私の奢りで好きなだけご飯食べていいよ。条件はあるけれど。
ナースの一人にそう言われて意気揚々とついて行ったものの、すぐに後悔した事があった。まさか朝から夜まで連れ回されて荷物持ちをさせられるなんて、想像していなかったからだ。これはおれが事前にその条件とやらを聞かなかったのが悪い。考えが甘かった。それからは「奢りでメシ食べよう」と誰かに言われても、条件有りかどうかを必ず聞くようにしている。特にナースからの誘いには警戒。マルコやラクヨウからの誘いは条件がないから安心。サッチは時々買い出しに付き合えと言うけれど、これも海上でうまい飯を食うため。
「次上陸する島でさ、一緒にご飯食べようよ。夜。約束」
同時期くらいにこの船に乗ってきた雑用係が、昼寝をしているおれを見下ろしながら言った。薄目を開けて見上げても、逆光のせいで顔がはっきりとは見えない。栗色の短く切り揃えられた癖毛がキラキラふわふわ漂っている。
「約束だよ」
「……まだいいとも言ってねェ」
「なんか予定あった?」
「寝たり食ったり」
「ご飯食べるならいいじゃん。夜は一緒に、港で待ち合わせて」
徐々に眩しさにも慣れたおかげで、嬉しそうな顔がさっきよりはっきりと見える。彼女は相変わらずふわふわと癖髪を漂わせながら、ふわふわ笑った。
三日後に上陸した春島は、それほど大きい島ではない。港は商店が並びある程度賑わっているけれど、中央に向かうほど家も人も少なくなる。
「あそこのご飯美味しくて好きなんだよね、私オムライスが食べたい」
二歩後ろを歩くおれは、適当な相槌で返した。日が沈み切る前の薄ら暗い港に並ぶ店が、それぞれにランプを照らして客を呼び込む。昼間には並んでなかったテーブルが並び、その上には美味そうな料理と酒が乱雑に置かれている。
「エースはいつものやつ食べるの?」
「メニューの端から端まで全部食う」
「私ね、考えたんだけど、店主のおじさんに先にお金渡すでしょ?それで、料理はこれで払いきれる量でって言うの。賢いでしょ?あ、いやそうな顔」
「好きなだけ食べていいんじゃねェのかよ」
「一緒に食べよって言っただけだよ、好きなだけとは言ってない」
「いや、言っ……てねェか」
「ふふ、なにそれ」
絶対食べ足りなくなる。船に戻ったらサッチになにか作ってもらおう。少し前に食べたマーボーラーメンとか。あれ美味かった。辛くて。
満足とは程遠い量の飯を食い終わり、店の外に出れば、陽は完全に沈みきっていて満月が煌々と輝いていた。やっぱり足りなかったなと思いながら軋む木のドアを開けると、後ろから「隊長さん!また可愛い彼女さんと来てな!」なんて店主のオヤジの声が聞こえてくる。彼女じゃねェよ。口には出さず心の中で。可愛いだけは同意してやる。
「おい、船に戻るんだろ?そっちじゃねェぞ」
「ううん、こっちだよ」
条件付きではない。このまま一人で船に戻っても構わない。でも、平和な島とはいえ、夜道を一人で歩かせるわけにはいかない。これが目的か。うまくだまされた。少しづつ反対の道を歩き出す彼女の後ろについて行きながら、サッチの作る夜食に思いを馳せる。月明かりに照らされた栗色の癖毛が、ゆらゆら揺れている。時々、星みたいにきらきら輝く。
おれはこの目の前の髪に、つい手を伸ばしたくなる衝動を、初めて見た日からずっと抑えている。
人も家もなくなり、小さな孤児院を過ぎ、今は廃屋になっている金持ちが建てた無駄にでかい家を過ぎ、そして島の端に辿り着いて水平線が見えてきた。
海が見える丘には一面、名前も知らない水色の小さな花がびっしり咲いている。
「あのブランコに乗りたい」
指さした先にある、木で出来た二人がけ用の古びたブランコ。早く帰りたい。でも一人には出来ない。全然自分でもよくわからないけれど、ブランコに乗りたいと言う為だけに、わざわざ食い物でおれを釣った彼女が不思議と可愛く感じる。少しだけカサついた風のせいで、彼女の髪みたいに心が揺れる。
「ね、早く乗ろ」
痺れを切らした彼女は思考が纏まらず立ちすくむ、おれの手をとってブランコへと進んだ。
「今年は綺麗に咲いたんだっておじさん言ってた。さっき。お店で。綺麗だね」
そう言いながら座る彼女は、ブランコを軋ませながら「エースも、はやく」と急かす。ぎぃぎぃと軋むブランコの音と、今年は綺麗に咲いたらしい知らない花同士がこすれる音と、波の音だけが響いて、それがやけに心をざわつかせる。
「今日は満月だよ、月も綺麗だね。オレンジみたい」
「……あんだけでかいオレンジあったらサッチが喜ぶな」
「サッチじゃなくてエースじゃん。嬉しいのは。オレンジのパウンドケーキ食べたいなぁ」
ふわりとなんとも言えない甘い匂いがさっきからする。しばらくしてからそれが彼女の髪の匂いだということに気付いた。
「なぁ、これ楽しいか?」
ずっと触りたかった、栗色の癖毛が目の前にある。
「たのしいよ、すごくたのしい」
どこかにある春島の、小さな花が咲き乱れる丘に、古い木で出来た二人がけのブランコ。それに座った二人はずっと一緒で、幸せになれる。
いつか座ってみてェよなァ!可愛い彼女と!
そう言うサッチに「彼女つくるのが先だろ」とイゾウがつっこんでいたのを思い出しながら、彼女が見上げているわざとらしいくらい大きく見えるオレンジの月を見上げた。