一億円の価値


社長好きすぎてうっかり告ったら一億持ってきたらヤラせてやるよって言われた話

*   *   *

誘っても誘っても二人きりを断られ早数ヵ月。根負けしたのか、気まぐれなのか、丑嶋が『イイよ』と何の抵抗もなく答えると、思ってもみなかった反応に柄崎は目を丸くしていた。
「なに? 行かねぇの?」
そういって煙草を咥える丑嶋を見て柄崎は我に返る。イキマス!! と大きな声で返事をすると、『ウルセー』と丑嶋が眉をひそめていった。
柄崎が選んだとびきりの焼き肉屋に行き、半ば店員を脅すようにして柄崎は個室を勝ち取る。丑嶋を独り占めできる時間なんて久しぶりで、もう二度とないかもしれないと張り切っていた。
嬉しくて、気分が良くて、その分酒の進みが早かった。酔っぱらって痴態を晒すなんてあってはならなかったが、大好きな人の前でセーブできるほど柄崎は理性的な人間ではない。あっという間に酔っぱらって、いつも以上に丑嶋に絡む。『ウゼェ』と言って拒絶されても、柄崎はめげることなく目の前の丑嶋を独占する。
「オレ、ホント好きなンすよ、社長のこと! そンなこと言わないでくださいよっ!」
柄崎の言葉に熱が入る。丑嶋以外誰もいないその場所で、自分を取り繕う必要はなかった。丑嶋はいつものように表情を崩さず柄崎の言葉を聞いている。丑嶋が無反応なんて慣れているはずなのに、折角の二人きりでもこうも冷たいと流石の柄崎も悲しくなってくる。
「社長! オレ本気なンすよ! なんでオレにばっか冷たいンすか!」
こんなに、好きなのに……! 柄崎はそう言って持っていたジョッキを机に叩き置く。ドンッと大きな音がして、勢いあまってそのままグラスが割れてしまいそうだった。
オイ、壊れちまうだろ。丑嶋はそういって、興奮して立ち上がる柄崎を見上げていた。
「そんなにオレのこと好きでどうしたいの?」
「えっ」
丑嶋は尋問するように柄崎をジッと見つめる。凄味のある鋭い瞳に見つめられると、たくさんの修羅場をくぐってきた柄崎でさえ怯んでしまった。
「ヤリてぇの?」
アルコールで茹でだこのように赤くなった柄崎の顔がふにゃりと崩れる。これがマサルや高田からの軽口ならば、そんなんじゃねぇとすぐに返せたのに、丑嶋から核心を突くように言われたのが初めてで、柄崎はどう答えることが正解なのか分からずに固まってしまった。
あ、あ、と意思のない債務者のように柄崎が言葉を詰まらせていると、助け舟を出すかのように丑嶋が言う。
「一億持ってこいよ」
そうしたら、考えてやる。
呆然とする柄崎に反して、丑嶋はいつものようなポーカーフェイスを崩さなかった。

*   *   *

柄崎が再び丑嶋をご飯に誘ったのはそれから三ヵ月のことだった。二人きりで、と念を押すようにいう柄崎はいつもと雰囲気が違っているのを、丑嶋はすぐに察するのだった。
茶化すことなく快諾する丑嶋にカウカウファイナンスのメンバーは内心驚いていた。いつもの社長らしくないと思ったが、それを口に出す者はいない。
その夜、仕事が終わると、柄崎は丑嶋を誘い、以前二人きりで行った焼き肉屋に誘った。予約してあるので、と段取りよく進めようとすると、丑嶋の足が止まって動かない。
どうしたのかと柄崎が尋ねれば、お前バカなの?と丑嶋が小ばかにしたようにいった。
「これからすンだろ。にんにくクセェ奴に抱かれたくねえ」
丑嶋の言葉に柄崎の顔が真っ赤になる。そうっすよねぇ! なんて、いつもみたいに答えられるほど今の柄崎に余裕はなく、またあの日のようにどもるしかなかった。
「お前ンち行くぞ」
丑嶋はそういって、柄崎の自宅の方向に歩きだす。柄崎は顔を真っ赤にしたまま、ハイ……と恥ずかしそうに答えてその背中を追った。
柄崎の自宅はカウカウファイナンスの事務所から徒歩五分ほどの場所にある。柄崎は何度か丑嶋を自宅に誘ったが、今日の日まで断られ続けていた。
「俺の家、知ってたンすね」
柄崎は照れながらいう。
社員の家だからな。丑嶋は前を向いたままそう言った。
そっか。柄崎は期待していた自分が恥ずかしくなった。丑嶋が少しでも自分に興味を持ってくれたのだと思ったが、そんなわけがないのだ。
柄崎は丑嶋の一言に一喜一憂しながらも自宅へ辿り着く。この後、自分が丑嶋へ打ち明けることを考えると気が重かった。
部屋に入ると、丑嶋は観察するように辺りを見回す。丑嶋は自分の想像より柄崎の部屋がきれいなことに驚いていた。
柄崎は食事のほとんどを外で済ませていたし、部屋を汚すほど物を置いていない。丑嶋はリビングに置かれたソファーにどかっと太々しく座ると、足を組み、膝の上で軽く手を重ねた。立ち尽くす柄崎を前に、債権者の前の金貸しの如く見上げた丑嶋は、『で、用意できたの?』と静かに言った。
柄崎は大きなボストンバックをテーブルの上に置く。ゆっくりジッパーを開けて、中に入った札束を取り出し、丑嶋の前に並べていく。
全て並べ終わった後、丑嶋は少なくねぇか、と言った。見慣れた札束は、積まれた量を見ただけでおおよその値段の予想がついた。
「五千万あります」
柄崎はやや俯き加減でそう言った。
「残りは?」
柄崎は黙る。柄崎はどうしても用意できなかった。
もう少し時間をかければ一億を貯めることができただろうが、時間をかければ丑嶋の気が変わってしまうかもしれない。一億あろうが二億あろうが、肝心の丑嶋にその気がなければ意味はない。それならばと、柄崎は一か八かで打って出たのだ。
丑嶋は柄崎の言葉を待つように、黙ったまま柄崎を見つめている。
柄崎は俯いた顔を挙げられなかった。自分が丑嶋に出された問題をクリア出来なかったことは後ろめたく、胸を張ることはできない。
丑嶋はフーッ、小さく息を吐く。それは溜息だったが、不思議と威圧感がなかった。
「貸し、な」
丑嶋がいう。
俺、金ないっすよ。柄崎が慌てて言葉を返す。丑嶋が誰相手にも容赦がないことを柄崎はよく知っていた。
「アホ」
丑嶋はそう言って舌打ちをした。並ならぬ威圧感を持つ丑嶋だったが、その時の言葉が柄崎にはやけに子供っぽく聞こえた。

2022/02/02