diary

×思い出話

バレーボールのオタクをしていた頃、まあいろいろ見てたわけですが、バレー選手からすると、一番ワーキャーされる時期ってのが、全日本より春高だったらしい。それくらい春高っていうのはすごかった。
もうこの話も古くなって、今はその頃とは時代が違っていると思うけど、まあ、そんな時代もあったわけです。

で、とある高校が、何年連続センターコートと呼ばれるくらい強くて。
このセンターコートってのは、ベスト4以上になってから与えられるもので。
準決までは、体育館を男女2コートずつ、合計四面張って戦うのを、準決、3位決定戦、決勝だけは、広い体育館に一面だけコートを張って、地上波でテレビ放送される。
なので、このベスト4以上ってのはかなり扱いが変わるのです。

高校バレーにおいて、夏にインターハイ、春に春の高校バレーって二つの全国大会があって、同じ全国大会でも、インターハイのほうが地味な扱いだった。一般的にはインターハイのほうが三年の最後の大会!って感じで盛り上がると思うけど、バレーに関しては春高の知名度が段違いなので、そうなる。
で、その高校ってのが、春高だけやたらと強い。春高でベスト4、なんだったら優勝とかしても、インターハイで結構すぐ負けるなんてザラだった。それくらいムラがあった。
当時の話ではあるけど、その高校の選手たちはみんなパリピというか、ギャルというかヤンキーというか、目立つのが好きというか、ハイキューでいえば全員木兎さんのような。
まあそんな、目立つほどに実力を発揮するというか。そんな感じで。
選手たち自身もネタにするくらい、インターハイ弱いんだよね〜みたいなことを言ってたんだよね。


で、まあ、なんか、人によりけりですが、それ(大会)がモチベーションになるって、知ってた筈だよな、自分。と。
見てないところで頑張ってもしょうがないじゃないけど、見られるならより頑張ろうみたいな世界や人や考え方があることを知ってだはずだった。
だけど、忘れてしまうものだね。



その時その時を生きてそれが終わったらじゃあ次何しようかと、それから決めていた人たちを見てきたはずでしたが、自分があまりにもその場所から遠い人間だから忘れてた。


そんなことを思い出したりしたのでした。
(2022/12/20/02:48)
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