おはなし
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そんな自分にも、少し遅めの春と言うものがやって来た。
急遽、友人の家に泊まる事になった本日。話題に上がった一つが晩ご飯だった。始めは食べに行けばいいとか注文して持ってきてもらうとか案を出し合う中で、とても重要な事にあたしは気付いてしまったのだ。
ここで大体予想は付くだろう、そう、肝心のお財布が鞄の中で叫んでいる。
先月の終わりにいただいた給料はスマホ代やらを計算して使っていた筈なのだが、一部予想外な出費が顔を覗かせた為にお財布の中身はピンチだった。
素直にそう言えば雪は奢るなんて口にするものだから全力で断った。いや、申し訳なくて。計算した上で上手くやり繰り出来なかった自業自得を彼女に拭ってもらうなんて、うん、無理。とても情けない。
例え友人であっても金銭の貸し借りなんて出来ない。いや、雪なら喜んで貸すけども。なんなら貢ぐけれども。
どちらも折れない状況に困り果てていると「あ、」と雪が声を零し。そこで晩ご飯を一緒に作ろうか、と言う事になった。お泊まりの上に一緒に作るとは言え手料理、いいんですか。
全力で頷いたのは言うまでもない。
と言う訳で。雪の住まうマンションから近いスーパーへ食材を買いに来た。(因みに此処に来る途中でシチューとサラダにしようって事にもなった。)
「(…………マッシュルーム、入れないと駄目なのかなあ?)」
大体の材料をカゴに入れた雪はドレッシングの容器が空っぽだった事を思い出して調味料コーナーへと行ってしまい、残されたあたしは、じいいいいい、と食材の一番上に偉そうに立っているマッシュルームの缶を見詰めていた。否、睨んでいた。
こいつとグリーンピースだけは何年経とうが仲良くなれない。マッシュルームを噛んだ時のぐにゅっと感もグリーンピースを噛んだ時の味もこの先好きにはなれないだろう。
然し雪はこれが好きなのだ。どうしよう。好物の中の一つであるこいつを我慢して食べるべきか否か、迷いに迷う。が、こいつの独特の食感を思い出した瞬間、一番上にいた憎たらしいこいつ(マッシュルームの缶)を片手に、
あたしの足は勝手にこいつの仲間が待っているコーナーへと向かっていた。
「あれ?」
「!!?」
なんとこのコーナーに雪が居た。
ここに戻って来たあたしを見て不思議そうに首を傾ける雪と、持っているこいつを交互に見合わせ、そっとカゴへ戻した。
「…………え?いや、マッシュルーム、雪好きだから、量これで足りるのかなって…思って…」
「え!増やしてもいいの?ふふ、ありがとう小毬ちゃん。あんまり入れすぎるのもなあって思ってたから、じゃあお言葉に甘えて増やしちゃおうかなっ」
「(あああああああ!!!!)」
カゴに追加されたマッシュルームの缶から視線を逸らせなかったよね、もう。
「…おや?雪さんのご友人ですか?」
嫌な意味でこいつに夢中になっていて全く気付いてなかったが、雪以外にも人が居たらしい。名前を呼んだ事から、知り合いだろうと言う事くらいはあたしにも解る。
雪の知り合いとあれば無視をするのも失礼だろう。未だにマッシュルームショックが抜け切れていないまま「そう、ですけど」と声の主を探す様に顔を上げて、その姿を視界に捉えた。
瞬間、完全に硬直してしまった。
「あ、紹介するね。友達の栗花落小毬ちゃん。で、こちらは沖矢昴さん。スーパーで顔合わせてたらいつの間にか仲良くなったの」
「…え?あ、そう、ですか。……、…はい?」
硬直している最中に紹介されたものだから思わずよく解らない返事をしてしまっていたかもしれない。と言うか最後なんで聞き返したの、あたし?取り敢えず自分に出来るのはただただぼんやりと眺めている事くらいである。
薄い赤みの髪色をした眼鏡を掛けたお兄さん。沖矢さんはあたしから雪へと視線を移ろわせ、会話の続きを始めてしまった。
