愛で膨らむ頭にハッピーエンドロール



今日、私はすこぶる機嫌がよかった。
朝、廊下で密かに憧れてる人とすれ違った時にちょっとだけ会話することが出来た。お昼、食堂で少し遅めのお昼ご飯を食べていると、たまたまご飯のタイミング同じだったその人に話しかけてもらえた。全て彼絡みで、浮かれすぎってみんなには思われるかもしれないから、秘密にしている。

だから、普段苦手な物置部屋の掃除だって全然辛くない。床をモップで拭きながら、たまに好きな歌の歌詞を口ずさむ。今日の夜ご飯は何かな? 夜の食堂でも会えたらいいな。そんなことを考えながら掃除に勤しんでいれば、誰かが近付いてくる音が廊下から聞こえた。鼻歌を止めて入口を見つめる。この物置小屋は普段、ほとんど使われないから用がある人間は少ないはずなのに。誰だろう。

そうして睨めっこしているドアが控えめに開くと、私が上機嫌で掃除が出来ている理由になった張本人が顔をのぞかせた。

「ここで掃除をしているとナース達から聞いた、邪魔して悪い」
「邪魔だなんてありえないです! ありがとうございます!」

思わぬ訪問者の登場で、嬉しさのあまり挙動不審になる私を見た彼はくすくす笑った。

「少し休憩がてら話さないか?」

彼からされた提案が衝撃的すぎて、挙動不審どころか動きが止まる。口からは「あっ」や「えっ」だの、言葉にならない声ばかり漏れる。絶対間抜け面を晒しているに違いない。なんだか恥ずかしさが込み上げてきた。

「取って食ったりはしないから安心してくれ」
「は、はい!」

いたずらっ子みたいな笑みで発せられた冗談交じりの言葉に、私は何とか意味のある言葉を返す。彼の顔を見ると、先程とは違い優しい顔で私を見つめていたので、また一段と心拍数が上がった。今日は朝からずっと心臓が忙しい。それにこんな頻度で彼と話せるのはこれが初めてだ。あまりの幸福度に自分はもうすぐ死ぬのかと不安になるくらい。

「実は渡したい物があって」
「え? 私に?」
「渡したい物というか、返したい物と言った方が正しいかもしれない」

なんだろう?何かイゾウ隊長に貸したとか、あげたとかあったかな?そんなことあったら絶対覚えてるし、そもそもそんなの有り得ない。全く記憶になくて混乱する私を見た彼は、また笑いだした。

「覚えてないだろうな、あの時相当酔ってたから」
「酔って……? あ! 先日の宴!」

何かにつけて甲板で行われる大宴会。あの時、確かにかなり飲んだ。いや、飲まされた。何故かサッチ隊長とマルコ隊長に。隊長二人に囲まれるという滅多にないシチュエーションが酔いを加速させた。

「あの日どうやって自分の部屋まで戻ったと思う?」
「えー……と、どうやって……?」

二人の隊長からあれやこれやと聞かれた事は覚えている。何を聞かれたかは覚えていない。緊張と酔いで訳もわからず受け答えをしていたから。それからの記憶がかなり断片的ではっきり思い出せなかった。薄暗い廊下を誰かと、歩いて。いや、歩いてない。私は自分の足で歩いていない。じゃあ、どうやって。

「散々飲ました後でマルコとサッチがお嬢に聞いたんだ」
「な、なにを」
「そんなに酔ってたら部屋に戻るの辛いだろうから一人指名しろ。誰がいい?って」

そいつがおぶってくれる。選り取りみどり好きなだけ選ぶといいよい。
何故かマルコ隊長の声と口調でセリフが再生された。記憶が少しずつ鮮明に思い出されているせいだろう。

「そしたらたまたま通りかかったおれを見て、イゾウ隊長と二人きりになりたいからイゾウ隊長がいいって」
「わあああ本当にごめんなさい!」

最悪だ。恥ずかしい。泥酔にも程がある。まさか自分がそんな大胆な発言をしていたなんて。はははとイゾウ隊長は笑うが、私は顔面真っ青になったり真っ赤になったりで心中穏やかではないどころか大時化で大変なことになっている。

「それでおぶって廊下を歩いてる時にお嬢がこれを」

そう言って見せてくれたもの。見覚えのある綺麗な飾りがついたヘアゴム。

「例え酔ってたとしても嬉しかった。だからおれからも」

―知ってますか?
私の生まれ育った島では一緒にいたいと思う人に髪飾りを贈るんです。だから、これ。ほんとはずっと渡したかったんですけど、なかなか勇気が出なくて。あ、背負ってるから受け取れないですよね。じゃあ後で、部屋についたら渡しますね。私、イゾウ隊長がずっとずっと憧れで。ごめんなさい。でも好きで。好きです。

ぎしぎしと軋む床板の音が止む。橙のランプと月明かり。動かなくなった景色。背負われてるせいで彼の表情は見えない。髪飾りは手に持ったまま。どうか私の気持ちが伝わりますように。この瞬間が永遠に続きますように。この夜が明けませんように。首に回している腕の力を少しだけ強めて首筋に顔を埋めると、汗の匂いに薄ら混じる甘い匂い。

「これは簪って言うワノ国の髪飾りなんだが」

紅葉の飾りがついた、美しい棒。

「お嬢の出身は秋島だっただろ?」

本当に、本当に、私は今日死ぬのかもしれない。こんな嬉しいことがあるなんて。こんな幸せなことがあるなんて。

「ちゃんと意味もわかってて髪飾りを渡す」

そろそろ色々思い出したんじゃないか?
固まる私の手を取り、そっと簪を渡す彼は、ほんの少しだけ口角を上げた。





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