日常以外の、悲観的な日常。
▽2020/04/01(Wed)帰宅してからというもの、今のいままで、どんなふうに過ごしていたっけ。入浴を済ませて、湯冷めしないようスイッチを入れたホットカーペットの上で、小説の続きを読んでいた。いつのまにか、うつらうつらと船を漕いでしまっているのを自覚しながら、心地良い眠気に唆されるまま、居眠りをしてしまって。
不意に意識を取り戻すものの、眠くて仕方がなくて、うんうん唸りながら、なんとか体を動かして、キッチンへ向かう。
散らかりっぱなしの台所を片付けてから、夕食の支度を始めるわたしは、なんだかすっきりしているようだった。気休めにまどろんで、ここまで動けるなら十分だと満足に、彼が作っていってくれたお味噌汁をあたためて、冷凍してくれたごはんを解凍する。その間に、ウインナーを炒めて、ちょっとしたおかずをこしらえた。
空腹を満たして、缶ビールを一本だけ飲んだ。
現在、世界を震撼させている謎の疫病のせいで、仕事にも当然影響が出ている。私生活だってままならない状況に、素知らぬフリをしていたって、内心は恐々としている。
いつ、どのタイミングで巻き込まれてしまうかなんてわからない。明日は我が身で、束の間にこの個人的な世界ですら容易に一変してしまう。
どう考えて、どう努めても、わたしが出来ることは限られている。
その疫病のせいで、感染るのが嫌だから仕事を休む、と言い出す人が出始めた。会社の判断は、その意思を拒むことはしないとのことだった。
恐ろしいことが起きている、この瞬間、ニュースの解説を耳に流し込みながらも、わたしはやっぱり聞き耳半分で。身近は平和で、多少病んではいるけれど、実感が沸くほどの混乱はなく、中々難なく機能している。
途中の小説は、きっと予想では、救われない主人公の、まやかしのような恋愛を描いたもの。
描写のひとつをとっても、感傷的で、退廃的だ。思春期の頃にたっぷりと愛したものたちが敷き詰められているような小説に、ノスタルジーを感じる。
今更、投影しながらなんて読めないのは、わたしも少女から少なからず成長したということなのだろう。
足元でうずくまって、しくしく泣いている。ように見える、
可哀想なものを愛してしまう、損な、あるいは過信した男の人たちがそんな女の子たちを抱擁できるタイミングを見計らっている。
差し伸べられた手に、だけど、甘えるわけにはいかない理由が、女の子たちにはある。
いくらだって傷付いていて、何かと背負っていて、馬鹿みたいだと、心の底では思っている。きっと本当は解決できるのに、そのエネルギーとタフさがない。あるいは、ヤケクソで何をも顧みず、世界が崩壊してしまえばいいとさえ考えている。
ぐじぐじと甘ったれて弱いままでいる女の子が、非日常的な現実を過ごしながら、少しずつ変わろうとしていく。
そういう小説が、わたしは好きだった。
夕方に自宅に帰ってこれるなら、こんなにゆったりと進む時間の中に埋没して、ひとり気ままに自堕落を堪能できるというのに。
それを実感した今、どうして世界はこんなに危機感に煽られて騒がしいのだろう、とは言っても、本当に冗談ではなく危機的なのだけれど、悔しく思う。
平和は、かけがえない。
