玉葱を刻むとき

玉葱を刻むとき

COCO MEMO TEXT

女子の、理想的なその休日。

▽2020/09/13(Sun)なんなら、今日は、ランチを食べてから、ブティック街を歩いてウインドウショッピングでもしようかー、なーんて、話であったのだった。

優柔不断なわたしたちは、早起きしたところで待ち合わせの時間さえ大雑把で、結局、集合場所に辿り着いたのは、午後2時だった。

そののち、話題になっていたクレープ屋さんのことをふとどちらかが思い出して、行こう行こうと足を伸ばした。
30分ほど歩いて、靴ズレをして、なんだか予定と違うね、なんて言い合いながら、到着。

ちょうどお客さんの切れ目に滑り込めて、待ち時間ゼロでオーダー。
わたしたちが店内に入ったあと、続々とお客さんがきたので、ラッキーだった。

お待たせしました、とやってきた、宝石がのっているみたいなクレープ!!!
たべるのがもったいなくって、いっぱい写メ、撮っちゃった。

目が覚める頃には、

▽2020/09/13(Sun)きっと何度だって見た夢も、また終わっている。

目が、覚めてしまった。
気分が悪くて、先日も真夜中に布団から抜け出しては、トイレに駆け込んだばかり。
きっと不摂生のせいだと思っている。
夕食を食べずに酒ばかり飲むから、そりゃあ、気分が悪くなるに決まってる。

ただ近頃、減量をしているので、それが免罪符になっている節もなきにしもあらず。
ややっこしいが、やっぱりわたしは正当からは遠回りするタチで、それでもなんとか2キロほど、痩せた。

気が付けば、もう9月だった。

今は、ページを繰ることしかできない生き方。
読み返すには、もう少し先に進まなければいけない、と思う。
なので、なるべく正直に、率直に、わたしの語彙でここの世界は紡いでいきたい。

虚飾はあれど、正体もクソもない儚い現実線上の空想、or脚色されたやはり現実。

自らに不具合があったところで、それを悟られない距離感にいられればいいし、故障懸念があったところで保険があればいい。
無理やり受け入れてもらうことと、受け入れてもらうことを望まないことと、どちらが省エネなのか。

一歩前のわたしなら、無条件に受容されること、と飄々と言えたんだろう。
そして思考は飛躍する、均衡と、不均衡について。書き出すにも呆れるほど取り留めがない。
単に、誰も何も悪くない価値観。不要な邪推を回避したところで、正義も悪も存在しないところ、不毛地帯みたいな概念の無意味。


日記。
今日は、ホントーに、久しぶりにチーフがきた!
相変わらずで、目のさえないわたしでも、遠めでも、すぐにわかった。
最近どう?なんて、テキトーに話かけられて、は?って顔をしてしまった。
あんまりポジティブなことは言えずに、停滞してます、とだけ答えると、え?それは個人的な話?と聞き返されて、いや、と焦って弁解する始末。

本部の偉い人たちが、やけに来店してきて、結局、作業場が会議室みたいになっていた。

また来るから、と少しはにかんでくれたときに、仕事中は、なんだかんだイラついて舌打ちするんだよなあこのひと、なんて、思い出しもせずに、ただ嬉しかった。
余計なことを言わずに、勝手に検証して、勝手に証明して、勝手にルールにしてしまう、すごいひと。
どうしたら、真似できるんだろうと、ずーーーーっと思って、見ている。
これからそんな様子を見れる機会のもっとある、人事に巡り合えますように。

仕事でしか、わたしは自己評価を高められない。
仕事で、努力をする。
自己肯定感、とやらは、ふと湯水のように湧いて出てきてくれるものではないらしい。肩書を得てから考えてみよう。今のところ、精査し得る要素は特になく。

どんなに着飾ったって、どんなに良い化粧品を使ったって、トレーニングをしていなければ頭の中身も所作も変わらない。
誰もが振り返るイイ男を隣で歩かせたって、なんのステータスになるのかわたしにはわからない。
何か、で自分の印象を上げて価値が高まることはわかってる。だけどそれは自分自身の価値じゃないことも(=それを手に入れられる自分、なんていう価値の出現も一方である)。
才能がないのなら手っ取り早く名前の上につけられるものはなんなのか。単純に、肩書。これは装飾品と違って個人の能力の肯定。
しかもその肩書ひとつでお金に繋がれば尚良い。
置かれた労働環境の中で認められるような働きさえできれば。仕事に反映できる能力のみ、今のわたしにとって有益なものはない。と思い込む。

