エンデヴァーを見る男


敵の攻撃によって自分がヒーローだったことを忘れる炎司。まだホークス出てないけどのちのちホー炎になる話。時間軸は謎時空です。


*   *   *

目の前は白い天井だった。女性が覗き込むように男を見ていて、女性は驚いた顔をしたのち、席を外した。
先生呼んでくるね、と言ったその女性の顔は、うっすらと涙を浮かべていた。
男は轟炎司という。女性は冬美といい、その男の娘だった。
「娘、ですか……」
炎司は困惑していた。炎司はその女性に全く覚えがなかった。
「敵の個性の影響でしょうね。不安だとは思いますが、一時的なことでしょう」
医師はそう説明した後、一週間後の退院を予告する。もう一度検査をし、異常がなければ、自宅で経過を見るようにいった。
炎司は医師の言葉に生返事をするだけだった。見かねた医師は大丈夫ですよ、と言って安心させるように笑った。
「だってあのエンデヴァーなんですから」



炎司が目覚めた一報を聞きつけ、警察や仕事仲間たちが次々と病院を訪れた。記憶がないことを説明すると一同はどよめいたが、敵の個性が原因となれば一時的なことだろうという医師の話にはほっとした様子でもあった。
炎司は集まった人たちの話を聞き、自分の置かれた状況を把握する。自分はヒーローであり、敵を追い詰めた際に負傷。事件は解決したが、攻撃を受けて一時敵に記憶を失っているという。
炎司は何から何まで信じられなかった。自分があのヒーローとなり、人々を助けていると説明されても、まるで実感がわかない。
戸惑う炎司の話を聞きながら、失われた記憶について調べていくと、それはエンデヴァーというヒーローに関するすべての記憶だということが判明した。
ヒーローという存在がいることはわかっても、それはテレビの中での出来事や、選ばれしものの世界であり、炎司はそれらが自分に関係するとは認識できなかった。
炎司は自分がヒーローであることはもちろん、雄英に通ってヒーローを目指していた記憶もなかった。まるでヒーローを応援する一市民のように、炎司は自分が市井の人々にすぎないと思っていた。
自分の仕事の補助をしていたという、いかにも優秀そうなサイドキックを見ながら、炎司はただ恐縮する。自分がこれほどのヒーローを従えていたと聞かされても、どうにも信じられない。
塚内という警察は長い付き合いのようで、炎司の部下と顔見知りであり、炎司自身ともとても親しい間柄のように思えた。だが塚内もまた、エンデヴァーという存在があっての間柄である。炎司は塚内のことも全く覚えていなかった。
一同はとても心配そうにしていたが、大丈夫だと言って炎司を励ました。それは気休めではなく確固たる自信の上での前向きな一言だった。
“だってあのエンデヴァーだから”
炎司が理由を尋ねると、みな口をそろえてそう言った。



翌日、娘の冬美が2人の男を連れて炎司の病室を訪れた。冬美を含め、みな容姿がどこか似ていた。
お父さん、覚えてないと思うから。冬美はそういうと、2人の男が炎司の息子であることを説明する。名を夏雄、焦凍というらしい。
炎司は冬美の説明を聞きながら、子供たちとの思い出が何一つ思い出せないことを口にできなかった。
「やっぱり、覚えてねえのかよ」
炎司の心を見透かすように夏雄がいう。
「すまない……」
「謝るなよ。どうせこんな事だろうと思った」
夏雄は不快感を露わにしていたが、一方で冷静さを保とうと堪えているようでもあった。
焦凍は黙ったまま、心配そうに夏雄を見ている。冬美は微笑みながら、夏雄を宥めるように明るく振る舞っていた。
炎司は平謝りするしかなかった。なぜ子どもたちの記憶がないのか、炎司には分からなかった。
検査結果は問題なく、炎司は予定通りの退院となった。
週末、冬美が再び訪れ、身の回りの片付けを手伝った。甲斐甲斐しく尽くす娘の姿に炎司は心を打たれる。
「母さんは、どうしてるんだ」
衣類をカバンに詰めながらいう炎司を見て、冬美は一瞬言葉に詰まる。炎司に悪気はなかった。
「……ちょっと、体調悪くて」
「そうか」
そんな時に、悪かった。そういって頭を下げる父に、娘は首を振った。
荷造りを済ませると、冬美は父を玄関の前まで案内する。迎えが来ているといわれ、炎司は案内されるまま冬美の後ろをついていった。
玄関には大きなリムジンと、運転手が一人。これもヒーロー・エンデヴァーの付き人だという。
「お父さんまたね。体、大事にしてね」
冬美はそう言って手を振った。
「乗らないのか」
私は別の車で来てるから。冬美は訪問者用の駐車場を指差して答える。
じゃあ、先に行っている。炎司はそう言い残し、車に乗り込んだ。冬美は炎司の車が見えなくなるまで手を振っていた。



車は炎司の家に向かって走り出す。景色は見慣れたもので、それが余計にエンデヴァーの記憶だけが喪失している事実を浮き彫りにさせた。
運転手は声が大きく、とても溌剌とした男だった。病室で会ったサイドキックたちもそうだったが、エンデヴァーの周辺はみなエネルギーに溢れた人ばかりらしい。エンデヴァーとしての記憶をなくし、一市民となっている今、炎司は気後れするばかりだった。
自宅の前につき、炎司はその豪華な建物を見上げて放心する。これもエンデヴァーの功績の賜物なのだろう。全く身に覚えのない炎司にとっては、知らない自分がなしえた産物に驚くばかりであった。
荷物をすべて出し終えると、運転手は丁寧且つ元気な挨拶をして車に乗り込む。炎司は頭を下げてその車を見送った。
一人になった炎司は大きく息を吐いた。目覚めて一週間あまり、炎司は自分の記憶と現実との乖離でずいぶん疲れていた。エンデヴァーとしての記憶を失い、ヒーロー業ができない今、炎司は無期限の休暇をもらった。世間に公表すると敵の活動にも影響を与えてしまうため、しばらくこの事実は非公表だという。話によると、エンデヴァーとしての活動によって、まとまった休暇を取るのは十数年ぶりだという。サイドキックや警察関係者からは、今までの労をねぎらい、ゆっくりと休むことを勧められた。
炎司は気遣いに甘えることにする。どうせ記憶のない自分には、エンデヴァーの代わりは努められそうにはない。
玄関に置いた荷物を持ち、炎司は長い廊下を歩いていく。不思議と体が覚えていて、炎司は家族が集まる居間へ進んだ。
広い和室に大きな座卓が一つ。そこは家族団欒にちょうどいい広さがあった。
しかし部屋には何も荷物がない。それは片付いた部屋というにはあまりにも生活感がなかった。
炎司は強い違和感を覚え、その場で声を上げた。帰ったぞ! 部屋中に響いたその声は、誰にもぶつかることなくただ反響していた。

2020/11/14