やさしくてあたたたかい匂いがして、ふと目を開けた。布団によって半分ほど塞がれた視界を日差しがちくちくと刺激して負けてしまいそうになったけれど、なんとか身体を起こしてあくびをする。まだややへこんでいる隣はすでに冷たく、彼が今日も日が昇る前には起床したことがうかがえた。
「ふあ〜あ、透くん早いね」
ぺたぺたと廊下を歩いて覗いたキッチンに、クリーム色の髪の毛が揺れていた。部屋を借りる際に彼が無駄にこだわりを見せたシステムキッチンは白くて綺麗で、私がそこに立つことはほとんどない。
「ああ、南々帆、今日は早いですね」
「透くんと一緒に暮らしてたら嫌でも朝型になっちゃうね〜。アムロナイズドされちゃう」
「なんですかそれ」
くふふ、と呆れたように笑う透くんが、ほとんど息を吐くように「おはよう」と続けた。それに挨拶を返してから席について、透くんがテキパキと動く姿を見守った。
「ちょっと、お皿とってください。かわいくてまるいやつ」
「苺の? ハートの?」
「苺の」
「はあい」
透くんはいつもお皿にもこだわる。なんでも、お皿ひとつで料理が決まるだとかなんとか、……味が変わるわけでもあるまいしと未だに思っているけれど、一度それを言ったら本気で怒られた(もうあの透くんは二度と見たくない)ので心の中で押さえている。でも、お皿なんて色ぐらいしか分からないから、透くんの「サラダ用」だとか「デザート用」にぴったり合うお皿を見つけられなくて、ついに最近では「かわいいの」「とっておきの」「つぎにとっておきの」といった分け方になった。時々正気に戻った透くんが「この年で……」と自己嫌悪に陥るけれど、私は彼の顔にはぴったりな言葉だと思っている(これも思うだけ。怒られるから)。
「バターは?」
「たっぷり! いちごジャム!」
「あ、マーマレードがもうすぐ終わるんでマーマレードにしてください」
「えー……」
「ココア入れますから」
「やったあ」
透くんと暮らし始めてから半年ほど、どんどんと自分が駄目になっていくのを感じる。お仕事が忙しいから時々まる2日とかいないこともあるけれど、いるときは精いっぱい私を甘やかしてくれる。多分、ここでわがままを言えばバナナを切って飾り付けてくれるんだろうけれど、もうこれ以上太るのはやばいから黙っておく。
「南々帆、僕は今日バイトがあるので、部屋の片づけをお願いしますね」
「んー、努力する」
「お昼ご飯は冷蔵庫にありますから」
「夜には帰ってくる?」
「はい。なるべく早くには」
「ってことは20時頃かあ」
「すみません」
寂しくなることもあるけれど、透くんが本当に申し訳なさそうな顔をするから、いつも文句が出てこない。はあ、と大袈裟にため息をついてから、仕方ないなあと笑ってあげた。透くんはそれを見て安心したような顔をした。
いつか、透くんのこと、ちゃんと教えてくれたらいいのになあ。
私は、たぶん、彼と付き合っている。同棲する2カ月前に出会って、彼の優しさや強さに惹かれていたところに告白された。……たぶん。「一緒に居ると安心します」が告白に入るなら。「好きだよ」とか「愛してる」は聞いたことがない。
彼のバイト先は知っているけれど、本業は別にあることには気付いている。でも、透くんは気づいてほしくなさそうだから知らないふりをしている。彼は時々本気で私のことを馬鹿だと思っているようだけど、本当は賢い女なのである。えへん。