ただただ、勉強不足。
天気の予報が出来るくらいになれば、きっと難はないんだろうな。なんて。
はー、あと何年、生きなければいけないんだろう。

つまり、大人になるということも、

▽2020/08/29(Sat)現実、それすなわち真実ではない。
子供でいたときのように、道端で転んで、えんえん泣いて、膝小僧をママに見せたら、ああ転んでしまったのね、痛いのね、よしよし、と状況の顛末をわかってもらえる時点にはすでにいない。

どんなに心が痛くても、それを吐露できる相手がいないのは、大人になった証拠のように感じる。
あるいは、もう一つの仮説として、その中身の精査が行き届いていて、自らの矛盾を理解しているということ。

きっとわたしは純粋なまま、ひねくれてしまった。すごく愉快に言ってしまえば、河辺の石ころを、単なる石ころだと知りながら100万円の価値があるものだと言い張れるくらいに。
あそこのおじょうちゃんが、公園に成ってる柿を物欲しげにしていたから、ひとつ、採ってあげたんだ。そのお返しに、一緒にお風呂に入ってくれと言ったんだ。そうしたら、いいよ、とその子は答えたから、、、

幼心ながら、その交換条件は成立し得ないことをわたしは知っていた。

神様が叶えてあげるひとつと、わたしが捧げる代償に落差があってはいけないことを、子供のときから自覚しようとしていた。
なぜなら、わたしは恵まれていないと思っていたから。
あの子が当然のようにフタをあけたお弁当と、わたしが努力して得たお弁当の中身がそれでも確かに違うものだった、とか、あの子が伸び伸びと健やかに欠伸をしていることと、わたしが懸命に奥歯で噛み殺している欠伸が、同じものに気付いてしまった、だとか。

すごく些細なところから、比較して、違いが何かを見比べて、学んでいった。


わたしは、今のわたし自身の気持ちを、中々おそらく正しく表現できる。と思う。
ただ、着地点がないだけ。
こう思う、は論文提出の際に必ずチェックされて返却される。
結論に帰結しなければいけない。

わかってる。
すごく非常識的なドツボにハマってしまったらしい。
お皿が割れたのは、割れた、んじゃなくて、割った、の。
そんなことさえ白状できない。

奥さんがいて、子供がいる人はもうやめようと思っていた。
心がいくつあっても足りないから。
でも、そんな人から逃げるように恋をした人も、奥さんのいた人で、子供のいる人だった。
結婚式のときのビデオ撮影でこの海にきたんだ、とか、(娘と同じくらいなのかわからないけどきっと同じくらいの小さな女の子が)お見送りにきてくれた、と言っていとしそうに手を振り続ける姿、とか。
やっぱり違わないんだ、と何度だって自覚する。
何度自覚したって、繰り返してしまう。
わたしは愚かしい。
まんまとそういう等身大ではいられない人たちに惹かれてしまうわたしは、とてもとても、愚かしい。

かわいいと言って、好きだと言う、あの人も奥さんがいて、子供がいる。
わたしはニコニコと喜んでみせる。
それだけだけど、やっぱり甘えたくなってしまう。卑屈な精神のわたしには、都合よく映ってしまう。
世の中の妻子持ちを、一切信用できなくなった。
父をはじめて、憎く思った。
母を置いてけぼりにしたから、わたしたち子供が負わずによかったものを負った。だとか。
母の苦労に少しでもあのとき寄り添ってくれればわたしたちももう少し冷静に両親へ応えられたのではないか。だとか。

