グレイゾーン5


「……カカロット、お前飛べるか?」
長髪の男は怪訝な顔でいう。悟空が問題なく飛べることを伝えると、そうか……と独り言のように呟いた。
悟空の食事が終わると、長髪の男は悟空のために用意した戦闘服を着るようにいった。異星の衣服のままだと目立つからだという。悟空は気にしていなかったが、男の言われるままに着替える。元々着ていた服は王宮で預かってくれるという。
長髪の男はマントをつけた男に別れを告げると、悟空についてくるように言った。王宮から少し離れた場所にあるようで、飛ばすぞ、と声をかけられる。悟空がおう!と力強く言葉を返すと、男はすぐに飛び立った。男の飛行スピードは悟空をはるかに凌ぐ速さで、悟空は見失わないようにするのがやっとだった。男のスピードが悟空より速いことはもちろんだが、この星の重力が地球と比べて10倍ほどかかっている事も起因していた。家に着く頃にはヘトヘトで、満腹だった筈の悟空の腹がまたぐうと鳴ってしまうほどだった。
悟空の実家とされるそこは、似たような家が立ち並ぶ住宅街の一角にあった。地球の建物や王宮とは違う作りをしていて、とても簡素な家である。建物の入り口に立つと、長髪の男はただいまとぶっきらぼうに言った。
「ラディッツ! あんた全然帰って来ないと思ったら! くる時は連絡しなさいって言ったでしょう!」
家人の女性が部屋の奥から顔を出す。強い口調ながらも、その声は愛に満ちていた。
「母さん、そう怒らないでくれ。実は、カカロットを連れてきたんだ」
「え? カカロット?」
隣で一部始終を見ていた悟空は戸惑っていた。ただの優しい案内人だと思っていた長髪の男は自分の家族らしく、目の前の若い女性は母らしい。混乱しながらも、悟空は小さくお辞儀をした。
「え、あんた、本当にカカロットなのかい……?」
悟空は答えられなかった。全く記憶がなく、悟空自身も先ほど知ったばかりなのだ。
「飛ばされた星で記憶を失くして、何も覚えてないらしい。でも母さん、カカロットだってわかるだろ」
「そりゃ……自分の子供なんだからわかるよ……でも、だって、……信じられないんだ」
母と呼ばれる女性の目は潤み、声が震えていた。ゆっくりと歩み、女性は悟空に近付いていく。悟空はじっとしていて、そのうち女性は目の前に立った。
「そうか……覚えてないんだね……」
女性は寂しそうに言った。悟空は寂しそうな女性を見ながら申し訳ない気持ちになった。
「カカロット、顔をよく見せておくれ」
女性はそういって、悟空の垂れた前髪をそっと上げる。女性の眉間に皺がよって、我慢するように強く唇を結んでいた。
女性の名前はギネという。ラディッツと悟空の母親だった。この星、惑星ベジータでは、幼い頃に戦闘能力が低いと判断されると、文化の低い星に飛ばされる決まり事がある。戦闘民族であるサイヤ人は、幼い戦士でも他の星の住人達と比べて圧倒的な力を持っていた。飛ばし子となった子どもの大半は、ある程度成長した後、本能的に惑星ベジータへと戻ってくる。ごく稀に戻ってこれず死に絶える事もあったが、惑星ベジータにおいてそれは仕方のないことであった。飛ばし子においては、故郷の星に戻って来て初めて一人前の戦士とされる通過儀礼であり、この通過儀礼さえ越えれぬ者に、サイヤ人の資格はないとされている。
母であるギネは、飛ばし子となった悟空のことをずっと心配していた。サイヤ人の掟とはいえ、そうせねばならないことを申し訳なく思っていた。
カカロットは何年も音沙汰がなく、死んでしまったのだろうと思われていた。ギネもまたそう割り切り、カカロットの供養は済んでいた。飛ばし子の死は特別な法会を開くことになっている。再び生まれてくる時、強い戦士になるように祈ることが目的であるが、それは建前である。わが子を失った親が、その悲しみを引きずって生きぬようにと作られた儀式だった。
供養の後も、ギネの心からカカロットがいなくなることはなかった。どこかで楽しく暮らしている。そう思っていなければ、ギネは立ち直れなかった。
だがこうして目の前で、愛しいわが子の成長した姿を見て、ギネの長年の思いが晴れていく。ギネにとって、家族が忘れられてしまったことなんて些細なことだった。こうして元気で生きている。それだけでよかった。
ギネはカカロットのことを強く抱きしめたかった。抱きしめて、ぬくもりを感じて、生きていることを実感したかった。だが目の前の息子は、自分のことを忘れている。突然母だと言われても、カカロットにとっては見知らぬ女性に違いない。
ギネはカカロットの手を掴み、両手で包んだ。小さかったわが子の手が、大きく、分厚く、立派な男性へと成長していた。ギネはそれだけで満足だった。ギネはカカロットの瞳をじっと見つめながら、いつかこの胸に抱きしめられる日を夢見た。


2020/09/14