玉葱を刻むとき

玉葱を刻むとき

COCO MEMO TEXT

深夜です。3時を過ぎてしまいました。

▽2021/06/05(Sat)きっと、べたべたとぬりたくったトリートメント、浴室から脱出するのに必死で、流し忘れてしまったんだと思う。
髪が揺れるたび、香料が強くにおう。

いま、わたしは29歳。

明日もまだ、29歳。
そして、今年のいつかに30歳になる。

いつか何か変わると信じていても、人生は決断の連続だとは言っても、その選択肢がどんどんと減っていくのを実感している。

鬱陶しいことが、いくつかある。
自分を許せなくなることがひとつある。
ひとを許せないことが、みっつある。

全部ひっくるめて、わたしは許している。だから、毎日不満なんだ。
純粋なよろこびって、なかなかないんだね。ある面では、日々、わたしはしあわせだと思ってる。でももう一方の面では、もっとこうだったら、って思ってる。
たぶんそれってある程度当たり前で、言ってしまえば退屈なことなんだろう。

2時間後には、また仕事だ。
少しだけ、寝よう。

無題

▽2021/04/27(Tue)おまえのことほっとけん、てやつ、いっぱいいる。おれはその先頭走ってるだけ。
おまえはすごいんよ、みんなわかっとらんけど。


当たり前じゃ!!!!!
比較対象のレベルが低すぎるんじゃ!!!



なんて、言えないし。
そんなんいうわたしのことだって、このひとはわかってる。わたしがどういうふうに傷つくのか、どういうふうにひねくれているのか。

でも、そばにいてくれるひとじゃない。
恋人じゃないから。
たまに、やさしくしてくれる。それだけでじゅうぶん。

ふと。

▽2021/03/21(Sun)例えば、紙にこすってしまって、指を切ってしまった、とかで、好きな人にそれを報告できる子が、“愛される女の子”だと思っていて。

シャワーを浴びながら、髪に指をすべりこませたとき、ちくっと左の中指に痛みが走って、確認してみると、切り傷があった。

でも、3秒後にはそんなことも忘れて、また、ちくっとなって、中指を眺めた。

風呂上がりに、また眺める。


わたしにとっては、その程度の怪我なんてわりとどうでもいいことだけど、見えないくらいの小さな傷を突き出して、絆創膏くださいと言ってくる子もいたりして、ほんとに驚いてしまったことがある。さまざまだなあ、と。

さすがに、これくらいさあ、なんて言えないから、心配するふりをして、絆創膏を渡したけれど、わたしはその女の子を少なからず馬鹿馬鹿しくも思ったし、ちょっとだけ羨ましいとも思った。

自分を、常に些細なことで心配できる。自分が傷ついたことを素直に人に伝えられる。



大人になると、人の心配は責務としてしなくちゃいけないかわりに、自分への気遣いは人前で見せられない。
なのに、自己管理は、義務。

だからほんとうは、誰も誰か他人のことなんて、心配していなくって、心配するふりをしなくちゃいけなくって。
本当は自分のことを心配したいのに、そこまで間に合わなくって。
だから、疲れていって、その疲弊すら、自己消化で。

わたしの思っていた“愛される女の子”の、そのポーズに逆らうように、見て見て痛いの心配して、じゃなくて、疲れてるの辛いのわかってるよわたしの前では無理しなくていいんだよって。
大人ぶって、それである程度の人間関係が保たれるならそっちの方が幸福、そう思って無理してる人たちが、きっとマジョリティ。

無題

▽2021/03/02(Tue)久しぶりに、ここにきた。
IDは、彼を見ている、という意味、パスワードは、彼の誕生日と付き合った記念日になっていた。

あっという間だった。

彼に一目惚れしてから、ここまで。
語れることは多かれど、語るべきことは少なかれ。

書きたいことがある。
でも、新年度、新体制の立ち上げで、少々疲れているので、またの機会があれば。


おやすみなさい

忘れちゃダメだよ

▽2020/12/20(Sun)忘れちゃダメ、忘れちゃダメ忘れちゃダメ忘れちゃダメ。覚えていないと覚えていないと覚えていないと……

おやすみなさい。

無題

▽2020/12/20(Sun)腐ったリンゴが隣のリンゴを腐らせるみたいに、矛盾しているものは身近なものを矛盾に巻き込む。
正しいこと、正しくないこと、どちらも通用しない。いっしょくたになっている。でもそもそも、がある。だけどそもそもばかり言っていてもラチがあかないので、矛盾は矛盾としてそっくりそのまま引き出しにしまっておくのがきっといい。