見るからに年上で、大人って感じ。店長ともお店に来るお客さんともまた何処か違った雰囲気で、無意識にパーカーの合わせを掴んでいた。
何処がどう違うのかと聞かれても答えられないが、なんか、こう、違うとしか、言えない。
そして何故かそわそらして、妙に落ち着かない様な気持ちになる。
「……か、会計、してくる」
このまま見ているのも失礼なのでは?と思って上記を雪に伝えた上でレジに向かう。
お昼過ぎだった事もありレジは空いていて会計を直ぐに終えたあたしは、先程の場所には戻らずお店の外で待つ事に。
数分後には「お待たせー」と雪の声が聞こえて笑顔で出迎え様としたが、その隣に先程出会ったばかりの沖矢さんも居て、また硬直してしまった。
「昴さんもこの近くに住んでるから会った時はいつも途中まで一緒に帰ってるんだ」
「……へ、ヘエ…」
何故か二人の後ろをついて帰る形になっていた。
大学も大変そうだから会える日も時間も不定期で、だからこそ会えた時はめいいっぱいお喋りしたいし笑顔も見たいし、一緒の時間も楽しみたい。故に普段なら雪と二人で居る時間を他者に邪魔されるなんて心底避けたい。
のだが、どう言う訳か、沖矢さんにそう言った類いの感情はどうしてだか持てない様で。内心ではずっとううーんと唸りっぱなしである。
そんな、少しばかり戸惑う帰り道だった。
「…昴さんを見てから、変?」
一緒に作った晩ご飯を食べながら話題はふとあのスーパーでの事を引き出していた。因みにシチューは雪と一緒に作ったから控え目に言って高級料理店並に最高な味である。とても美味しい。そしてスプーンを口許に添えた雪はあたしの言葉に首を傾けていて、控え目に言って天使だった。
不思議そうな表情を浮かばせている雪に、うん、と頷き見せてまた口を開く。
「なんか、こう、ふわふわーって。そわそわーって。今まで思った事なかったから、全く解んない」
「うん、ごめんね。私も解らない」
間を入れず言い切った雪。いや、うん、本当、言葉足らずなばかりに申し訳ない。
「妙にそわそわすると言うか、そこから逃げたいと言うか…これ、なんだと思う?もしかしてお兄さんの事が苦手なのかな…?」
同じ様にスプーンを口許に、眉を下げてはシチューに入っているマッシュルームをじっと見詰めた。それが雪の親しくしている人だから、尚更に申し訳ない。
今までこの人が苦手だとかそう言う目線で見る事が滅多になかったから、余計に困惑する。いや、でも結構前に出会った人で、自分はこの人が嫌いだと思った時はハッキリと解った筈なのになあ。変なの…。
スプーンをお皿に置き、代わりに口許へ自分の手を添える雪は何やら考えている様で、じっと様子を伺っていると急にテーブルへ手を乗せ次いでこちらに身を乗り出して来た。
近くで見ると更に可愛い。
「それ、苦手じゃないんじゃない!?」
「……、…………と言うと?」
「寧ろその逆!昴さんの事好きになったんじゃないかな!?」
やや興奮気味にそう言葉を付け足した雪に今度はあたしが首を傾けてしまう番。はて?逆?好き?苦手ではなく?好き…?雪が言うには、好きな人を前にすると落ち着かなくなるらしい。自然と逃げたくなる気持ちになって、そわそわしてしまうのだと。苦手に思うならそわそわする事もふわふわした気持ちになる事も一切ないのだ、と。
ほう、恋愛と言うのは難しいね。
なんて。考えて直ぐに「はああ…!?」とあたしもテーブルに手を乗せた。次いで、両頬を押さえる。
「(え、えええええ、恋?あのお兄さんに恋してるのあたし…!?なんで!?)」
確かにそう考えると何故か納得してしまうしお兄さんから目を離せなかったのも、なんとか解る、けども。
もしかして、これが一目惚れと言うやつなのかもしれない。
その結論へ落ち着くまでそう時間は掛からなかった。