「…姫」

低い声が鼓膜の底を這って、現実と夢の境を明確にする。耳慣れた心地よい声によって眠りから暴かれた意識はゆっくりと浮上して、呼応するように瞼が開く。いつもの朝、いつもの世界。少しだけ違うのは、世界の認識が第三者によって行われたということだけ。

「…シン」
「寝過ごされるなどお珍しい。昨日の公務がお体に障りましたか」

疑問符の付くべきであろう言葉尻は強く断定の色を持って、わたしの体を心から案じていた。大丈夫だと体を起こそうとすると、シンはわたしを抱き込んで、わたしを起こしてくれる。確かめるようにわたしの首筋に触れた体温の低い手が、労わるようにそこを伝うのが少しこそばゆい。「熱はないようですが」微かに下りた目尻へ向けて、わたしはもう一度、大丈夫だと微笑んでみせる。

「シンは本当に心配性ね」
「従者として当然では?」

穏やかに髪を撫でる手つきはまるで、わたしの発した心配性という言葉を否定するかのような動きをしているように見えた。

「女中を呼びます。お召し物を替えられましたら、御髪は僕が」

立ち上がろうとしたシンを手で制す。疑問の色だけを呈した瞳と視線を合わせ乍ら、彼の頬をそっと撫でた。

「昨日炊いてくれた香のおかげでよく眠れたの。ありがとう」

シンは少しだけ口角を解いて、わたしの手を取る。小さく指先に口づけて、「光栄だ、」と、ほんの少し、喜々とした音を乗せた声で呟いて。そっと立ち上がった彼は、音を立てず流麗な動作で、わたしの部屋をあとにした。