無題

▽2020/10/18(Sun)ほんとうにごめんなさい

無題

▽2020/10/18(Sun)わたし前世で何かしたのかなあ。
一度、死ぬことを諦めた。だからどんなに苦しくても生きようと思った。でも三十間近になって、また改めて死ぬことを考えている。こんなポンコツ生きていても意味ないし、人に迷惑ばかりかけて邪魔しか出来ないならやっぱりいないほうがいい。きっとわたしは病んでいて、毒が溜まってくみたいに、からだじゅうで苦しい。一度回復したと見せかけて、でもそれは新しい容器に替わっただけで、本体が変わらないなら毒の抽出速度もきっと以前と同じまま
何度変わろうとしたって、いつも同じように腐っては、ダメになる。辛いのはいやなのに。
もっと目先のことでいい、って言われたから、今日はそうして生きてみる、

無題

▽2020/10/08(Thu)辟易するほど失敗するし欠伸が出てしまうほど小さなことで傷付くし人のことも平気で傷付ける、誤解ばかり受け入れて誤解ばかりしているのかもしれない、自分のことが大嫌いになりそうになる、でもわたしはわたしとしてしか生きていけないからただひたすらわたしなだけだ、好きも嫌いもない、関心の範疇外で考えたい、そんなふうにいくわけがないのが悔しい、意識のない何かになりたい。
自分を好きか嫌いかなんてクエスチョンは甚だ馬鹿げているとずっと昔から思っていたが、いまだに思っている。好きだろうが嫌いだろうが自分でいる限りすべてが自分だと思っている、それなら好きでいたほうが楽観的だし少なからず不幸ではないだろうそう帰結してから最早こだわらなくなった。ただ言動と自意識の乖離には気を付けたいというだけ。
目前で発生したこととそうなってしまった結果という事実がすべてだ。自己評価が低いことについての弊害は確認しているが逆に高いことについての利益は確認していない。

でも大丈夫わたしはこんなにおいしい豚汁をつくれるんだから。また豚汁をつくればいいのだ。あるいはミネストローネでもいいのだ。なんだっていい。
結局最後まで食べ切れないのはいつだって同じ。
ていうか、単純に作り過ぎてしまうのね。味見だけで満足してしまうんだから。

作り過ぎたから、食べ切れない。
ただそれだけのことをわざわざ騒ぐようなこと、そんなことの何が楽しいのかわからない。原因がわかっているのに糾弾することに何の意味があるの、わたしの置かれている世界って、やっぱりわたしサイズでこんなふうにつまらないことで平然と生産が止まるの。
でも大丈夫、豚汁を食べて生産されるもの、否、どんなにおいしいものも、最後は排泄されて流される。

無題

▽2020/10/03(Sat)ほんとうに世の中を見下ろしている人がいたとして、
今までの出来事をふりかえって、
ここはこうした方が良かったね、これは言っちゃだめだったね、
なんでそんなふうにしてしまったのか、しっかり考えないとね。悪かったなら、反省しないと。
でもここの考え方はきっと間違ってないから貫いた方がいいよ、
あと、努力を怠っちゃだめだよ、
明日からは、こうしようね、今流れが悪くなっているのは、こういう理由があってそうなっているだけだからね、こことここはまた別だよ、

なんて、教えてくれる人がいればいいのに。

今は、全部がわるく見えてしまって、ただただ死にたくなってる。
わたしが死んだところで、しっかり生きている両親に迷惑がかかるだけだけど。悩むのが辛いから命を放棄する、なんていうのは、きっとすごくもったいないことだ。
わたしは、だって十分にしあわせだ。

しあわせすぎる悩みだ。
神様、ありがとう。
明日もがんばってみるよ。

前へ次へ