まったく不毛な考えが、ぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃする。
それから、いつだって、思い出す。
じーちゃんばーちゃんちの真向かいに、ヤクザのおじちゃんが住んでいた。
夏は刺青でいっぱいの身体を、惜し気もなく披露して、でっかい車を洗車したり、庭に水を巻いたり、せっかくの浴衣の袖も、しわしわにしていたり、していた。
すごくわたしをかわいがってくれて、飼い犬のタローとブー子に(この子たち、すごく吠えるからこわかった)、おじちゃんといつも一緒にエサをあげていた。
いつの頃からか、顔を見せると吠えていたタローとブー子が、弱々しく元気なく見えるのに気づいて、わたしはせっせと野草をむしっては、あげていた。
それでも、週に一回来ていたかどうかのわたしは、どんどんと痩せ細っていく彼らに気付いて、主人がいなくなったことをやっと悟った。
じーちゃんばーちゃんは、そのとき正解は言わなかったけど、やっぱり夜逃げだった。

真相はさだかではないが、痩せ細って飢えたタローとブー子は、脱走して、交通事故で死んだ。そうだ。

何も出来なかったくせに、すごく悲しかった。
何もしようとしなかったくせに、残酷だと思った。
ヨソモノの心の動きを、わたしはすごく理解した。所詮、他人事。
一度そう、可哀想に思っただけで自分は優しい人間だと勘違いしている、人間。不憫だと思っても、放置しているのが大人なんだ。

わたしも、ただ甘やかされていればいいの。
いざとなったら、捨てられたって。
綺麗事と建前で生きている大人と、同じ空気を吸って同じものを食べて、同じ価値観の中で色んな出来事と直面して、不憫だなんて。笑っちゃう。
だからわざわざ傷付かなくてもいいの、筋が通っていないことに気付いてる。

誰かが愛していてくれればいい。
誰か、でいい。
嘘も本物も、愚かなわたしには到底見定めることなんてできやしないんだから

決して言いたくないこと、したくないこと。

▽2020/07/29(Wed)こんなにあなたを愛しているのに。
こんなにあなたを思ってやっているのに。
見返りを求めている行為。
相手の望むことでなければ、ただの押し付けだから。

あなたには無理。
あなたの態度がそうさせる。
否定的な言葉。
能力否定、人格否定ってどんな人間関係においても悪い結果しかもたらさない。


今更だけど、おさらい。

考えてしまうこと。

▽2020/07/29(Wed)繰り返してしまう喧嘩の理由。
彼から女の人の気配を感じてしまう要素。

その数週間後、彼の女友達からのライン通知を見てしまった。その内容。
“わたしも結婚前はそうだったよ〜。
じゃあ、次の人を探すの?”
決してポジティブには捉えられないその一言に、当然多くのことを思った。
きっとその返答の前には具体的な中身がある、勿論その中身を想像してしまう。そして、その中身の裏側に隠れているものまで。
おそらく、わたしについての不満や何かを話していたのだろう。決して順調には進んでいないことを、彼の目線で具体的に話したのだと思う。
あるいは、わたしに対する否定的な感想があるということは、わたしに、比較対象者がいるということ。
彼の理想像に叶う女性が。
母親か、姉か、過去の女性か、はたまた現時点でアプローチしているのか、されているのかまではわからないけれど、確かに携帯画面をわたしから隠す瞬間、また何かに浮かれている様子があったように感じたこと。
違和感が、繋がっていくようだった。
時機が訪れるまでは、おそらくわたしはフラれないことは容易に理解できる。ただ、それ以上のことはモヤに覆われていて。
浮気をされていたときの、あの直感とも言い切れないザワつく予感が舞い戻ってきては、無力感に襲われる。
ただ、彼のことを信じている点については、ひとつだけある。
別の人がデキたのなら、しっかりと終わらせにきてくれるだろうということ。
そういう男と付き合ってしまったとき、女は耐えて待つしかないことも、知っている。
ただ、現在、あらゆることが曖昧模糊としていて、決断材料がない。なんとなくうまくいっていない、なんとなく喧嘩が多い、なんとなく、彼の態度が不自然だ。

20代、カウントダウンはとうに始まっていて、もうすぐ終わろうとしている、この時間が惜しい。

客観的に見て、結婚生活を夢見る20代後半の女の子が、恋人と上手くいっていない現状に悩んでいる。ただそれだけのこと。別に悩む必要なんてない。自らケジメをつける選択肢をとる以外には、時間がどうにかしてくれるのだから。

