コツコツと細いヒールがコンクリートの凹凸を跳ねる音が散響する。
つま先の痛みが僅かなうちにたどり着きたい。──新しい靴はこれだから嫌だ。どんなに好みのディティールだろうが、その履き心地というものは実際経験しなければわからない。きらびやかな狭い一角では長時間履き潰すことも叶わず、サイズの文字列だけで信じあげ「あれ?いける?」と誤認を脳髄へと刻んでしまうものなのだ。

「──それは貴女の落ち度でしょう?」
「やだやだ聞こえない、聞こえないです。あっあー」

溶けた氷が、シンプルな装飾のグラスの中で音を立てながら踊る。今日はバーボンですか?そうですか。馴染みと思われるバーテンダーにオーダーした茶色いアルコールの正体なんて私には分かるはずもないのだけれど、きっと今日もストレートなんだろうな、と長い経験から培った知識で予測を立てることは出来た。
彼とこうしてお酒を交え顔を合わせるようになり、既に長い年月を経過していた。もはや定期報告?ぜんぜん定期じゃないけど。というか不定期開催?
学友の時より鋭く笑うようになった彼の細い目は、なんだかジリジリと身を焦がされるようで私は好きだった。別に犯罪者の心理学とか、学んでないんですけど。

古い友人。飲み友達。私たちの関係を形容するならばその辺りだろう。
私はグラスを傾けくるくると回し、白いカクテルへ視線を注ぎながら小言を聞き流した。変わらないなぁ入間くんは。少しくらい同調してくれたっていいじゃないか。

「お仕事でゴリゴリ削られたHPをリジェネで回復してくれるのがこういうアイテムなんですぅ。可愛いでしょ?似合うでしょ?少しくらい褒めてくれたっていいんだよ」
「とってもお似合いですよ。ええ、それはもう貴女の為だけに職人が持ちうる技術を全て注ぎ込んだかの如く──……、ハッ。これで満足か」
「やだ、心がこもってない」
「俺はお前の鼓舞マシーンじゃないんだぞ。──そうだな、ああそうだ。甘い言葉でも欲しかったらいい加減お前も彼氏でも作ったらどうだ」

鼻で笑ったな。もう、もう。私はグラスの中身を掻き込むと、カウンターの下で長く伸びている彼の細い足を蹴った。人の事とやかく心配している場合ですかね、まったく。
こちらに視線を寄越した静かなバーテンダーへ同じものをお願いすると、隣の男はいつのまにか空になっていたグラスを除け、テキーラのショットをオーダーしていた。

「すみません、彼女のカクテル、ジンの代わりに私と同じものお願いしても宜しいですか」
「畏まりました」
「ちょっと」
「俺の奢りだ。飲めなくはないだろ?」
「……まぁ」

お前の何倍も稼いでいるからな。そう笑う横顔にもはや嫌味は感じられない。やっぱり国家公務員て安泰なのかしら。

「お仕事は順調?」
「俺か?──弊社は、まぁ……変わらずってとこだな。お前のとこは?」
「可もなく不可もなく」
「そりゃ何より」

配膳されたカクテルに視線を送ると「マルガリータです」とバーテンダーが軽く頭をさげていた。
思ったより飲みやすいかな。彼は何をもってこのカクテルをオーダーしたのか。オススメなのだろうか。だったら入間くんが自分で飲めばいいのに。

「一口いる?」
「……いや、辞めておく」
「そう」
「話を戻すが──どうだ。お前のお眼鏡に適う男は見つかったか?」
「居たとしたらここに私はいない」
「だろうな。お前は理想が高すぎるんだ間抜け。……それから視野も狭い。初見でファイリングする癖をやめろ」
「フィーリングって大事でしょ」
「見落としの可能性を危惧しろと言ってるんだ」

いつにも増して小言が多いな。珍しく酔いが回っているのだろうか、それとも私生活で嫌な事があったのか。ああ、八つ当たりは勘弁して欲しい。ハゲ課長の責任転嫁にヘトヘトなんだ私は。
今日も営業の同期が謂れのない難癖つけられ公開処刑されていた。せっかく息を殺して存在を無に還していたというのに。腰巾着な先輩のせいで私は判をもらう為に行きたくもない戦火へ身を投じることになってしまったのだ。なにが至急だ。お前がマッマの子宮に帰りやがれ。

「──聞いているのか」

上の空の私の顎を掴むとクイッと彼に向けて方向転換。何がしたいのだか予測がつかない。
思ったよりも近くにあった彼の顔。視線を泳がすのも癪なので、私はそのまま細く尖された瞳へ視線を注いだ。
覗いた緑はなんだか熱を孕んでいる気がする……。やっぱり飲みすぎたんじゃない?
余計なお世話かもしれないが、彼の為にも一言申し出ようと口を開きかけたその時、彼を跨いで後方に見える壁時計の針が予想より先を進んでいるのが見えた。

「──あ、やだもうこんな時間。明日早朝会議入ってるからそろそろお暇させてもらうね。すみませんチェックお願いします。入間くんはまだ飲んでいくでしょ?」
「……二人分まとめてチェックで」

ウォレットを取り出した私の手を制し、無駄のないスマートな対応で会計を終えていく入間くん。……ここは、引き下がるか。次は私が出そう。忘れないよう自身の脳へこの事案を刻むよう命令式を送る。
ご馳走様。立ち上がった彼を見上げそう告げる私。彼は「素直でヨロシイ」といつもの様に目を細めながら口角を上げていた。

「送ろうか?」
「飲酒飲酒」
「馬鹿。ハイヤーでだよ」
「送り狼こわぁい。自分でタクシー呼ぶから平気」

さすがにまだ慣れないこのヒールで夜道を歩く勇気はない。
警察官とご相伴するのは鬼に金棒どころかスーパーマリオにスターを付与するようなものなのだが、流石の私もただの友人にそこまで甘える訳にはいかない。

「最悪近所の悪餓鬼呼ぶから」
「ああ、例の……、」
「うん。一郎くんに借りたゲームもそろそろ返さなきゃだし」
「青少年保護育成条例違反でしょっぴかれたいのか」
「ハイ冤罪」

これだから入間くんは。二言目にはすぐしょぴく、今日は聞かずに済むかと思ったのにな。おめでとうございます、無事記録更新です。──いや何の。

「彼らはそれをお仕事にしてるんだからワッパの矛先が違うと思う」
「ガキ頼る前に頼れる相手が目の前にいるだろ。──ほぉ、成程?どうやらお前の目には俺が二十歳にも満たないガキより頼りなく映るらしい」
「そんなこと一言も言ってないんだけど。ええー……ちょっと今日本当に大丈夫?」

次の飲みの時にからかってやろ。バーから出ると冷たい風が鼻の先をツン、と擽った。
肺に入り込む空気はアルコールを分解しようとしている気がする。直接的な作用なんて知らないけど。だってちょっとだけ酔いが覚めた気がするんだもん。

「……大丈夫なわけあるか。いい加減俺を男として見ろ」
「……は、っ」

スっと地に這うような低い声に振り向くと、彼の輪郭を把握する前に唇が重なっていた。お酒と煙草の味。ぐちゃぐちゃに混じりあったその感触は形容の仕方が見当たらない。

私達の間で形造られたなにかが崩れる音がした。
それはきっと、違う形へと変貌する合図。