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People change .Memories don't.

「見ましたかい?
今、帰ったクライアントのうれしそうな顔…」

ウォッカの発する雑音を受け流し
ディーバの歌声に集中する
もっと、もっとだ
その声、その姿で男を海に引きずり込む
人魚の真似事なんざ、朝飯前だろう?
その歌声で、俺が望む頂に連れて行け
who

今日、殺った奴のことより
あの日の事の方がよく覚えてら
俺が初めて人間を殺る仕事をした日だった
まだ18になるかならねえかで
コードネームなんざ夢物語に過ぎなかった頃の話だ

組織の下っ端も下っ端
その日の飯も食えねえ有様だった
回ってきた仕事を必死にこなし
それでもチャンスを待ち構える毎日

待って、待って、待ち続けて…ついに来た
拳銃も渡されず、アイスピック一本でターゲットの心臓を一突き
できなきゃ、お前も死ねとよくある脅し。
俺は成功した。当然だった
ところが俺に命じた組織の下っ端にとってみればとんだ番狂わせだ
いいとこ自分たちの時間稼ぎ、ぐらいに思ってたんだろう
実行犯の俺を置いてさっさととんずらしやがった

まだ生暖かい肉の塊を血が垂れねえようにと
傷口を縛り、路地裏に放り込んで
自分が返り血を浴びていることに気づいた
咄嗟にそこらにあったドブ川に飛び込んで
血を拭った
熱にでも浮かされたみてえに暑いのか寒いのかさえ
判断がつかなかった

その時だ
頭上のビルからあの歌声が響いてきたのは

俺は拳銃を持っていなかった
あの時、彼女を殺さなかった理由はそれだけだ
近寄って来る人間、いや、そこにいる人間すべてを
殺しちまいたい気分だった
だが、歌を聞いているうちにそんなこと
どうでもよくなった
俺は軽々しく人を褒める主義じゃねぇが、
あいつにだけは言ってやる

Angel of the singing voice
天使の歌声だってな

「ねぇ、冬の海水浴してるの?
あたしも入れてくれる?」

透明だと思った
でかいってわけじねぇのに
よく通る一切の邪気がない声

「お前は何してる」

すぐに立ち去るべきそこから、
俺は動かなかった
腹ん中に渦巻いてたどす黒いもんを勝手に浄化されちまったんだ
察に捕まろうがこのドブで溺れ死のうが
どうでもいい
こいつのことを、もっと知りたいと思った

「上がって来てよ、そしたら教えてあげられる」

「何でだ、ここでいいじゃねえか」

「だってほら、あなたすっごく寒そうだし、
それに、あたしここから出してもらえないもの」

「…わかった。どこから上がればいい?」

「そこの梯子。見つかったら大変なの」

「今行く」

馬鹿げているとしか言いようがねえ
立って歩くのもやっとの時に、梯子に登って
三階まで到達しようってんだ
ただ、どうしたことかあの時はそれがちっとも苦にならなかった
むしろ、その梯子が
もう戻れやしない光の世界に繋がっているような気がして、ゾクゾクして登った
たかが、歓楽街の古びた胡散臭いビルをあんな気持ちで登ることはもう二度とねぇだろう

彼女の部屋にたどり着いた俺は床に倒れ込んで
そこから動けやしなかった
寒さでがたがた震える俺に
彼女は1枚しかねえ毛布を巻きつけ
服を脱がせ、ぬくい飯を作ってくれた
俺にきちんとした意識が戻ったのはそれから3日はたった頃だ

目が覚めた時、彼女はいなかった
寝すぎたためか身体はギシギシいってたが
頭は徐々にはっきりしてきて
再び、あの声に包まれていると気づくのに
そう時間はかからなかった

声は部屋の外から聞こえていた
戸を開け、階下から響く声の持ち主まで一気にたどり着く

当たり前のように歌っていたのは彼女だった
クラブとかバーみてぇなところだってのはガキでも見当がついたが、自分が場違いだってことにも十分気づいた
皆、あいつに釘付けだった
ボロボロ泣いてる奴もいっぱいいる
自分より3つ4つ上に見えて、女って感じがした

ふと一曲歌い終わった彼女と目があう
少し微笑んで、袖に向かってなにか言ったのが見えた
すると、黒服のボーイが近寄ってきた
つまみ出されるんじゃないかと警戒すりゃあ

「歌姫からです」

と手渡されたのはカクテルグラスだった
ちろりとステージを見れば次の曲の歌い始めで
あいつが俺を見てた
軽くかかげて1口飲んでみりゃ、今まで飲んだ酒なんざ酒と呼べねぇほど強い酒だ
病み上がりに飲む酒じゃねぇのは確かだった
ただ、あいつが俺にくれたもんを無下にすんのが嫌で痩せ我慢して飲み干した

ステージが終わり、元の部屋に戻って彼女を待った
しばらくして、階段を登る音がした
女の足音だった
戸がガチャリと開き、覗いたのは
化粧を落とした彼女の顔
すべすべした卵みたいな顔とくっきりしたデカくて黒い眼が相まって
子供みてぇに見えた
一瞬、見つめあってようやくお互いがわかるってざまだ
2人とも吹き出した
あいつは声が漏れないようにあわててドアを閉めて、中に入ってきた

「あは、びっくりしたわ。あなた、寝てる時はもっと幼く見えたもの。誰だかわかんなくなっちゃった」

「ククク、いや、お前はもっと大人に見えた。いくつだ?」

「17よ。化粧をすれば、皆大人に見えるんだわ」

「そうか。あぁ、酒、うまかった。ありがとよ」

「ふふ、きっとあなたには強すぎたんじゃない?
フランシス・アルバートってカクテルよ。でも、なんだか似合うお酒だったから、飲んでもらえて嬉しかった」

それから暫く、くだらねぇ話をした

あいつは話す相手がいるのが嬉しくて仕方ないようだった
雪がたくさん降る場所と目を細めて故郷を恋しがり
13の時に親が死んだ後、ここで働いており
ビルから出るなと雇い主の男が命じたのだとあっさり話した

俺は組織のことはいいたくなかった
それで、黒澤 陣という名前と職がないことだけを簡潔に伝える
あいつはここの用心棒が空いているから、そこに紹介するのはどうかといった

俺は迷った。それを気取られないように窓の外を見る。広がる銀世界。そこに再び飛び込むのは何故か億劫に思えた

トンと、軽い音に振り返ればあいつが机の上にカップを置いていた
当然のように2つ用意されたそれに、思わず目を上げれば、彼女の口元が柔らかな曲線みをおびる

ベレッタの引き金だけが持つ
冷たさ
重み
それらを愛した時に忘れちまった笑い方

答えを待つ彼女に頷いた



運が良けりゃ、俺を使い捨てにした野郎どもに再び逢えるかもしれなかった



People chang . Memories don't.
(人は変わる。記憶は変わらねえ)








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