それは一瞬で、けど見ていた時はまるで時間がゆっくり流れているかのように全てが見えた。
:
未の城の夜の見張り番が鐘を鳴らした。その鐘の鳴らし方は城内に敵が侵入したことを知らせるものだった。
素早く身支度を整え、緊急時の配置に向かう。わたしはヒノトの部屋に一番近い庭へ。侵入口になるであろう入り口の近くで警戒をする。鐘の音はやまず、まだ敵がいることを教えている。敵が何人いるのか分からない。けどこの城の主であるヒノトの周囲には精鋭の従者が配置されているし、ヒノト自身も相当腕が立つ。余程のことがない限りヒノトの安全は保障されている。とは言っても油断は禁物だ。
耳を、目を、体の全身の感覚を研ぎ澄ませる。
すると右後方から小さく草の揺れる音がした。暗闇にかすかに人の両眼が三日月の光で光った。わたしが気づいたことを察するとその敵はゆらりと姿を現した。長身で細身の男。全身を覆う黒の装束から隠密に長けている者だと思った。言葉はなく、互いの距離を測りあう。ここまで来たということは相当の手練れ。一瞬の隙を与えたら命取りになる。緊張感からか短刀を握る手のひらにじわり汗が滲んだ。
かすかな音を立て男はわたしに向かってきた。まるでわたしの実力を全て見抜いたと言わんばかりの速く、迷いのない動き。男の放った暗器が頬を掠めそうになるけど紙一重で躱し、暗器がわたしの髪の毛をはらりと切った。鋭い切っ先。少しでも傷がつけばきっと毒が体内に入ってくるだろう。
崩れた体勢を直そうとした瞬間、男がさらに速度を上げる。あ、これ、間に合わないかもしれない。そう直感したわたしの頭はやけに冷静で、こんな場面なのに瞬きすらせず来るであろう痛みを受け入れようとしていた。
…それなのに、その痛みはやってこなくて。
わたしの視界に映り込んだのはヒノトの綺麗な、やわらかなその髪の毛が、襟足が、ばっさりと切り落とされた場面だった。わたしをかばって切り落とされたそれは月明かりに照らされゆらゆら空を舞いながらゆっくり、地面へと光を失いながら落ちる。そして小さな音を立ててヒノトの髪を結わっていた紐についていた音の鳴らない鈴が足元に転がった。
「怪我ない?コトカ」
「なんで、ヒノト、」
何でもないようにヒノトは笑って、わたしに怪我がないことを確認すると優しくわたしの頬に触れた。
そしてその後すぐに男に殺気を強く放ってヒノトは有無を言わさず男を組み伏せ、情報を引き出した。
:
あの日の光景が未だに忘れられない。
だから、ヒノトが癖であの日まではあったはずの襟足に触れようとしてもそこには何もなくて、仕方なく前髪を触り直すそれが胸を締めつける。
「コトカ、まだ気にしてるの?」
「…何を?」
「バレバレ。俺の髪のことまだ気にしてるでしょ」
図星をつかれ俯くとヒノトは花弁に触れるようにそっとわたしを抱き寄せた。
規則正しい心音が聞こえる。
「癖、直せなくてごめんね」
「なんで、ヒノトが謝るの…」
「コトカに悲しい顔させちゃったから」
謝るのは、わたしの方なのに、言葉が喉を通らない。
ヒノトを危険なめに遭わせた後悔と、本来ならば守らなければならない人に守られた悔しさと、何より自分の未熟さに腹が立った。そのどれもが気を緩めると涙として溢れそうで。でも、そんな顔を見せたらヒノトはもっとわたしを心配するだろうし、あの日みたいなことがまたあったらまた自分よりわたしを助けてしまうんじゃないかって思う。
わたしは、わたしは何のためにヒノトのもとにいるの?ヒノトの力になるために、ここに仕えているはずでしょう?
「ねえ、コトカ」
優しい声が頭の上から降ってくる。
「これって中々ない機会だと思わない?」
「え?」
ヒノトは何を考えているんだろう。不思議に思って視線を上げればやわらかく笑ったヒノトがそこにいて、視線が合うとわたしの髪の毛を優しく梳いてくれた。
「短髪の俺なんて見たことないでしょ?」
「それは、そうだけど…」
「だったら今の俺もコトカの記憶に刻んで。それで、これから少しずつ伸びていく襟足にはコトカとの思い出が沢山つまって、前よりももっと綺麗な髪になるよ」
「自分でそれ言っちゃうの?」
「ふふ、だってコトカがそう言ってくれたから」
ヒノトの唇が前髪越しにわたしの額に落とされる。
「だから、俺の髪が伸びるまで…ううん、伸びてからもずっと一緒にいよう」
それはまるで結婚を申し込まれているような甘い言葉で。
「あ、そうだ。伸びたら一番初めにコトカにこれで髪を結わってほしいな」
ヒノトがいつも髪の毛を結わっていた音の鳴らない鈴のついた紐を優しく手のひらの上に置かれる。
「…わたしでいいの?」
きゅっとそれを握りしめるとヒノトの唇が今度はわたしの唇に落とされて、ほとんど距離のない状態でヒノトは『コトカ以外に考えられないよ』と優しく囁いてまたわたしの唇に唇をくっつけた。
ヒノトに身を任せているとそれは少し深くなって、わたしは力が抜けそうになるのをヒノトに掴まることで誤魔化した。