朝起きて、何処からかふわりと香ってきた香りに、はっと飛び起きる。部屋の丸窓から見えたのは咲き立つ梅の花で、俺は溜め息と一緒に肩を落とした。梅の花が風に揺れているのをぼんやりと見つめる。薄紅を含んだような白い花の色があの女の子を彷彿とさせて、俺は窓の障子をそっと閉じる。微かに開いていた窓から匂いが入り込むほど見事に梅を咲かせた庭師は今年もいい仕事をしたと思う反面、ぐらぐらと揺れっぱなしの俺の感情にはいい加減嫌気が差す。

立てた膝に肘を置いて、前髪を掻き撫ぜるように頭を抱えた。この前髪をそっと掻き分けて、俺に触れた女の子。声、香り、まぶたの上、耳。回想にふけるたび心拍は落ち着かなくなって、後ろ髪を引かれるかのように、彼女が痕跡を残した箇所に指先を伸ばす。そこから熱がぶり返すようで、俺は堪らない気持ちになるのだ。



「…カノエってさ」
「ん?」
「……、何でもない」

何だ、と眉をしかめつつも、カノエは特に追及をしてくることはない。俺に残されているカノエの視線には気づいてないふりをして、くるりと髪を指に巻き付ける。もし、この手があの子のものだったなら、なんて馬鹿みたいな空想が頭を過って、髪をいじるのをすぐにやめた。

鬼。きっと彼女はそういう種族だろう。白練の髪に映える濡羽色の角、口許から覗いていた、小さくも鋭い牙。艶めく瞳は濡れた水が反射するように光を浴びて煌めいていて。日に日にあの日の記憶は薄れていくのに、場面場面で切り取られた光景は鮮やかに俺の中に残って、時折傷跡のように、痛むような疼くような感覚を紡ぐ。ぐ、と心臓を掴まれるような感覚は、お世辞にも心地いいものではない。


この国に物の怪がいることはさして珍しいことではない。そういうものが通るときに行われる行事だってあるし、寧ろ馴染みはあると言っていい。だから、もしかしたら、他の王子にそういうものを、そういうひとを、視たことがあるかと聞いてみたらもしかしたら、彼女のことが分かるかも知れないと思った。特にシンなんて詳しそうだ。

ただ、彼女を物の怪と呼ぶのは嫌だ。そういう類いのものとは何か違うと、俺の第六感はそう言っている。それに、……それに。他の誰かが、彼女を視たと、知っていると、そう言っているのを聞くと思うと、心の底から嫌悪の情が沸いて出る。整わない思考はぐちゃぐちゃで、彼女を暴きたい心は今にも勇み足を踏みそうだ。天を仰いで大きく大きく溜め息をつくと、となりにいたカノエはまた、何も言わずに俺を見る。

あのときあの場所には、俺とあの女の子しかいなかった。だから、俺が口外しなければ、あの時間は本当に、俺と彼女だけのものなのだ。こんなにも不可解な感情を、俺は何よりも大事に手挟んでいる。




▼13さいくらいかな