糸師冴の手のひらで踊らされる
「一緒にスペインに来い」
「無理」
「あ?」
たたでさえ無愛想な顔が私の一言で無愛想通り越してもはや人を一人殺しそうなほど温度のない顔へと一変した。
残念、睨まれても私の意思と返事は変わらない。
オフシーズンだからと言ってもおそらくやる事はあるだろうに、実家へ帰ったあと私の家に訪れた遠距離恋愛中の恋人、もとい糸師冴。
いつもの事ながらオフシーズン入った連絡はあっても、家に来る連絡はない。あるのは「あけろ」と部屋の前についてからのメッセージのみ。
いや、あけろの前に何日の何時頃に向かうぐらい連絡出来ないのかこの男は。
メリーさんでさえ律儀に事細かくどこに居るのかわざわざ電話をかけて教えてくれるのに。
冴くん少しはメリーさん見習ってよ、と出かかった言葉は音にならずそっと心の奥へしまいこんだ。
会えるのは嬉しい。それは嘘偽りなく。だけど冴くんの大変さは少しだけ分かってるつもりだ。私なら絶対真似出来ない。だからこそオフシーズンぐらいは好きな事をして、好きな場所で休んでほしい。
(その好きな場所が私の所なら嬉しいんだけどな…)
冴くんはきっと違う。なぜなら来たら泊まることなく顔を見て少し話して帰ると言って本当に帰るのだ。
もっとさ!久し振りに会うんだから、こう…恋人らしい事とかさ!と言いたくなるが、そんな考えは凡人の考えで、彼はあの糸師冴様だ。私達とは感覚も考え方も違うのだろう。
虚しくなる心と虚無感に襲われながら、気をつけて帰ってね、と毎回送り出す私を誰か褒めてください。
冴くんに会った夜は毎回寂しくて、心細くて涙が止まらなくなる。
1日だけでいい。同じベッドに入って、冴くんの温もりを感じて眠り、朝を迎えたい。
おそらく今日も泊まらず話して帰るのだろうと諦めにも似た心でシーズン中の話やスペインでの話を聞いていた。途中で告げられたのが冒頭の言葉だ。
「何が無理なんだ」
「全部だよ」
「その全部に含まれる理由を聞いてたんだ」
「まずはお仕事。今の場所がすごく気に入っててなるべく辞めたくない」
「他には?」
「住んでるこのマンション。駅も近いし、少し歩けば買い物できる所が揃ってて、なにより大家さんがいい人なんだよね」
「他には?」
「ほ、他?えっと、」
「ねぇのか?」
「あ、あるよ!スペインに行ったら一人になる」
「あ?」
さっきのどすを効かせた声とは違い、意味がわからないと言う声音ときょとんとする表情に視線をそらす。
私がスペインに行きたくない理由。
私の中で一番大きな理由。
「詳しく話せ」
「……………スペインに行ったら、冴くんと住めても365日24時間…とまでは言わなくても一緒にいれないでしょ?」
「俺にも試合があるからな」
「うん。知らない土地で頼る人も居ない、言葉も通じない。どんな人が居て、どんな場所なのかもイメージが沸かない。冒険心がある人なら思わないだろうけど、私は不安しかないよ」
「…………」
怒ったかな。ふぅ、と息を吐いて黙り込んだ冴くんに心臓がズキズキと痛くなり、自然と呼吸が早くなる。
間違ったことは言っていない。もしかしたら冴くんからしたら、“そんな事”、“くだらない”に含まれるかもしれないが、私にとっては重要で大事な事だ。
自分の恋人にいつまでもおんぶに抱っこなんてされるつもりはないが、海を渡るとなれば話が変わって来る。
歳の数だけ住み慣れた場所を離れて、全く知らない土地や日本とは法律もなにもかも違う場所に行くのだ。
おいそれと頷けるわけがない。
「お前の気持ちはわかった」
「…」
「はぁ…。やっぱ予想内の返答だったか」
「はい?」
「何年お前と付き合ってると思ってる。お前の考え、言いたい事は手に取るようにわかんだよタコ」
「たこ」
突然の暴言?に今度は私がきょとんとする番だ。
え、予想内の返答ってこう答えると分かって聞いてきたってこと?
なにそれ、こわい。
「こわい」
「あ?何が怖いんだ」
「あ、ごめん。口に出てた?怖いよ普通に。なんで分かるの。付き合ってるとは言え」
「さぁな。お前が分かりやすいだけだろ。もうちょっとどうにかしろ」
「どうにか出来るものなの?」
「知るか、俺に聞くな」
え〜。自分か言い出したくせに。
「そろそろ時間か。俺はもう帰る」
「あ、うん。気をつけ──────」
「あぁ、言い忘れていた」
てね、といつもの挨拶を遮られ冴くんはソファから立ち上がり、いまだ座ったままの私の前に立った。
見下されるのすごく怖い。我が恋人ながら迫力あるな
でも相変わらずの綺麗な顔を下から見上げるアングルに見惚れていれば形の良い唇が開かれ、
「お前が日本に残るなら俺との結婚も、お前がいつも期待してる事もなしになるけどいいんだな」
「は?」
「今度来た時に改めて聞いてやる。その時までじっくりと考えておけ」
俺との未来か、今のまま一人俺を焦がれる未来か。楽しみにしててやるよ、じゃあな。おやすみ
ちゅ、とかわいいリップ音を私の唇に立てカバンを持ち出ていった後ろ姿を呆然と見ることしか出来なかった
カチ、コチ。と秒針が進み、いったい彼が立ち去ってからどれくらいの時間が過ぎたのか。
彼が最後に私に放った爆弾発言が、じわりじわりと脳と心に染み渡りなんとも言えない感情が湧き上がりあけそうになる悲鳴を、クッションに顔を埋め殺した。
あ、あの悪魔ァアアアーー!!
何あの選択肢!!
ほぼ私に選択肢なんてないようなものだったじゃん!
それより、
「バレてた…………」
冴くんが帰った夜に抱えてた不安まではわからないが、凡人の浅ましい欲を見抜いていたんだ
見抜いていて彼は帰る選択肢を取っていたのか
すべてが糸師冴の手のひらで踊らされていたんだ。それをいつもの余裕な笑みで楽しんでいたんだ
「こうなったら何がなんでも頷いてやるもんですか!」
何でもかんでも冴くんの思い通りになるのはゴメンだ!
謎の闘争心に火がついた私は、次会う日までにこのまま冴くんの好きに動かないようにするため、あわよくば冴くんをぎゃふんと言わせられるようにイメトレをする事を決めた。
to be continued……?