「…ふむ、おぬし、我が見えるのか」

小さいときの記憶。城の庭で出合った、艶やかな角の生えたその女の子。俺と同じくらいの歳に見えたのに、随分と古めかしい話し方をしていたのを覚えている。彼女の頭から映える角の色を立てるようにふわふわと揺れる白練の髪からなのか、茹だるような甘い香りがする。ぐらりと頭ごと揺らぐような、誘うような香気。ただ自分の意識はしっかりしていて、ただ、どこか、意識の一部が遠のいているかのような妙な感覚。彼女を見つめたまま立ち尽くす俺を、その女の子は目をまるくして見つめ返した。

「ふふふ、この世代の王子は豊作のようだ」

綺麗ないろをした、瞳だった。しっとりと濡れたその瞳はひどく蠱惑的で、人間離れした美しさを湛えている。くつくつと笑う口元からは、ちらりと尖った歯がのぞいている。人でないものだということはとっくに理解していたけれど、恐怖や嫌悪、敵対心、そういった類の悪い心の動きは一切なくて。俺に向けられたその声は、琴の音色のように凛として、美しい音だと思った。

気づいたら彼女は、俺の目の前に立っていた。音もなく、風のように、ただ自然に俺の間合いに存在していた。鳥が降り立ったかのような流麗な仕草で。彼女には重力がかかっていないかのように、その動きは軽やかで。

ふわりと俺の髪が掻き分けられて、普段見せていない右目を覗き込まれる。俺の髪が俺とその女の子に影を落として、そっと隠し見られているような、俺と彼女が二人きりになったような心地になって、カッと頬が熱を持つ。それはまるで、体の奥から暴かれてしまうかのような感覚だった。あの時幼いながらに感じた言い様のない背徳感は、今思い出しても背筋に何か、ぞくりとしたものが走るのだ。一寸たりとも動けなかった俺はごくりと唾を飲み込んで、彼女を見つめている他になかった。

「……綺麗な瞳」

ゆっくりと彼女の薄く開かれた口が近づいてきて、ああ、食われるのかも知れないと、頭のどこかで思った。瞳という言の葉を聞いた気がして、瞳を抉り出されて食われるのかも知れないと。それでもいいと、思ったわけではなかったけれど。今思うと食われても構わないという思いは、確かに俺の中にあったように思う。

鋭い歯はなりを潜めて、柔らかいものが目の上に触れた。俺は目を開けたまま、その光景を眺めていた。彼女の長い睫毛が、俺の肌を這ってゆく。目睫の間。彼女の柔らかい髪がふわりと揺れるのを、赤い舌が目の端に映るのを、彼女の肌の柔らかそうな色を。そこまで近づいて俺は、甘やかに湿った芳香が、彼女そのものから匂い立っていることに気付いたのだ。

「またね、丁」

俺に口づけた女の子は、それはそれは美しく笑って、最後に俺の右耳の耳輪に歯を立てた。ちくりと刺さるようなそれは、尖った歯が肌に食い込む感触だったのだろう。俺から離れてしてやったりとばかりに細まった目、ついと弧を描くように上がった口角。それこそこの世のものとは思えないくらい妖艶で、すべてを奪いつくされてしまうと、錯覚するかのような。



「……ヒノト様?どうされました?」

従者の声にはっと我に返るまで、どのくらいの時間が経っていたのかは分からない。ただ、彼女がいた場所、もうそこには誰もいなかった。夢心地のまま「いや、」と当たり障りなく返事をして、ついさっきまであの女の子が立っていたところまで、そっと歩を進めてみる。

「(残り香も、気配もない)」

鼻腔に残っている甘やかな名残、しばらく収まりそうにない耳の熱、瞼の上に触れた唇の感触。唇を噛みしめても、このどうしようもない感情は落ち着きそうにない。こんな話、城の誰にも、他の王子にも、したって馬鹿にされるだけだろう。ふう、と溜息をついて、胸に残る熱を少しだけ、吐き出した。