それは半日ほどの短いようで濃密な日。
当の本人にはその際の記憶がなく、関係した人々も何故かその日の記憶だけが曖昧になるという不思議な日。さて、その半日をわたしたちだけでもう1度だけふり返ってみましょう。
でもその前に1つだけお約束を。
このことは他言無用でお願い致します。お約束を破ってしまわれた場合、わたしにも何が起こるか分かりませんのでお気をつけください。
それでは、不思議な半日へ参りましょう。
◇
「え?イヌイ様が若返られらた?」
戌一族の城内ではその事態に従者達が慌ただしく駆け回り、情報を共有し対策を練り始めていました。
従者の1人、コトカもその事態を知らされいつもは冷静沈着な彼女でさえも思考が少しばかり追いつきませんでした。
そして加えて告げられた『記憶も若返られた時の年齢までしかないらしい』という言葉に思わず頭を抱えました。
コトカは若返ったという城の主、イヌイよりも幾つか年下ではありましたが代々様々な一族に仕えることが出来、その仕える一族も自身で決めることが出来るという一族の出で、他の従者達よりも立場が上でありました。
また、コトカはその一族の中でも一際才溢れる人物でした。
「それで、今は政などはどうなっているんですか?」
悩んでいても解決にはならない、と判断したコトカは現状の従者達の動きなどを問いました。
「イヌイ様が深く関わっていた政は王と側近達が、急を要するものは手分けしてその分野に長ける者達が担当しています」
「そうですか…民達に不安を与えないよう情報はこの城内に留まるようにしないとですね」
「はい。それでコトカさんにはイヌイ様のお目付け役をお願いしたいとの言伝を預かって参りました」
「わたしが、ですか?」
「はい。側近達を除き適役なのはコトカさんだという結論になったそうです」
コトカが戌一族に仕え始めたのはイヌイが20代になってから。つまり、話によると10代に若返ってしまったというイヌイのことはほとんど知らず、ましてやイヌイにとってはコトカは知らない相手ということだということに、コトカは再度頭を抱えました。
それはあまりにも重大な役割であり、その圧が重くコトカの両肩にのしかかりました。
しかしながらコトカにその役目を断ることは出来なく、圧をなんとか押し退けるように頷きました。
「イヌイ様はどちらに?」
「自室におられます」
「分かりました」
コトカはイヌイの自室へ向かいながら場内の様子や慌ただしく動き回る従者達の会話を聞き、更に深く現在の事態を把握していきました。
城内では現在の日付が分かるようなものは全て撤去され、若返ったイヌイに混乱などを与えないようにされていました。しかしそれが逆にイヌイの目に付いたらと思うとコトカはどう受け答え、イヌイを納得させれば良いのか頭の中で悩んでいました。
自然と握られていたコトカの拳の中は緊張や不安で気付かぬうちに汗ばんでいました。
「(イヌイ様には本日は休息を取るようにと王から直々にお達しがあったそうだから城外へお出かけにならないようにしなければ…)」
もしかしたら従者を連れずに城外へ出てしまうかもしれない。とコトカは思いました。
それは1番避けたいことであり、しかしながら大人しく自室でずっと過ごすような人ではないとことをコトカはこの数年で学んでいました。10代であれば好奇心は20代のイヌイよりあるはずだと仮定して行動しなければ現在対応に追われている王や従者達の苦労が泡となってしまう可能性が高くなってしまう。いつもより柔軟に、けれど慎重に言動を選ばなければと思っている間にコトカはイヌイの自室の前にとうとう着いてしまいました。
中からはイヌイの気配を感じ取れ、一先ず安心したコトカは深呼吸をし、襖越しにイヌイに声をかけ入室の了承を得ました。
「初めて見る顔だな」
「コトカと申します、イヌイ様」
「コトカ、ね」
コトカの前には身長が幾分か低く、まだどことなく幼いイヌイの姿がありました。
10代とはいえすでに色香を纏いつつあり、そこに加えその端正な容姿。きっとこの頃から女性には困っていなかったのだろうとコトカは思いました。
イヌイはコトカを上から下までじっくりと見るように視線を動かしました。そしてふと口端を上げ笑いました。
「胸はそんなにないけど結構かわいいじゃん」
内心、コトカは今すぐにでも怒りをぶつけたくなりましたがぐっと堪え、『ありがとうございます』とあくまで冷静に言葉を返しました。
「で?コトカが俺の相手をしてくれるわけ?」
「イヌイ様がお1人では退屈ではないかと王から承り、イヌイ様が有意義な時間を過ごせるように微力ながらお力添えしに参りました」
「なあ」
「はい?」
「固すぎ。俺は今日休日なわけだしもっと砕けていい」
「はあ…」
そう言われてもいきなり砕けるのには抵抗があるコトカ。従者として務めを果たす、という強い意志があるコトカにとってそれはとても難しいことでした。
「じゃないと楽しめないだろ?」
「え?」
コトカの視界には何故かイヌイと天井が映っていました。しかもイヌイの顔はとても近く、重力によって垂れ下がったイヌイの髪の毛がコトカの頬を撫でました。
「これからイイコトするんだし?」
妖しく笑うイヌイにコトカは今の状況をやっと把握することが出来ました。自分がイヌイに押し倒され、こんな昼間からそういった行為に及ぼうと考えているイヌイに。
しかしコトカも一筋縄ではいきません。
「イヌイ様」
「だから固い」
「そうしていればイヌイ様はわたしに手を出すなんてことしませんから」
「知ったような口だな」
