気持ちいいことしか知らないの1
好きってことを自覚してない八戒と自覚している三ツ谷のみつはち。
まだ愛が苦しいものだと思っている八戒が、三ツ谷に愛を教えてもらう話。
* * *
一
三ツ谷が八戒と出会ったのは小学生の時であった。表情を変えずに人を殴りつける姿が印象的で、しかしその暴力的な態度と裏腹に、やめろといった三ツ谷の言葉に八戒は素直に従った。
三ツ谷は八戒とすぐ親しくなり、家に呼んで遊ぶ仲になった。その頃には薄かった八戒の表情も豊かになって、三ツ谷のことをタカちゃんと愛称で呼ぶようになった。
二人の関係が変化したのは八戒が中学生になった時だった。中学に上がった途端、ゲームや漫画、好きなスポーツのことしか頭になかった男子たちの間に、あらたに女子の話題が上がるようになった。中学生になったことで、一つ大人の階段を上った男子たちが、恥ずかしがっていた話題を積極的にするようになったのだ。
八戒は女子のことが相変わらず苦手だった。姉である柚葉、三ツ谷の妹であるルナ、マナ以外の女子には一言の会話すらもできなかった。
しかし性的なことについて興味がなかったわけではない。柚葉の持つ少女漫画、テレビで流れるドラマや映画などから、異性のことが苦手な八戒でも恋愛や性的な知識を得ることができた。
そうして、いつものように三ツ谷の家に遊びに行った日。ルナとマナが昼寝をして静かになった隙をついて、八戒は三ツ谷にキスをした。
「何すんだよ!?」
三ツ谷は反射的に体をのけ反らせ、八戒と距離を取った。驚きのあまりに丸くなった目は事の容疑者である八戒に向けられていた。
八戒はぼうっとした顔をしていた。冗談だと、イタズラだと、そういって明るく笑ったりはしなかった。
そのぼうっとした顔は、苦手である女子に声をかけられた時の反応と似ていた。つまり思考が停止して固まっているのだ。
三ツ谷は八戒が苦手としている女子ではない。ではなぜ八戒はフリーズしているのか。
三ツ谷は八戒の唇がぶつかった頬を隠すように手を当てて、必死になってその理由を考えていた。三ツ谷はふっ、ふっと短い呼吸を繰り返す。
「ごめん、」
止まっていた時計が動きだすように八戒が我に帰る。そこでようやく、八戒は自分に拒否されるとは思っていなかったことに三ツ谷は気付くのだった。
ぱっと顔を机に向け、八戒は学校で出された宿題に視線を戻す。平然とした態度を取るが、それが偽りであることを三ツ谷は見抜いていた。
「べつに、驚いただけだし」
三ツ谷もまた、動揺を隠し、八戒の前のいつもの自分を演じる。三ツ谷は手に持っていたシャーペンを握り直し、八戒と同じく宿題の問題集に向かい直した。二人がそれぞれ広げた宿題は一ページも進んでいなかった。
「なんであんなことしたんだよ」
三ツ谷はカリカリとシャーペンを走らせながら呟く。胸にしこりは残したくなかった。
えっ。
あらためて尋ねられるとは思っていなかった八戒は困っていた。三ツ谷は質問の回答に制限をかけないが、黙秘は許さない質だった。
「……したかったから」
八戒は額に小さく脂汗を掻く。八戒は昔から行動の理由を問われることが苦手だった。
ふーん。三ツ谷は少し考えるように相槌を打った。
「したいならすれば」
え?
八戒はがばっと顔を上げて三ツ谷を見る。八戒はてっきり、怒られると思ったのだ。
「ルナとマナには内緒な」
三ツ谷がそういってニコリと笑う。優しい眼差しが八戒に向けられていた。
それから二人きりになると、八戒はキスがしたいと三ツ谷に強請った。三ツ谷は八戒のおねだりに応じて、二人は誰にも内緒のキスを繰り返した。次第に頬では足らず、唇同士を合わせるようになり、あわせて三ツ谷と唇を重ねる時間も、回数を重ねるごとに長くなっていた。
八戒はキスに興味があった。しかし会話すらできないほど女子が苦手だった。
三ツ谷は女子ではないので、八戒は緊張もしないし、キスができる。
しかしキスができるから、三ツ谷とキスをしているわけではない。
八戒は三ツ谷と、キスがしたかった。
八戒はなぜ自分が三ツ谷とキスがしたいかわからなかった。キスの知識を得た作品では、登場人物がみな恋愛感情を持っていた。相手が好きで、それは愛で、だからキスがしたいのだと言っていた。
八戒にとって愛は苦しいものである。ゆえに、三ツ谷とキスをして、心が温かくなる度、これは愛ではないのだと思った。キスは八戒の知る愛とは程遠く、八戒にとってはただ気持ちいいことしかわからなかった。