特別な日
雷門中と私の通う高校は近い。だから放課後は大抵まっすぐ練習場へ向かうことができるし、休みの日だって練習があるならもちろん向かう。キラキラ輝くオーラを目一杯振り撒きながらボールを追いかける蘭丸くんは本当に、本当にかっこいい。その輝くオーラは多分きっと汗なんだけど、それでもかっこいい。もういっそ相撲しててもかっこいいと思う、最早なんでもありだ、それくらいには惚れてる
サッカーについて何度か学ぼうとした事はもちろんある。ルールとか、ルールとか、ルールとか。元々運動音痴で体育の授業なんか地獄でしかなかった私には、もの凄く縁遠い。蘭丸くんに出会うまでは全くと言っていいほどなにも知らなかった。出会ってからも細かいあれこれは難しいし、技や化身やミキシマックス、面白いと惹かれる部分は沢山あれど、蘭丸くんのいない試合は見てもなんだか味気ないし、蘭丸くんがいても蘭丸くんしか見ないからほとんど意味をなさない、だから辞めた
誰にでも不可侵な場所があると思う。それが蘭丸くんにとっての仲間で、サッカーで、親友。そこに私が中途半端な気持ちで突っ込んで行ってもどうしようもないし、何も出来ない。彼らのようになれる訳でもなければ、そこに私の居場所はない。無駄に踏み込んでも得はなく、強いて言えば損をするだけだ。なんて言えば聞こえはいいけど、要は結局諦めただけである。でも諦めることが悪いとも思わないし後悔もしていない。ただ、時たま彼らにだけ向けるその顔が眩しくて、羨ましいと、ほんの一瞬どうしようもない感情を持ってしまうくらいで、その顔を向けられることは無い以上、その表情一つ一つを感じられる今とこの立場を幸せに思う
一緒にいる皆だからわかる蘭丸くんがいるように、私だからわかる蘭丸くんがいる。私が知らない蘭丸くんがいるように、それを彼らは知らないし、結局のところ皆変わらない。今日も蘭丸くんはかっこいい、その事実だけで充分なんだ
今日はなんだか朝からそわそわして、実際は朝からなんてものじゃなく、何日も何日もずっと前から落ち着かなくて、夜更かしして、結果寝坊した。いつもだったら練習が始まる前に少しだけ話せるはずなのに、よりによって今日、寝坊した。既に始まった練習を邪魔しないように、そっとサッカー場に入る始末。せっかくの蘭丸くんを見れる時間を数分無駄にしてしまった
いつもの事ながら、どっちが優勢かをボールが右と左どちらにあるかで判断するレベルの無知な頭で、ただひたすらに眺めているだけなのに、一向に飽きる気配がないのは何故なんだろう、なんて考えてみたりする。蘭丸くんがかっこいいからだなぁ、結局でるのはその結論、なんとも不毛である。あ、蘭丸くん抜かれた
なんとなく邪魔する気にもなれなくて、慌てて鞄に入れたうちわとキンブレは最後まで出番なし。結局練習では蘭丸くんの方が負けたらしい、普通今日は勝つところだと思うんだけどな、神様の意地悪。でも一番かっこよかったのは蘭丸くんだよ、なんて馬鹿みたいな事を言ったらきっと怒られるんだろう
そろそろいい頃合かもしれないと思い、席を立つ。部外者の私が混ざっても大丈夫な空気は流石に読めるようになってきた。最初こそなりふり構わずだったけれど、私にも多少の常識はあるわけで、蘭丸くんが輪から外れたのを確認してから、練習終わりの背中に向かって思いっきり抱きつく。目の前で話していたしんさまには私は丸見えだったはずなのに、知らん顔なんて悪い男ですね、でもありがたい
抱きつかれた時は間抜けな声を出した癖に、すぐにため息をついて、倒れたらどうするつもりだったんだって、見えないくせに私だってわかってくれるのが嬉しくて、そりゃあこんなことするのは私くらいだけど、やっぱり嬉しくて、思わず笑ったら笑い事じゃないんだけどな?ってちょっと呆れられた。ごめんね、違うんだよ
無理に引き剥がさないところが蘭丸くんの優しいところだと思う。こうなったらしばらく離れない私を諭すのは早々に諦めているから、そのまま会話の続きに戻ってる。周りにもそれを気にされないのは、それだけ私が色々やってるからだと思うとなんだか複雑だけれど、存在を認識してもらってるみたいで少しだけ嬉しい。ここにいてもいいんだと、私が蘭丸くんの大切な場所に立つことを認めてもらえた気分になる
そっと背中に顔を埋めて、腕に少しだけ力を入れて、誰にも聞こえないように小さな声で「おめでとう」と呟く。今日は大事な日だけど、とってもとっても大切な日だけど、それは私にとってであって、蘭丸くんにとっては違う
世の中、世間一般の人からしたら、いくら好きな人とはいえ背番号の日を祝う、なんて伝えたらびっくりされると思う。事実蘭丸くんもそうだ。でも私たちの間では少しだけ他とは事情が違うわけで、背番号なんて何がおめでたいんだ?って正論言う蘭丸くんに、だってそれしかないって言ってしまったあの日の顔が私は忘れられない
誕生日も、血液型も、身長も、好き嫌いも、こんなに一緒にいても大切な人のことをなにもなにも知らないけれど、それは仕方が無いことで、蘭丸くんにも私にもどうしようもできなくて、それを蘭丸くんにぶつけるのはあまりにも残酷な事だった。ふとした瞬間私が口を滑らせてしまうと、決まって悲しい顔をするから、そんな顔をさせてしまった自分が情けなくて涙が出そうになる
