ふわぁ、と大きなあくびをして昼寝でもするかとその辺の椅子に腰掛けると、隣に先客がいるのがわかった。とはいえ構いもせず背もたれに書物を置いて倒れるように横になると、リンハルトはそのまま意識を失った。

「え、リンハルト、ちょっと…!」

声をかけるまでもなく彼はこちらに向かってきて突然頭を倒してくるものだから、名前は驚いて声も出なかった。自分の手には先程まで読んでいた小話集、そして膝の上にはリンハルトの頭。何も知らない人が見れば仲睦まじい恋人同士かもしれないが、彼らは至って健全な関係。何事かとそこを退きたい気持ちはあったがあまりにも気持ち良さそうに眠っているリンハルトを見て、名前は仕方ないとため息を吐いた。
黒鷲の学級で紋章学に精通している帝国の内務卿の息子、ということくらいしか知らない相手だが、悪い人でないことは確かだった。貴族も平民も差別しない物言いや素直な言動、裏表の無い性格は十分に理解していたし、面倒臭がりだが他人の世話も焼かないことも無い。

とはいえ名前と学級も違えば生まれも違う彼と仲が良いかと言われるとそうでもない。話したことは数回に留まり、このように所謂膝枕をするほどの仲に発展したことは一度たりともない。
何故こんなことになっているのか名前には全く見当もつかず、ひとまず彼を揺すって起こすことにした。よく見るとまつ毛も長いし肌は綺麗だし髪は癖もなくさらりとしている。身長こそ高いが化粧を少しでもすれば女性と見紛うほど美しい顔立ちだ、と名前は彼の寝顔をまじまじと覗き込みながら声をかけた。

「あの、リンハルト…起きて欲しいんだけど…」
「んー…」
「リンハルトさーん?」
「名前は僕にこうされるのが迷惑?」

ぱちりと開いた目に名前はぎょっとして顔を上げた。起きているではないかと抗議の声を上げる以前に覗いていたのに気がついているのだろうか、と恐る恐る下を見ると、相変わらずこちらを真っ直ぐ見つめている青色の瞳と視線が交わって名前は思わず息を飲んだ。

「ねえ、聞いてるんだけど…」
「え、迷惑って…だって、私、リンハルトと親しくもないし…」
「じゃあ親しくなれば問題ないよね」
「いや、え!?どういう意味!?」

リンハルトは起き上がりもせず名前の脚に頭を預けたまま腕を伸ばして彼女の髪に触れた。指先で弄ぶようにくるくると巻き付けたり手ぐしで通してみたり、何かを考えながら動いているのだろうが名前の頭は真っ白で何も考えられなかった。無理もない、膝枕をしているリンハルトが自分の髪を触っているのだ。本来であれば周りの目を気にするところだが、彼女はただ固まって彼にされるがままになっていた。

「へえ…名前って髪さらさらなんだ」
「は…?」
「遠目に見てるだけじゃ分からなかったからさ。ほら、僕達学級も違うし、あまり近くで観さ…見る機会がないじゃないか」
「観察って…!」
「いや、言ってないよ」

言ったようなものでしょと咎めるような顔をするも彼は一つも動じることなく彼女の髪を触っていたのだが、突然その手が頬に触れて名前はその場所に熱が集まるのを感じた。
何事かと思ってリンハルトの表情を見るも、相変わらず表情は変わっていない。変わっているのは、彼女の頬を撫でるように触っていること。

「な、何して…!」
「いやあ…女の子ってこんなに肌が綺麗なものなの?名前の手入れが行き届いてるから?まさかこれも紋章の…」
「ちょっと!さっきから何なの!」
「痛っ、ひどいなぁ振り払うなんて…」

ひどいも何もあるかと名前が怪訝な顔をすると、リンハルトはふわぁと欠伸を一つして体を起こした。彼が何をしたいのかさっぱり分からず、名前がその一連の動作をじっと見つめていると、ずいっと顔を近づけて瞳を覗き込もうとしてきたので思わず後ろに体を逸らすとそのまま落ちそうになったところを彼が腕を掴んだ。

「おっ、と」
「あ…ありがと…」
「名前って、不思議だよね」
「不思議?普通だと思うけど」
「いや、普通ではないよ。だって僕がこんなに気になる人、他にそう居ない。君の紋章も至って平凡だし、特に面白く感じることもないのに、何故か気になるんだよね。どうしてだと思う?」

他の人に聞かれたら誤解されそうな言葉をさらりと、いつもと何ら変わらない表情で言うのだからリンハルトはずるい、と思いながら名前はさらりと揺れる深緑の髪を目で追った。リンハルトの方がもっと不思議だし変わっていると思うが、それは黒鷲の学級はおろかそれは誰しもが思っていることだろうと考えながら。

「聞いてる?」
「うん、聞こえてる」
「…まあいいや。名前、僕の学級に移ってきてよ。そうしたらもっと近くで君を見られるし」
「また勝手なことばっかり…」

そう言いつつ、満更でもない自分がいると名前は隣に座っているリンハルトへ思いを馳せながら空を見上げた。雲が足早に頭上を流れていくのを眺めているとぽすんと肩に重みを感じ、横目に確認するとリンハルトが眠気に負けてもたれかかってきたのだということが分かった。今日のところは彼と昼寝をするのも悪くないかもしれない、名前は目を瞑って近くに聞こえる静かな寝息に耳を澄ませた。