作業のために教室でわたしを待っていたイナミ先輩は、いつもとちょっとだけ違っていた。

「…イナミ先輩、どうしたんですかそれ」
「クラスの女子にやられた〜」

椅子を逆向きにして背もたれを腕置きにしていたイナミ先輩は、教室に入ったわたしがそう言うなりへらりと笑った。普段は見えないイナミ先輩のおでこが丸見えだ。大ぶりのヘアピンで前髪をくるりと回して頭の上へ向けているそれはいわゆるポンパドールというもので。

「…かわいいですね」
「よく前が見える」

確かにいつも前髪が邪魔そうだなって思ってたけど。
作業しやすいからそのまま来ちゃった。にっこりと笑いながら、イナミ先輩は椅子の向きを正した。

「コトカちゃんもいつもかわいいよね、カチューシャ」
「ありがとうございます…」



作業がほとんど片付いたあと、わたしとイナミ先輩は帰路につくことなく、教室でおしゃべりをしていた。イナミ先輩との作業だとよくあることだ。

イナミ先輩はすいすいと自分のスマホを使って、わたしに写真を見せてくれている。
アメピンをたくさん使った横流しのアレンジに、ヘアゴムを使ったちょんまげヘア(しかもヘアゴムがハート)、ねじったり編み込んだり。スワイプで見せられる画像はラインのグループで送られたものらしい。時々クラスの女子なのであろう人と映っているイナミ先輩がだんだん女子に見えてくるのは気のせいなのだろうか。某ヨルシカが好きなアプリで撮ったらしい、猫耳とひげが落書き風に顔に乗っかっているイナミ先輩の写真はもう、

「か、かわいいですね…?」

そう言うしかない、コメントに困る。かわいいと言っていいものなのか分からないけど、かわいいという言葉が一番相応しいのだからしょうがない。ありがと、と笑うイナミ先輩はその言葉を然程気にしていないようでほっとした。

「やり方聞いとけばよかったな。そしたらコトカちゃんにやってあげられたのに」
「うえ、いや、そんな」

もらったらしいポッキー(箱ごともらったと言っていたけれど、それはもう貢ぎ物の類いなのではないだろうかと思う)を口に運びながら、ぺたりと机に体をつけてそう言うイナミ先輩。その姿はやっぱりちょっと可愛くて、クラスの女子の皆さんはこういうところを見て髪をいじりたくなるのかな、と思って、ちょっと納得する。跡ついちゃったかな、とヘアピンを取ったイナミ先輩に、わたしのカチューシャをつけたい衝動に駆られて。

「……コトカちゃん?」

そっと、痛くないように。先輩にカチューシャをつけてみる。勝手に。今日、赤いのにしてきたけど、イナミ先輩の髪に赤のカチューシャはよく映えていた。

「かわいいです」

ぱちぱちとまばたきをするイナミ先輩は体を起こして、わたしを見つめる。もしかしたら、あまりカチューシャを外さないわたしの髪を見ているのかもしれない。広がってないかな、大丈夫かな。ちょっと困ったような顔で、イナミ先輩は笑った。

「コトカちゃんまで」
「先輩っていつも自然で、分け隔てなくて、クラスの人ともいつも楽しそうですね」

ふ。と。先輩の細まっていた目が丸さを取り戻す。それどころか、鋭ささえも増した気がして、心音が高鳴った気がした。先輩が壊れ物を扱うみたいにそうっとカチューシャを外して、それを片手で持ったまま、右手がわたしの髪へ伸びてくる。カチューシャを外して乱れたわたしの髪を整えてくれているのだと思って、ちょっとだけうるさい心臓は無視してされるがままになっていると、

「…オレ、そんなにいいやつじゃないよ」

くるりとわたしの髪を指に巻き付ける。ふわりと離したその掌は、わたしの頬へと熱を移す。するりと一瞬そこを優しく撫でられて、びくりと震えるわたしに先輩は笑って、何事もなかったみたいに手を離した。わたしの心臓は煮えたぎったみたいにどくどくしている。

「今もこうやって一緒にいて、付け入る隙がないかなって考えてる」

するり、と。イナミ先輩の指が、わたしの指に絡む。びっくりして手を引こうとしたら、絡んだ指に力が入って、ぐっとわたしの肘は突っ張って、逃げられなくなる。言い様のない緊張がずくずくと心臓を侵食して、呼吸がくるしい。じわりと手に汗を握った気がして、手を離してほしいのに、イナミ先輩はまっすぐわたしを見ていて。逃げたり茶化したりしていい雰囲気じゃないことくらい、わたしにだってわかる。

「……好きだよって言ったら、オレのこと意識してくれる?」

先輩の、ピンを外した前髪がさらりと揺れるのが見える。わたしの頭は意識を逸らすように、先輩のきれいな瞳の色とか、目の下のほくろとか、そういうものに考えを逸らしてばかりで。それがきっと、先輩を意識しているってことに違いなくて。漏れる呼吸すら先輩に毒されて色づいているように見える。