ただいまーと玄関を開ければ家の中に人の気配。いったん視線を下に向ければ綺麗に揃えられた大きな靴が一足。どうやら今日は珍しく洋貴が先に帰ってるみたいだ。ヒールを脱いで明かりの点いたリビングに向えばやたらと家中が静かに感じる。もしかして寝てるのかな、なんて思ってゆっくりリビングのドアを開ければ足下にトコトコとギンコが寄ってきてベランダに向かって一つ吠えた。




「あ、ベランダに居るの?」




私がそう尋ねればギンコは尻尾をパタパタと振って私を見つめる。そっかベランダに居るのか。ありがとギンコ、とギンコの頭を撫でてベランダを覗けば、煙草片手に空を見上げる洋貴がいる。あ、すごく格好いい。思わず見とれてしまうその仕草が付き合う前をふと思い出させて私の胸がキュンと音を立てた。ゆっくりと窓を開ければ入ってきた風にカーテンが揺れて微かに煙草の匂いがする。




「あ、おかえりなまえ」

「ただいま、寒くない?」

「あぁ、大丈夫ありがと」




そう言っておもむろに煙草を消そうとする洋貴に私は思わず待ってと声を出した。そんな私の行動に少し驚いた洋貴がその手をぴたりと止めて不思議そうに私を見つめる。




「何?どうかしたの?」

「洋貴の煙草吸ってるとこ見てたい」

「え?」

「見てたいんだけどダメ?」




私がそう言えば洋貴は困ったように煙草の灰を灰皿に1つ落とした。





「ダメって言うか体に悪いだろ」

「吸ってる本人に言われたくないなー」

「まぁ、確かにそうだな」




相変わらず困ったように笑う洋貴が灰皿に煙草をこすりつけた。あ、消されちゃった。今までもくもくと上がっていた白い煙がゆっくりと風に揺られ苦い匂いだけを残して空に消えていく。




「消しちゃったんだ」

「まぁね」

「あーぁ、見たかったなー」

「そんな見せるもんでもないだろ」

「見せるもんだよー」




だって私が見たいもん、とそんなことを言って短く息を吐けば一瞬白い息が出てすぐに消えていく。煙草とは違う何とも情けないその白さは何故だかちょっと切ない。




「付き合う前は見れたのになー」

「まぁ、付き合う前は、あれだ」

「あれってどれ?」

「なんつーか…格好付けたかっただけ」

「えーなにそれ」

「男は好きな女の前では格好付けたがる生き物なんだよ」

「ふーん」





そうなんだ、と興味なさ気返してから私はふと思う。何だか少しややこしいけど、男は好きな女の前では格好付けたがる生き物だというのに今洋貴は私の前で煙草を吸ってはいない。ということは私は格好付けなくてもいい女ってことでよく考えたらまるで、洋貴は私のことが好きじゃないみたいじゃないか、と。




「今は格好付けないの?」

「んーそうだなー…」

「私のこと好きじゃないってこと?」

「いや、好き。…でも、」

「でも?」




ベランダに肘を付いて空を見上げた私はそう繰り返してちらりと洋貴を見た。今も微かに残る煙草の匂いに鼻の奥がツンとする。




「今は自分よりなまえが大切だから」

「えっ?」

「変に格好付けて自分を大切にするよりもなまえの方がずっと大切」

「え、えと、」

「まぁ早い話がなまえのことめっちゃ好きってこと」




あぁ、ずるいなぁなんて思うより先に顔がどんどん熱くなって湯気が出そうだ。横目で盗み見た洋貴の顔はどこか涼しげで私だけ照れてるのが何だか悔しい。





「でもたまには格好付けてよ」

「じゃあ他の事でな」

「他の事…?」

「うん」

「例えば…?」






私が意地悪くそう尋ねれば洋貴は小さく笑って私の顔の高さまで腰を屈めた。いきなり真正面にきた洋貴の顔は私の顔と数センチの距離でさすがに顔が赤いのがバレてしまいそうで私は視線を少し逸らした。




「な、何?」

「例えばさ、」





そう言った瞬間、気付けば私の唇と洋貴の唇が合わさって、チュッと小さな音を立てた。あ、やられた。そう思って洋貴を見れば、してやったりな口元が小さく弧を描く。




「キスとか?」







例えばキスとか
(微かに残る苦味が愛しいよ)


20120318
(Happy Birthday!安元さん)
1997