前向きに考えていきたいと思うほど、心が苦しい。問答無用で愛してくれるはずである“恋人”という肩書の人が、実はそうではないと知ってしまった。
きっと今回も、たまたま。
前回が、当たり前だった。
いや、わかってる。無条件で愛してくれる、尽くしてくれる、そんな人と簡単には出会えない。何事にも努力が必要。
でも、わたしが負い目を感じる必要なんてない。わたしには何もないのだから。養育費を払う必要もない。車のローンも犬のローンもしっかり働いて返している。
あとは自分のことだけを考えていればいい。自分のしたいように成長すればいい。
愛されなくなるのが怖いから言いなりになるなんて真似は、絶対にしない。

いい思い出だけで、

▽2020/07/20(Mon)生きていけたらいいのに。

たぶんきっとはじめから、勘違いをしている。

▽2020/07/10(Fri)性質が、違うもの。

しあわせな今夜、

▽2020/06/22(Mon)眠れば、目が覚めなくてもいい。
わたしは今、じゅうぶんしあわせで、等身大の満足に、さらに満足を感じている。
上手に焼けた、厚切りのヒレステーキ。
焼いているときの、あの気持ちのいい音だけで、よだれが出てくる。
じゅわあっと広がる、和牛ならではの透き通った脂。
水っけのない、きれーな透明。

はあ。ときめきました。
シャトーブリアン、ごちでした。

彼といっしょに食べたくて、頼んだの。いいところで、200gを二枚、って。
ものすごくきれいに、おいしそうなところを取ってくれた。食べるのがたのしみで仕方がなくて、うきうきしながら帰った。
だけど、仕事が入っているから来れないって言うの。
残念だけど、仕方ないよね。
でも今日、仕事で、わたし、いい結果を出せたの。
だから、彼といっしょは叶わなかったけど、お祝いしたんだ。

おいしく焼けて、すっごくおいしく食べられた。
ワインもとっておいて大正解だった。

すごくしあわせなの。
すごくすごく。
誰かを想っていることも、誰かが隣にいてくれることも、わたしの言葉を誰かが聴いてくれているということも。
だからそれ以上は、ない。

がんばったからだよ、って知らなくても言ってくれるのが。
それだけで、救いになるから。

がんばったねって、褒めてくれるかわりに、わたしは慕うの。
もっと知りたいと思うわたしに、手持ちのあらゆるを教えてくれるから、尊敬するの。

誰かを、誰かを、愛していたい。
そうでなければ、きっとわたしは腐ってしまう。
ただでさえ、敵だらけに見える世界なんだもの。
理解してくれるひとが、必要なのよ、誰にでも。

実態がなくて、幻想に恋してるみたいだ。とでも表現してみればいい?

▽2020/06/07(Sun)例えば、肩に頭をのせたときの安心感、だとか。
向かい合っているときに、知らずのうちにシンメトリーになっている、だとか。
触れられただけで、それが特別なことだと思える、嘘にならない現実逃避。

彼に、恋をしたときのことを、わたしはよく憶えている。
もう半年だよ、とふと声をかけられたときの驚きと、喜び。いつだってわがままなわたしだけど、彼だってわからずや。
それなのに、思い出すのは、笑っている顔。
ふざけているときの、いたずらしているときの、おもしろがっているときの。
たまーに、真顔。
ああ、愛しているのかもしれない、と思う。

すきは当たり前で、だいすき、は甘えているから見えなくて。
でも、いつだって思い出していて。
会えないときは、もっと思い出していて。
会えないから、思い出していて。

頭が痛い。
もっとちゃんと、わかりあいたい。

どうしてなんだろう、と思うこと。

▽2020/05/10(Sun)目の前に、壁なんてないのに、壁だ、と感じてしまうのは、その表現を知っているからなのだろうか?
徒歩3分の距離でさえ惜しくなるわたしは、ただ耐えることを知らない。

お盆の計画を任せると言われたとき、果たして、どうすればいいのだろうと悩んだ。
率直に言って、パターンは決まっている。だけど、わたしは無知で、新しいチャレンジで打って出るようなたくましさと経験値もない。なので、まずは模倣から。

乗り越えていくべき壁は、人それぞれにある。
見誤れば転落するし、ひたむきに歩を進めれば景色が明るくなっているのかもしれない。
正しいということが、どれほど重要なのか、あるいはどこまで無責任なのか、図りかねるのは、日常。

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