生きた宝石


「ごめんください」

 聞き慣れない少女の声が一つ、夜に聞こえた。
 作業を止め、怪しみながらも戸を引くと、そこには初めて見る少女が立っていた。

「夜分遅くに申し訳ありません。どうか、話を聞いていただけませんか」

 この日の、彼女との出会いが、全ての始まりだった。





 客が途絶えないのは日常茶飯事だ。常連さんから一見さんまで、数多くの人で賑わうこの店は、この街で一番の宝石商とも言えるぼくの店だ。

 しかし、ここ最近で売り上げは大いに伸びた。
 でもそれは、決してぼく一人の力ではない。

「サラちゃん、調子はどう?」
「嶺二さん! デザイン画が丁度描き終わったところです。お客様が使いたいと言っていた宝石に合わせて少し改良したんですが、どうでしょうか……?」
「わあ、凄い、流石サラちゃんだね。当初の案よりずっと良いよ、これならお客さんも文句無しのはず!」

 ありがとうございます、と嬉しそうに微笑む目の前の少女。
 サラ、と名乗る彼女は、遠い異国の地、ここから北にある広大な雪国らしいロシアという国から来たそうだ。

 その地の出身らしく、雪のように澄んだ白い肌に綺麗な髪。異邦人であっても、日本の衣装である着物ですらも着こなしている。
 だが、唯一。彼女が目元をレースで覆っているのが、不可解でありながらもそのミステリアスで儚げな雰囲気を放っている。

 目元を覆っているレースの意味を聞いた時、彼女は「病気で、強い光をあまり目に入れられないのです」と答えた。
 それでも、そんなハンデがあっても彼女の宝石の目利きの腕は確かで、寧ろ想像以上だ。幼い頃から宝石に触れ合ってきたという彼女の腕と知識が更に力となり、こうして大きな功績となってくれたことに感謝しかない。


 ――どうか、少しの間だけでも、私をここに置いては頂けないでしょうか。

 あの日の晩、ぼくの元へやってきた彼女は一つの珍しい石を手渡しながらそうお願いをした。
 宝石商として、地位も財力も、そして数々の宝石を手に入れてきたぼくが見たことない宝石だった。アレキサンドライト、と言ったあの宝石は日本にはまだ流通しておらず、とても希少だ。おまけに、行灯の明かりの下と、月明かりとで色を変えるその美しさに、ぼくはたちまち心を奪われた。

 それだけなら、その宝石一つだけ受け取ってしまえばいいものを、彼女すらも受け入れたのは、先程言ったように彼女の目利きの腕が凄まじいことにもあった。

「分かった。君をここに住まわせてあげる。その代わり、君のその腕を持って、ぼくの助手として働いてくれるかい?」

 差し出したぼくの手を、嬉しそうに彼女は握り返した。そうして今、ぼくの横で助手として働いてくれている。一人のビジネスパートナーとしても申し分ないが、一緒に過ごしていくうちに少しずつ違う感情も芽生え始めている。


「嶺二さん、ここのところ根を詰めすぎてはないですか?」

 ここ最近の店の賑わいに、嬉しいことにその分忙しさも重なる。そんなぼくの様子を察したであろう彼女は、気を遣ってぼくの目の前に一杯のお茶と、一つの甘味を差し出した。

「少し、休憩にしましょう」
「……そうだね、ありがとう。でも、君のその優しさが一番、疲れに効くかもしれないね」
「またご冗談を」

 少し照れながらも、嬉しさと儚さを含んだ微笑を浮かべた彼女に、思わず触れたくなる。だが、きっと今手を差し伸べたとしても、触れることは叶わないだろう。彼女はぼくの抱き始めている好意に気付きつつも消極的な様子だった。

 少しの間だけでも、というあの晩の言葉を思い出す。きっと彼女は長らくここにいるつもりは無い。それならばと、ずっとそばにいて欲しいと自分が願えば良いのかもしれないが、適さない環境下に置かれ続けた宝石が、その輝きと美しさを亡くしてしまうことを、誰よりも知っているからこそそういう訳にもいかなかった。

(……甘い)

