アイについて4
四
広い部屋の真ん中に置かれた、それはそれは大きなソファーの上に悟空は降り立つ。到着先が重力室だと思い込んでいた悟空は、見慣れない場所にきょろきょろと辺りを見渡していた。
「何の用だ」
足元から聞き慣れた声がした。腕を組み、仏頂面のベジータが薄いピンク色のシャツを着て座っていた。
「なんだその格好?」
悟空の問いにベジータは顔を背け、説明を拒否するように口を結ぶ。
「あら、孫くんじゃない」
部屋の奥の方がめかしこんだブルマが歩いて来た。濃いめの化粧をして、鮮やかな紫色のワンピースを着ていた。
「ごめんねー、これからみんなで遊園地行くのよ」
「遊園地? ベジータもか?」
「そうよ」
ブルマはご機嫌に笑う。悟空は再び視線を落とし、ベジータを見つめた。ベジータは黙ったままで、否定はしなかった。悟空が驚いている間にこんにちは、と子供の声がして、トランクスが明るく挨拶をした。小さなリュックを背負ったトランクスはとても嬉しそうな顔をしていた。ベジータが一緒に来てくれることは珍しいらしく、トランクスの輝く目が眩しかった。
孫くんも来る? ブルマが軽い調子で言ったが、悟空は邪魔はできないと言って断った。ブルマは残念そうな顔をしながら、次は孫くんの家族とみんなで行きましょうと微笑んだ。
「じゃあ悪いけど、行ってくるわね。重力室は自由に使っていいから」
ベジータが修業に付き合えない代わりに、ブルマは悟空に重力室の鍵を渡した。三人はカプセルコーポレーションの最新型マシーンに乗り込むと、仲睦まじく出掛けて行った。
悟空は一人取り残される。折角なので、渡された鍵を持って重力室に向かうことにした。適当にボタンを押して重力を設定すると、体全体に圧力がかかる。腕を上げるだけで筋肉が軋んでいるのを感じると、悟空は重力室内に置かれたトレーニングマシンを使って修行を始めた。腕立て伏せやスクワットなどで筋力の強化に専念する。
室内はやたら静かだった。それは自分の呼吸が耳につくほどで、悟空はなんだか落ち着かなかった。
重力室でのトレーニングは主にベジータと二人で行っていた。お喋りをしながら鍛えていたわけではないが、いつもは近くにいるベジータの気が遠いと、それだけでなんだか物足りないような気持ちになった。
ここ最近、悟空はベジータと修行を重ねていた。手合わせも、筋力トレーニングも、そこにいるだけで張り合いになった。
悟空は一人だからといって手を抜いているわけではない。だがどうしても集中出来ず、修行に身が入らないのも事実だった。
今頃家族で遊園地を楽しんでいるのだろうか。悟空は体を動かしながら、そんなことばかり考えていた。悟空は意外だったのだ。いくら結婚し、子どもにせがまれたとしても、ベジータが地球人らしい娯楽施設へ行くことはないのだと思い込んでた。いくら予定を組んでいても、自分が修行に誘えば、馬鹿馬鹿しいと言って遊園地に行かないような、そんな気がしていたのだ。
悟空はショックだった。自分がサイヤ人であると、事あるごとに口にしてきたベジータが、すっかり地球人のように家族と過ごしている。それは喜ばしいことなのに、悟空は自分が取り残されたような気持ちになっていた。
悟空は手に持っていたダンベルを置くと、重力室から出ていった。いくら忘れようと思っても、この場所でベジータのことを考えないことはできなかった。
悟空はパオズ山の奥に籠り、一人で修行をした。一心不乱に体を動かし、心の乱れを振り払っていく。だが体がヘトヘトになるまで動いても、頭の中には整理できない感情でいっぱいになっていた。きっとこのまま修行を続けても、何の成果も得られない。
悟空は情けない気持ちになりながら、びっしょり掻いた汗を流すために川へ入った。凍えるほど冷たい水が悟空の煩悩を少しだけ鎮めてくれた。
悟空はクリリンやヤムチャの言っていた恋の話と、さきほど家族と出掛けて行ったベジータのことで頭がいっぱいになっていた。クリリンやヤムチャのいうように、ベジータに会ったからといって、胸がドキドキするわけではない。しかし、もっと一緒にいたいと思うし、自分を置いて出掛けてしまったことにつまらない気持ちになったのは誤魔化しようがない。
はじめは修行が出来ないからだと思っていた。一人で修行するのと、相手がいるのとではできることの幅が変わる。しかし、一人で修行することなんて珍しいことではない。一人でしかできない修行もある。
ベジータと一緒にいたいのだと気付いてから、悟空はずっと悩んでいた。ベジータに対する気持ちは、きっと恋に近い。
しかし悟空にはチチがいる。家族を愛している。それは紛れもない事実だ。それに、ベジータに対する気持ちは限りなく恋に近いと思うのだが、恋ではない、という変な確信もあった。だがベジータに対する気持ちを人にいえば、きっとそれは恋と言う言葉で片付けられてしまう。もしチチに知られたら、どれほど悲しませるだろう。
悟空は水に浮かびながら、ぼうっと空を見ていた。雲一つない青々とした空がきれいだった。一日だけ生き返り、天下一武道会で戦った時も、こんな雲一つない天気だった。
ベジータに戦いを申し込まれ、殺してやるといわれたあの言葉を、悟空はまるで愛の言葉のようだと思った。悟空はあの時、自分の感覚を不思議だと思いながら、変だとは思わなかった。悟空はそのことを思い出しながら、あの時の感覚は、自分の無意識の願望だったのではないかと思った。
悟空は川に潜り、頭から水をかぶった。頭を無理やりにでも冷やしたくなった。
ベジータにとって自分は特別だ。悟空にはそういう意識がどこかにあった。しかしそれは幻想かもしれないと思うと、悟空は虚しい気持ちになった。悟空はベジータに対して特別な感情を持っている。そう確信したからこそ、自分の気持ちが一方的であることに悟空は悲しくなっていった。
悟空は川から上がると、自宅で使う巻を集めて家に戻った。チチに対する罪滅ぼしといえば些細なことだが、それでも喜んでもらえたので少しだけほっとした気持ちになった。
リビングのテーブルにはカラフルな包み紙のお菓子が並んでいた。ブルマ達が遊園地のお土産をくれたらしい。
「悟空さ、これ、ブルマさんたちが。今日は修行できなかったんだべ? 謝ってただよ」
またいつでも来てね、といって渡してくれたとチチはいう。悟空はチチに渡されたお菓子を一つ口に運んだ。サクッとした口当たりが心地のいい甘いクッキーだった。
2019/08/25