「ーーっ、もう一本!」

地面に投げ出された体を素早く起こして、黒髪の男性――と言うには若く、男子と呼ぶには成熟している彼は、ぎりりと唇を噛んだ。ぎらぎらと光る瞳は好戦的に相手を見据えていて、つう、と頬を伝った汗を荒っぽく腕で拭った。戌の一族の王子、イヌイは、弾かれた木刀を拾って持ち直して立ち上がり、構えを正した。

「鬼と人とではからだのつくりが違うと言うておろうに…」

ぱちん、と閉じた扇子を下唇に当て、イヌイの鋭い視線一身に受けている女は呆れたように眉を下げ、溜息をついた。頭から上向きに生えた黒塗りの角が、彼女が人外であることを示している。名をコトカといい、イヌイとは違う、鬼の子であった。

「女に負けるなんて我慢ならねえ」
「ふうむ、負けず嫌いも度が過ぎると身を滅ぼすぞ」
「いいから、構えろ!」

刀を振りかぶりながら突進にしてくるイヌイに溜息をつき、コトカは振り下ろされた木刀を簡単に指先一本で受け止める。目を見開いて一瞬動揺したイヌイ、ぱちん、と爪で刀を弾くと、簡単に木刀が飛んでいく。あ、とイヌイが声を上げるが早いか、イヌイはまたも地面に投げ出されていた。

「くっそ!」

背中から落ちるもきちんと受け身を取ったイヌイはぐるりと体を半回転させて、うつ伏せで顔を上げる。そのイヌイの前に座り込み、コトカは扇子でイヌイの顎を上げさせた。屈辱だと言わんばかりに眉をひそめコトカを睨み上げるイヌイに、コトカはにんまりと笑った。

「愛い奴よな」
「うるせえ!」

ぐ、と腕に力を込めて体を起こして膝をついたイヌイの顎をまた、コトカの扇子が救う。おい、と発するはずだったその唇は、コトカの爪先が触れて止まる。じろりとコトカを睨むイヌイに、楽しげに喉を鳴らした後。コトカは彼の鼻先に、唇を寄せた。

「ーーー、っ!?」
「それではまたな、小僧」

ひらりと軽やかに屋根まで飛んだコトカは、いつ消えたのかと思うほどの一瞬でその姿を眩ませた。残されたイヌイは呆気に取られていたものの、はっと正気を取り戻して鼻先を擦り、

「……くそ、」

鼻に残るのは、婀娜っぽい香の香りと、柔らかい唇の熱。彼女の名残を掻き消そうとするかのように、イヌイは頬を染めたまま、自らの鼻先を服の袖で擦った。



▼イヌイ(16)