「ええ、これでも従者ですからそれなりにイヌイ様のことは存じ上げています」
「…ふーん」
イヌイはコトカの上からどき、コトカの手を引きコトカを起こしました。
「まあ確かに萎えた。けど、お前には興味出た」
「それはありがとうございます」
姿勢を直しコトカは笑みを浮かべました。しかし心臓は実はバクバクと速く動いていました。もしかしたらと想定していたことではありましたがこんなにも早く手を出してくるとは想定していなかったからです。
冷静を装い、心を静めるようにコトカはイヌイに気づかれないように静かに呼吸を整えました。
「では何をして過ごしましょうか、イヌイ様」
「まずはお前のこともう少し教えろ」
「分かりました」
コトカは自分の生い立ちなどを噛みくだきながらイヌイに伝えました。それに時に頷いたりしながらイヌイは静かにコトカの言葉を聞いています。
コトカの話を聞きながらイヌイは少しずつコトカに心を開き始め、自分の思っていることを伝えたり『お前はどう思う?』などコトカに聞いてきたりもしました。
「コトカは俺にしてほしいことはないわけ?」
「唐突ですね」
「大体の奴らは何かしら欲を持ってるけどコトカからはそれを感じない」
「それで、先程の質問ということですか」
「ああ」
特別ほしいものもなく、忙しくも充実した日々を過ごしているコトカにとって突然そう聞かれてもぱっと思い浮かぶものはありませんでした。しかし、せっかくの言葉にふとあることが脳裏を過り、それをイヌイに伝えました。
「よろしかったらイヌイ様の三味線を聞かせて頂けないでしょうか」
「そんなんでいいの?」
「はい。イヌイ様の三味線は聞いていてとても心地よいとお聞きしましたので」
イヌイはそう言いますが戌一族の王子の三味線の演奏ともなると特別な機会がないと聞けないので、コトカにとっては贅沢の1つなのです。それも1対1ともなるとなおのこと。
イヌイは自室に置かれていた三味線を手にすると始めはゆっくりと慣らすような静かな音色を奏で、少しずつ激しい音色や艶やかな音色を奏でていきました。1つの音も逃さないようにとコトカは音色に耳を傾け気づけば瞳を閉じ、イヌイの奏でる音色に身を任せていました。
イヌイが一通りの演奏を終えるとコトカは惜しみない拍手をイヌイに送りました。
それに少し照れくさそうに頭を掻くイヌイはコトカにとっては新鮮なものでした。
「とても素敵な音色でした」
「そうか」
「贅沢なひと時をありがとうございました」
「…コトカが聞きたければまた聞かせてやる」
「ありがとうございます」
イヌイは三味線をもとの場所へ戻し、正座をしていたコトカの太腿の上におもむろに頭を乗せました。
「い、イヌイ様?」
「お前の願い聞いてやったんだから今度は俺の番」
「と、言いますと…」
「疲れたから膝枕」
コトカの顔を見上げるイヌイの声も表情も有無を言わさないものでした。
コトカもこれくらいなら、と多少渋々ではありましたが『分かりました』とイヌイに返事をしました。
「…なんか、お前といると落ち着くな」
「勿体ない言葉です」
「いや、本当に…」
イヌイの言葉が途切れたかと思うと静かな寝息が聞こえてきました。
演奏に疲れたのか、それとも城内の様子を察して思考を巡らせていた疲れからなのか、イヌイは静かに眠ってしまいました。あどけなく無防備な寝顔。コトカはそっとイヌイの髪を梳くと『おやすみなさい』と告げしばらくそのままイヌイの寝顔を眺めていました。
そしていつの間にかイヌイの眠気に誘われるようにコトカもそのままの状態で眠ってしまいました。
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コトカを眠りから覚ましたのはイヌイの声でした。
「あんまり無防備だと襲うぞ」
「!?」
その声で一瞬にして覚醒したコトカは目の前にあるイヌイの顔に更に驚きました。
膝枕をしていたはずなのにいつの間にか自分がイヌイに腕枕をされていて、しかもいつの間にか元の姿に戻っていたイヌイ。コトカは混乱せずにはいられませんでした。
「なんか起きたらお前の膝で寝てたし、お前も寝てたし何があったんだ?」
「それは、えっと…」
コトカは説明しようとするも思い出そうとすればするほどその記憶は霧の中に隠れてしまうように不鮮明になっていき、言葉が出てきませんでした。
「…何があったんでしょう?」
「お前にも分かんねえのか」
「すみません…」
「まあいいさ。良く分かんねえけどお前の無防備な寝顔見れたし?」
「!!」
くつくつと笑うイヌイは面白そうで、コトカはイヌイから距離を取ろうとイヌイを押し退けようとしました。
しかし力では勝てないコトカは逆にもっとイヌイに引き寄せられました。
「寝て起きたばっかだけど、もう夜も遅いみたいだし、今日はここでお前も寝ろよ」
近くで甘く囁かれ、体温が上がるコトカ。それが伝わったのかイヌイはまた面白そうに笑いました。
「嫌とは言わせねえぞ、コトカ」
「うっ…」
「お前は俺の女、だろ?」
優しい口づけがコトカの思考を少しずつ溶かしていき、そのままイヌイと共にまた眠ることになりました。
「…早く城の者に俺達のこと言いてえんだけど」
「だ、だめです!」
「恥ずかしい?」
「…分かってて言ってますよね?」
「コトカの反応かわいいからな」
まだ内緒の恋人。
主従関係を超えた絆。
これからどんな思い出を作っていくのでしょうか。
2人にとってかけがえのなく、大切な思い出が沢山出来ることをわたしたちは願いましょう。
これにて不思議な半日はおしまいです。
では、初めにお約束した通りこのことはご内密に。