 用意されたカステラを一欠片、口にする。
 その感想は、この舌で感じた味覚そのものではなく、サラの優しさに対してだった。





「生きた宝石?」

 定期的に訪れるオランダの商人が、不思議な話を持ちかけた。元から気さくで明るく、仕事の話以外に色んな話をしてくれる彼はどうやら新しい話のネタを仕入れたらしい。

「なんでも、瞳が宝石に代わる奇病らしい。そしてその宝石の価値はまさに規格外だ。きっとそれを手にしたら伝説になれるだろうが、君みたいな大物でも中々目にはかかれないだろう」

 極寒の地の一族に伝わる、呪いに近い話。
 その美しさのあまり、多くの人々がそれを望み、狙い、手にしようと画策してきた。そしてその話には、目をくり抜かれた少女の死体が出てきたという話や、その生きた宝石を手にした者は破滅の道を辿るだという噂もまとわりついている。相変わらず彼は飽きない話を持ってくる。
 いっそ貿易商人ではなく、記者あたりに転職するのも手ではないかと思うぐらいだ。

「そう……。ぼくすらも手にすることが難しい宝石、か。それはすっごくそそられるね」
「レイジならそう言うと思ったさ。手に入れたいのならロシアあたりにでもまず赴かないとね」

 まずはその一族の人間を探し出すところからだ、と商人は笑って答えた。

(……ロシア、か)

 その国の名を、ごくごく最近、この耳にしたところだ。
 記憶にも新しく、そして今やとても身近だ。言わずもがな、共に働き暮らしている彼女・サラも、ロシアから遥々日本に来たとそう言っていた。

 そして目元を覆ったレース。そしてそのレースの下は、決して人に見せることはなく、ぼくですらもまだそれを見たことがない。病気だからと言っていたが、それがただの病気じゃないのだとすれば……奇病、であるならば。

(偶然、にしては出来すぎかな。でも、否定する要素も、無さすぎる……まさかな)

 もし、今自分が渇望している生きた宝石を、彼女が持っていたのだとしたら。果たして自分は、彼女からその美しい宝石を切り離すことが出来るのだろうか。そして、それをするということの意味と覚悟を、ぼくは背負えるのだろうか。

(……今考えても、無駄なことだ。何も決まった訳じゃない)

「……どうした、レイジ。さっきから黙りこくって」
「ああ、ごめんね。少し考え事をしていて」

 この考察が外れていることを心の奥底で願っていることには、まだぼくは自覚すらできないようだ。





 生きた宝石の話を聞いたとて、ぼく達の日常はいつも通りだった。この日も同じように仕事を終えて、数々の宝石や原石やデザイン画等を片付けて、一日を終えるところだった。

「サラちゃん、今日もお疲れ様。だいぶここの仕事にも慣れてきたんじゃない?」
「そうですね。やはり宝石に携わる仕事は素敵だなと思います」

 彼女は戸棚にものを仕舞いながら、嬉しそうに答えた。そんな姿を見て、なんだかこちらまで温かい気持ちに包まれる。最初は不安そうな表情をしていた彼女も、ここ最近はずっと楽しそうな笑みを浮かべてばかりで一安心だ。

「ふふ、やっぱり頼りになりね。明日も期待してるよ」
「ええ、ご期待に添えるよう頑張ります。……あ」

 戸棚を締めて、こちらを振り返ろうとする。
 その時、運悪くも目元を隠していたレースを結んでいた後方の紐が、戸棚の取っ手に引っかかってしまった。そして、彼女が焦って気付いた時には、そのレースは足元へ落ちてしまっていた。

「……サラ、ちゃん」

 一目見た瞬間、喉から手が出るほどに、欲してしまった。

 室内には少しだけの明かりしかないというのに、その光すら霞んでしまうそどの輝きがそこにあった。今までに見た、手にした宝石よりも圧倒的な美しさを誇ると、そう確信した。

 あの日の、ぼくの考察は間違いなかった。
 ――彼女こそが、生きた宝石を有していた人物だった。

「……見られて、しまいましたね」

 サラは、落ちたレースを拾い上げる。しかしもうその目を隠すことはない。無駄だと分かっているからだろうか、諦めや悲しみともとれる表情をしていた。

「ご存知ですか? 生きた宝石の、お話を」
「……嗚呼。オランダの商人から話を聞いたよ」
「それなら、話が早いですね。私が日本に来た理由も、察せるでしょう」

 ロシアの、ある一族のみに伝わる遺伝のような、呪いのような、一つの奇病とも呼ばれるその症状。
 瞳が美しい宝石へと代わり、その美しさと価値に、多くの人は手にするべく彼女を狙い、それと同時に生活を脅かした。その末に、彼女はその目を隠しながらなんとかこの地まで逃げ込んできた。日本は、ロシアにとって未開の地でもあるから。