それでも、私が精一杯のお祝いをできる日は今日しかないから、きっと私は来年も蘭丸くんの知らない所で小さなお祝いをして特別な1日を過ごすんだと思う
蘭丸くんの背中は広い。いや、広くはないかもしれない、大きい、物理的にも違う意味でも。これからきっともっと大きくなって手を回しにくくなっちゃうのかな、なんて、少しだけドキドキすると同時に、なんだか落ち着く。こんな背中はなかなかないな、って半分頭空っぽにしながら抱きついていたら、着替えてくるからちょっと、って流石に手を剥がされた。抵抗する気はまるでないけどあと少し、なんていつもの調子で手を伸ばしてみたりして、はいはい後でって歩いていく蘭丸くんの後ろ姿を眺めながら、3の文字が眩しいなってちょっと思った
今日はどうしよう、午後からでもいけるところってなにがあったかな。独りよがりな準備ならずっと前からしている癖に、肝心の当日に蘭丸くんとする事は全く考えていないから困ったものだ。疲れてるから早く帰りたいかななんて、珍しく気を遣った考えが浮かぶあたり、本当に万策尽きている。蘭丸くんの日なんだから、私に付き合ってもらうんじゃなくて、付き合えるのが1番いいんだけど
ベンチに座って足をブラブラさせていたら、帰るぞって元いた場所に忘れて置きっぱなしだった私の鞄まで蘭丸くんがわざわざ持ってきてくれた。見上げたら夕焼けが眩しくて、後光の指した蘭丸くんはなんだか神々しくて、とりあえず拝んどこうかななんて手を合わせてみたら、呆れた顔で頭を叩かれたけど全く痛くなかった
鞄を受け取りながら私のいた場所わかってたんだなぁって照れて、さっきまでどうしようって悩んでいた癖に、蘭丸くんと一緒に歩いてるだけでなんだか充分な気がしてきて、まぁいっかって思いながら帰り道を歩いた
結局何をする訳でもどこへ行く訳でもなくただいつも通りで、途中で手繋いでもいい?って聞いて繋がせてもらったのだけちょっと違う。恋人繋ぎまではできずに本当にただ繋いでるだけだけど、蘭丸くんの体温が伝わってきて、そこにいることを当たり前だけど、今更改めて実感した。蘭丸くんはここにいる
もうすぐで別れ道というところで、急に蘭丸くんが立ち止まった。なにか忘れ物かと思い、私も付き合おうか?と聞いたら、否定しながら少し困ったような悩んだような顔、私の頭にまではてなが浮かんでくる。お互い無言で道の真ん中に立ち止まって、蘭丸くんの目線は宙で、さっきからこっちを向いてくれないしずっと悩んだままだ。どうするべきか少し混乱しながら、冷蔵庫が空いていなかったから階段に置いたままのケーキのことを考えたりしていた
不意に繋いだ手に力が入ったかと思うと、そのまま手を引かれた。突然の事に抵抗も何も出来なくて、気が付いたら蘭丸くんの胸の中にいた。頭の処理が追いつかない。背中に腕が回って、これは多分抱き締められてるんだろうと、それだけは理解出来た。さっきまでケーキの事を考えていたのに、一瞬でそんな余裕はどこかにいって完全に真っ白。やっとの事で振り絞った、な、なにごと、の声にも蘭丸くんは答えてくれない
心臓はバクバクで、今聴診器を当てられたらあまりの音の大きさと速さにお医者さんすらひっくり返ると思う。緊急入院。どのくらい時間が経ったのかわからない、もしかしたらまだ10秒くらいしか経ってないのかもしれないけど、私の中では既に30分は経過している。車が通らなくて本当に良かった。頭が沸騰しそう、でも離れようとはできなくて、腕を回すこともできなくて、とりあえずされるがままでいたら
ありがとう、小さくそう聞こえた気がする。聞き返す前に蘭丸くんは離れてしまって、急にごめんな!って笑ったあと、明日も来るのか?と話を逸らすように聞いてきた。当たり前だ、サッカー部のスケジュールなんてとっくに把握済み調整済みなんだから、舐めないでほしい。なんなら月毎に配られるスケジュールの予定票も入手済みだ
さっきの言葉を聞き返すことも出来ないままに答えたら、まぁそうだよなっていつもの顔で呟いて、また明日!と軽く手を上げて向こうへ行ってしまった、急すぎる。慌てて手を振り返したけれど、結局確かめることはできなかったし、蘭丸くんがなんであんな事をしたのかもわからないまま別れてしまった。あんな言葉、私の都合のいい幻聴かもしれないし、なにか他の言葉だったのかもしれないし、むしろ実は私たちはずっと前に別れていて丸ごと幻覚だったのかもしれない、そんな気持ちを抱えながら、まだ少し残る熱を冷ましながら帰路につくしかなかった
後日、それをそのまま蘭丸くんに伝えたら、私はとても真面目に考えていたのに、めちゃくちゃに笑われた。ひとしきり馬鹿にされて、幻覚でも幻聴でもないよと優しい顔で言われてしまった
本当は私があげる方だったのに、あまりにも大きな物を貰ってしまった様な気がして、そんな事実が重くて嬉しくて情けなくて苦しくて、よくわからないまま、どうしてか涙が止まらなくて、いつもの呆れた顔をした蘭丸くんにまた抱き締められた。私たちは今ここにいる
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