り繕うとしてもその苛立ちが抑えられなかった。
「そうじゃねえって」
「何が違うんだ。修行バカのきさまのために、オレが気を利かせて用意したチケットを断ってやがるだろ」
「そ、そういうなよ。今週じゃなくてさ、オラ、来週なら空いてるしよ」
「なんでオレがきさまのためなんかに予定を変えるんだ?」
……わかったよ。カカロットは俯き気味に答える。
気にくわなかった予定をキャンセルさせ、ベジータのイライラはなくなった。自分の思い通りになり、満足いく結果になったはずなのに、ベジータの気分は晴れなかった。
隣を歩くカカロットは沈んだ表情を見せていた。無理矢理予定を変えさせたのだから当然の結果である。ベジータは暗くなるカカロットを見ていられず、逃げるように顔を背けた。
ベジータはカカロットの喜ぶ姿が見たいだけだった。それなのに、隣にいるカカロットはベジータの想像した結果と程遠い。こんなはずではなかったと思っても、もう取り返しはつかない。苦肉の策として、やっぱり美術館の予定を来週に変えようといっても、これだけ無理を通したベジータが意見を曲げることに、結局カカロットは気を遣ってしまうに違いない。
ベジータは自分の勝手さに嫌悪しながら、カカロットに謝ることができず、やたらと長く感じる帰路を黙って歩いていた。

最寄りの駅から二つ隣へ進み、歩いて五分もない場所にその美術館はあった。二人は受付を済ませると、示された順路通りに展示された作品を見て回った。誘った時は一体どうなることかと不安なベジータであったが、いざ当日となるとカカロットとのわだかまりは消えていた。
展示された作品はほとんどが絵画で、描かれた天使の多くは人間の赤子の姿によく似ていた。神の指示に悩む姿や、天使たちが遊ぶ日常の姿、人間に手を貸す様子など、たくさんの芸術家たちが想像をめぐらせた様々な天使の姿が描かれていた。
芸術に興味の薄いベジータはどれも同じようなものにしか見えなかったが、カカロットは一枚一枚をじっくりと観察し、感嘆の声を漏らしながら興味深く見つめていた。
「どうだ。実際の姿と比べて」
ベジータは足を止めて眺めるカカロットに言う。考え事をしていたカカロットはそうだなあ、とぼんやりするように言った。
「似てんなってところもあるけど」
「どこかだ」
「みんなで遊んだりしてっとことか。でもこんな赤ん坊みたいな姿じゃねえな。人間に似てるのもいれば、全身が緑色だったり、黒だったり、地球の獣に似てたり、決まった姿はねえ。それは神様もおんなじだ」
天使の絵画には神様も描かれていることが多い。描かれた神様は成人した女性や男性の容姿をしていた。
「でも、オラたちがこんな風に思われてるって知ったのは、おもしれえ」
カカロットは口角を上げ、小さく微笑む。楽しんでいる姿をみてベジータはホッとしていた。
様々な展示物の中で、カカロットはとある一枚の絵画を特に食い入るように見つめていた。それは壁一面を埋めるほど大きな絵画で、画面にはふわふわの雲の上から地球を覗き込む天使の姿があった。
カカロットはその絵をよっぽど気に入ったらしく、魅入られたようにその絵画の前から動かなくなった。ベジータはカカロットの隣に立ちながら、同じようにその絵を眺める。だがやっぱり、ベジータにはその絵が他の絵画とどう違うのかはわからなかった。しかし愉し気なカカロットを見ているだけで、ベジータも愉しい気分になった。二人は巨大な絵画を見上げながら、暫く時が止まっていた。
美術館を訪れたその日は、ベジータがカカロットと出会ってちょうど半年が経つ日だった。色めく秋が終わると、ベジータは学校を卒業する。
カカロットの修行がいつ終わりになるのか、ベジータにはわからない。しかし学園を卒業すれば、カカロットとすれ違うことが多くなるだろう。ベジータは役に立たなくなる自分がカカロットにとって不要な存在になるだろうと思った。
はじめはカカロットのことを邪魔に思っていたベジータだったが、いまやすっかり修行の応援をしている。ベジータは悔いを残さぬように、カカロットと特別な思い出が作りたかった。
行くか。止まっていた時が動き出す。絵画に魅入っていたカカロットがくるりとベジータに顔を向けた。
ベジータは静かに頷き、その場を後にする。その美術館には光を求めて訪れる人々が絶えなかった。


2020/09/27