 改めて彼女の口から語られる真実は、もはや答え合わせのようなものだった。唯一無二の宝石を目の前にして、ぼくは興奮していると同時に恐怖心にも苛まれているようにも思える。

「貴方は、素敵な宝石商様です。目利きも素晴らしく、評判も高い。その腕や才は間違いのないもので、価値のあるものをしっかりと見抜ける目も持っていらっしゃる」

 彼女は、立ちすくむぼくに歩み寄る。そして、そっとぼくの手を握った。

「もし、貴方が望むのなら、私はこの目を捧げましょう」

 真っ直ぐと、ぼくの目を見据えるその瞳に、目が離せなかった。
 美しいから、という理由だけではない。その瞳の奥にひそむ、彼女の強い意志と覚悟を。それに、思わず圧倒されそうになる。

「……どうして、ぼくに?」
「私が、貴方の気持ちに気付かないとお思いで? ……今まで、応えられずにいましたから、その応えをと、思ったのです」

 ――貴方になら捧げていいと、そう思ったのです。

 嗚呼、駄目だ。その様な形で踏み込んでしまっては。
 今ここで、その宝石を手にすれば、ぼくは本当の意味で伝説となる。数々の宝石を手にして成功してきたぼくが、今のここで手を伸ばせば、全てを手に入れることも可能となる道筋が開かれる。

 だというのに、今、こうして葛藤しているのは、やはり彼女を愛してしまっているから。彼女に、少しずつ向けていた好意が、このようにして報われてしまって良いのだろうか。
 彼女はぼくに捧げると言った。そして、そうすることで、ぼくも欲しかったものを手に入れられる。単純な話だ。

 少し離れた先にある台の上に、きらりと光る刃物がある。
 あれを手に取れば、密かに渇望していた生きた宝石が手に入る。この機会を逃せば二度と手に入ることはないであろう、伝説の代物だ。

 宝石商としての自分と、一人の男としての自分がいがみ合っている。

「……サラちゃん」

 握られていたその手から、彼女の体温が伝わる。
 その手に、震えは無かった。震えているのは自分の方で、彼女はぼくが答えを出すのを、ただ待っていた。

「……ごめん、サラちゃん」

 彼女の手を離した。その瞬間の彼女の表情は、ぼくには見えなかった。
 そうして離されたぼくの手は、腕は、すかさず彼女を抱きしめた。包み込んだ。その温もりを、手だけでなく全身で感じ取るかのように。



 いつも通りの街。いつも通りの店。
 ごくごく普通の日常で、一つだけ色付いたものがあった。

「嶺二。少しは息抜きしたら?」

 そうやって覗き込む彼女の目の美しさは、やはり格別だ。どんな宝石よりも美しいが、どれほど見ても愛でても飽きないのが不思議だ。

「もう、サラちゃん表に来ようとしちゃダメでしょ。君が美しいのはその瞳だけじゃなくて、その顔や髪も、外見だけじゃなくて、可愛らしい性格もなんだから、他の人に見られちゃぼくが不安になっちゃうでしょ〜」
「なにそれ、嶺二は私の事過大評価しすぎ」
「そんなことないよ、全部本心なんだから」

 頬に口付けをすれば、恥ずかしそうに赤らめるその仕草が愛らしくて仕方がない。

「私、あの日言ったこと、本気だったんだからね」

 拗ねたような、少しだけ怒ったような顔ですら愛おしく感じるのは、きっと惚れた弱みなんだろうな、と思う。最初はあんなに距離があったぼく達の関係も、今じゃこんなに誰よりも近くなっていることが、一番の幸せだ。
 きっと、そんな幸せで溢れている日常も、そう簡単には手に入らない代物だろう。

「あはは、もうサラちゃんったら。いつも言ってるでしょ?」

 ――生きた宝石は、生きているからこそ美しいものなんだよ。



読んでくれてありがとう(^_^)ノ
最初は、嶺二がサラちゃんの目をくり抜いてバッドエンド♡にするつもりでしたがちゃんとハッピーエンドになりました。





if/parody