ずく、と。腰の鈍い痛みに顔をしかめる。どうしてなんて考えるまでもない。昨日の行為の残り火に、図らずも顔は熱くなる。この感覚は苦手だ、ひとりで勝手に思い出して、恥ずかしくなって、耳まで熱を持つ。そのうち、痛みより恥ずかしさのほうがよっぽど辛くなってくる。そっと両唇を合わせる力に力を入れて、たまらないこの感覚をやり過ごそうとしても、思い出してしまう。甘すぎるくらいの感覚も、イナミの溶けそうに熱い声も手も、教え込まれた快感も。そこまで考えて、あまりの恥ずかしさに口を手の甲で覆う。髪の毛に隠れた耳は、さぞ赤い色をしていることだろう。熱くて、暑くて、煮立ったこころは吹き零れそうで。

「(……イナミは)」

あんなにたくさん、わたしを、その、求めて。それでも、かれは、かれが、快感を得たのは一度だけ。ぼやけた記憶でもそれはなんとなくわかる。男性の欲が強いのはまあ、知識として、わかってはいるつもりで。
ーーじゃあ、じゃあ、イナミはちゃんと、あの行為に満足しているのだろうか?満足、できているんだろうか?わたしとのそれで?
不安のような形をしたそれは姿を消すことなく、わたしのなかに腰を据える。

「……コトカ?」
「にゃっ!!」

すると思っていなかったイナミの声が真後ろから聞こえて思い切り振り返る。ことりと首を傾げるイナミはいつも通りで、わたしはひとりで真っ赤でいることがはずかしくてはずかしくてもうこの場から逃げ出したくなる。ここが二階だったら窓から飛び降りて退避できたのに。何か言おうとしては閉じてを繰り返すわたしはきっと魚のようで、イナミの目には間抜けに映っているに違いない。

「…どうしたの?顔赤いよ」

不思議そうな顔と心配そうな顔を足して2で割ったような表情で。伸びてきた手を、反射的に払ってしまう。

「!」
「ご、ごめん、何でもないから!」

呆気に取られているイナミを横目に小走りで逃げる。見られてしまった羞恥でまた温度を上げ出す両頬を手で押さえながら走る。ああ、もう、仕事中にこんな風になるなんて、わたしったらなんて分別がないの!今さら手を叩いてごめんって言いたいと思ったって、わたしはイナミから逃げて来てしまったあとだ。ああ、もう、折が悪い。



「コトカ、ちょっと来て」

仕事が漸く終わったところで、昼間会って以来のイナミがわたしを訪ねてきて、有無を言わさず手を引かれる。あんな態度を取ってしまった手前ちょっと気まずい、なんて思う暇もなく、思いのほかに強く引かれた手につんのめりながら引っ張られていく。イナミがこんな風に、乱暴、とまではいかないけど、反応も伺わずにいるのは珍しい。

「い、イナミ?」
「うん」

形だけの相槌。これはどうやら話しかけても無駄だろうと判断して、恐らく向かっているであろうイナミの部屋に到着するまでおとなしくしていることにした。昼間のわたしの態度かな、と思うと、苦い気持ちになってしまった。

イナミの部屋に到着するなり手を引かれて、閉められた襖に背中を付けさせられる。そうしてイナミはわたしを覗き込むように戸に両手をついて、わたしが自由にできる空間はイナミの腕の中だけになる。

「……イナミ、あの」
「今日、何かあった?」

やっぱり、と確信する反面、ずい、と近づいたイナミの顔が近いせいでまた顔が熱くなってしまう。鼻先が触れそうだ、とどぎまぎしてしまって何も返せないでいると、甘えるようなしぐさで鼻先が擦れ合ってぎゅう、と胸が締め付けられる。

「仕事、また無理してる?それとも昨日やりすぎちゃったの怒ってる?」

そうだったら本当にごめん。イナミの頭がわたしの肩に寄せられて、許しを請うように擦りつけられる。やっぱり、手を払っちゃったらそうなるよね、と思って、「怒ってないよ、」
と耳元で呟くと、ほっとしたように固くなっていたイナミの背中から力が抜けた、ように見えた。「じゃあ、」するりと伸びてきた両手がわたしの手首を捕えるように掴んで、イナミのきれいな目がわたしを覗き込んだ。

「告白でもされた?」
「はあ?」

拗ねたような、不安を孕んだ目。意味が理解できなくてぱちくりとまばたきを繰り返していると、睫毛を摘むように口づけが下りてきて、やわく目を瞑った。ちゅ、と乾いた音がして、頬の染まる感覚がする。

「…なんで?」
「手、払われたから、やましいことでもあったかなって」

ちょっとふざけたような声で言うから、わたしも笑ってばかじゃないの、と返す。鼻先に、頬に唇が落とされて、わたしはくすぐったくて笑いながら身をよじる。

「…で?ほんとはなにがあったの?」

話はもとに戻される。こんな状況で、本題から逃げられるとは思えない。意を決して息をついて、わたしの手に掛かっているイナミの手を、自由な指先でとんとんと叩く。察してくれたのか、イナミは手首をつかむのをやめて、指を絡めてくれた。

「…あの、あのね」

うん、とわたしの言葉を待ってくれるイナミの声が甘くて優しくて、恥ずかしさを煽られたわたしはまた逃げ出したくなってしまう。イナミの手をぎゅっと握ると、イナミの親指のかたいところが、わたしの親指の付け根を撫でる。

「い、イナミはいつも、ちゃんと……まんぞく、できてるのかなって、思って」
「………は?」

イナミの顔が見れない。何か言われるのが恥ずかしくて、わたしはイナミが口を開く前に、思っていたことをまくし立ててやることにする。ええいままよ、とはこういう心境なのだと理解した。

「わ、わたし、いつも寝ちゃうし、イナミがその、いったあとのこととか、あんまり知らないし、イナミっていつも一回しか、」

いって、ないし。そこまで言ってわたしは自分の限界を知る。顔も耳も手も喋る時に吐く息すら熱くて、泣きたいくらいに全身熱い。恥ずかしい。肌を隠すように俯いて、重力で下がってくる髪で影を作る。許されるなら今すぐ走り出して逃げ出したい。

「……ねえ、コトカ、顔見せて」
「絶対、いや…」

わたしだって、イナミがきもちよくなってるかって、気になるよ。そこまではもう言えないけど。