基本的にオールマイティーと告げられ、だいぶホールにも慣れてきた今日この頃。とうとう今日は厨房ね、と楠木店長、基、たいてむ店長に言われた私は初めて入る厨房を前に1つため息を吐く。いや、いけっかこれ。



「おはようございます、今日はよろしくお願いしまっ…」



す、と最後の一文字が儚く消えた。どんな風に挨拶しようか、上手くやっていけるか、なんて小さい不安は今目の前に見える、大きいお兄さんがどことなくハンサムなお兄さんに拳を振り上げ襲いかかろうとしている光景、によってあっという間に消え去った。いや、いけねーわこれ。何これ?どうすれば?これは2択問題です。
@声を出す A見なかったことにしてホールに帰る
はい。言わずもがなA。さよなら初めての厨房研修。私はずっとフロアレデイとして生きていきます。



「失礼しました」

「え、待って待ってー」



私がそう言って回れ右をすれば低い声が私を引き留めた。これまた2択問題です。
@振り向くA振り向く
いやもう振り向くしかないやつやん、と自分の中の緊急警報が鳴ったので私は立ち止まってゆっくり振り向いた。



「君が新人の子?」

「あ、そうだったかもしれません」



ヘニャリ。なんとも言えない曖昧な返事と曖昧な笑み。チラリ見た名札には安元の文字。ん?あんげん?変わった苗字である。拳を掲げたまま私を見たあんげんさんはどことなくハンサムなお兄さんから離れ、私の方へやってくる。お、おう。拳、その拳はなんでーすか。



「左手はにゃんこの手だよね」

「はっ…?」



思わず口から出てしまった言葉に慌てて口を塞げば後ろのどことなくハンサムなお兄さんがあははっと面白そうに笑った。ちょ、ちょっと厨房怖い。帰りたい、フロアに。フロアに帰りたいです中村さん!



「あ、ごめんなさい、ちょいタンマ」

「タンマ?」

「初めまして、安元洋貴です」

「あ、はい、#name2##name#と申します…」

「あっちはハンサム」

「ハンサム?」

「今日、初めてなんだよね、厨房」

「あ、はい」

「うん、じゃあよろしくね」

「あ、はい、よろしくお願い致します」



もはや謎の緩急である。さっきの拳はどうした。急な自己紹介と優しい笑顔。そしてあんげんではなくやすもと。呆気にとられる私と、安元さんの後ろで何かを言っているハンサムさん。てか、いや、ハンサムって何。どんな字。



「ごめんね#name2#さん驚かせて。顔に俺超悪人て書いてある」

「い、いいえ!!」

「本をただせばハンサムのせいだから」

「えーだってー」

「だってじゃないの!危ないの!」



まったもーとどことなくお母さんのような安元さんはハンサムさんの顔を見て呆れ顔をする。最初の光景は襲ってるわけではなくお説教中だったのか何なのか。



「いや、何かすみません。あの改めて#name2##name#と言います。今日はよろしくお願いします」

「大丈夫だよ#name#ちゃん!安元さんをビビる人1人じゃないから」

「おいハンサム、俺の印象悪くするな」

「安元さんだって俺をそうやって呼んだらなんかナルシストみたいじゃん」

「気持ち悪いよりましだろ」

「いや、そうだけどー」

「まぁ良いからほら自己紹介」

「あ、そっか、俺は小野大輔です!よろしくもす!」

「俺は安元洋貴です。だいたい厨房に居ます」



最初の光景はなかったこととして、改めて自己紹介の仕切り直し。ハンサムさんは小野さんということも分かり少し安心した私はもう一度お辞儀をしてメモを開く。

とても整って綺麗な厨房。色々なサイズのフライパンや何に使うのか分からない調味料。初めての物ばかりだが安元さんの分かりやすい説明でテキパキと研修は進んでいく。あ、なんか今ならすごくやれそうな気がする。説明を聞くだけで満足していた私に、ちなみに料理なんだけど、と今までの説明とは打って変わって安元さんが少し口ごもる。



「メニューがめちゃくちゃなんだよね」

「風の噂でそんなことは聞きました」

「種類もそこそこ。イベント事にはすぐ乗っかるし」

「イベント」

「ちなみに#name2#さん何か料理出来る?」

「生きていくための料理ぐらいは…」



と出来る料理を何個か上げれば安元さんはなぜだか泣きそうな目で私を見て後ろの小野さんは何故だか拍手をする。



「#name2#さんは神だ」

「え?神ですか?」

「そんなに料理が出来るなんて#name2#さんは偉い!本当に出来る子!」

「そ、そんなに褒められても私は女子力皆無な料理なんで!お2人には適わないです」



褒められて悪い気はしないがそんな期待されてもプレッシャーでハートがやられますと弱気になっていれば安元さんがグッと拳を握った。



「包丁使う時はさ、反対の手はどうする?」

「え、反対の手?猫の、手?」

「そう、にゃんこの手だよね、流石だね」

「にゃんこの手」

「ハンサムはね、本当に何も出来ないから」

「え?」

「ん?」

「何度言ってもにゃんこの手にしないし、お皿ハイターで洗おうとするし」



安元さんのその言葉に思わず小野さんを見れば何だこの悪びれた様子のない楽しそうな顔は。俺も頑張ってるんだけどなーという気の抜けるような声に安元さんが大きなため息を吐く。あれ、やっぱやれないかも?まだ始まったばかりの前途多難な厨房研修。とりあえず怪我はしたくない、です…。







あの握り拳はにゃんこの手!



1997