那由多さまはすごいひとだ。

仕事熱心だし、お客さん思いだし、温泉は舐めるだけで効能がわかるし、入浴剤を作るのがお上手だし、珍しい三毛の男性だし、お仕事が大変で滅多に国外になんて行けないのに疲れた顔ひとつみせないし、サボるのは上手だけど、おでこのまろまゆメイクだってかわいいし、那由多さまのいいとこなんて百個上げたって足りないけどこの辺でやめておく。

我が国、廻天がほんとうにほんとうにほんとうに誇っている王子様。わたしみたいなちっぽけで病弱な女の子の手を取って、がんばろうってその手を取って繋いで、上を向かせてくれたひと。
そんなすごい我が国の王子がどうしてわたしなんか構ってくれるのだろう?頭の隅で考えながら、本日の業務も滞りなく終了した。



休憩時間やお休みの日にしゃぼん玉をするのが好き。仕事のお昼のお休みは、ご飯を食べ終わって、念入りに歯を磨いて、残った時間は外に出て、のんびりしゃぼん玉を吹かす。それがわたしの日課。自然の光や力強さは、入浴剤を作るのにも、いい刺激をくれる。
ここでお仕事を始めるとき、那由多さまが教えてくれた場所。お昼の時間にちょうど日差しがあったかくて、でも人はいない、森の中の秘密基地みたいなところ。その空き地のど真ん中にある切株に座って、木々に囲まれてぷわぷわ浮くしゃぼん玉を見ていると、気持ちにがまっさらになる。時間、季節、天気。いろんな要素によって、しゃぼん玉はいろんな色に光るから。

「ねーむ」
「っ!?」

ぽん、と急に両肩に重力が落ちて、声がして。ごっくん、と喉を通ったなにか。ばっと後ろを振り向くと、びっくりした顔をした那由多さま。新緑にお召し物の赤が映えて、とってもきれい。わたしは那由多さまを見かけるたびに見とれてしまう癖をどうにかしたほうがいいと常々思うけれど、一向に改善の気配はないする気もない。
那由多さまは、降参するみたいに両掌をわたしに見せていた。尻尾がびっくりして立っている。

「ごめん、そんなに驚くとは思わなかった…もしかして、」
「……飲んじゃいました」

喉に残る石鹸の味がおいしくない。べ、と舌を出したい衝動に駆られたけれど、那由多さまの手前諦める。そういう風に考えられる間がちょっとだけあって、わたしと那由多さまは見つめ合って。そうして、吹き出した那由多さまは声をあげて盛大に笑い出した。

「そっかそっか、飲んじゃったかあ!ごめんな合歓!」
「だいじょうぶです!」

一通り笑って人差し指で涙を拭きながら(泣くほど笑ってらっしゃるなんてちょっとひどい)那由多さまははあ、と息をつく。

「口の中まずいだろ?」
「…おいしくはないです」
「ちょっと待ってな」

くるりと踵を返した那由多さまは、ゆらゆらと尻尾を揺らしながら木々の方へと向かい、しゃがみこんだ。

「那由多さま?」

しゃぼん玉を切株に置いて那由多さまを追いかけて、わたしも隣にしゃがみこむ。那由多さまの、お皿みたいにした左手には、赤い実がひとふふたつと重ねられていっていた。しゃがんだところに成っているそれを、ぷちぷちと取っていく那由多さま。なにしてるんですか、なんて聞いてみても返事はないだろうから、最初から聞かないでおく。

「合歓、口開けろ」
「え?」
「はやく」

さわ、と那由多さまの尻尾が腕に触れて、わたしを急かすようにするりと肌を撫でてゆく。おそるおそる口を開くと、想像通り那由多さまは持っていた赤い実をわたしの口にそっと入れた。どきどきしながらその実を噛み割ってみると、思いの外柔らかい皮が割れて、とろりと口内を甘く支配した。

「…!」
「うまいだろ?」
「あまいです」
「今、ちょうど時期なんだ」

那由多さまも自分のお口にそれを放り投げてわらう。きゅん、と、わたしの胸が鳴る。那由多さまの色んな表情を見る、那由多さまに新しいことを教えてもらう。そのたびそのたびに、わたしは那由多さまにくらくらさせられて、ふにゃふにゃになってしまうのだ。

「那由多さま、時期ならこれ、入浴剤にできますかね」
「お!いいな!」
「摘んで帰ってもいいですか?」
「ああ」

那由多さまの尻尾が楽しそうに揺れているのとか、休憩中のちょっとの時間、一緒にいられたこととか、何より今日那由多さまにお会いできたってそのことが、わたしの心に春を持ってきたみたい。そう、那由多さまは春だ。あったかくて、気まぐれで、柔らかい。そんな那由多さまが冬生まれだというのもわたしはときめくんだけど、いまだに理解してもらったことがない。

「那由多さま、わたし休憩終わっちゃうので帰らないと」
「んー、いいんじゃない?ちょっとくらい。俺も一緒だし」
「え」