無題
▽2020/10/08(Thu)辟易するほど失敗するし欠伸が出てしまうほど小さなことで傷付くし人のことも平気で傷付ける、誤解ばかり受け入れて誤解ばかりしているのかもしれない、自分のことが大嫌いになりそうになる、でもわたしはわたしとしてしか生きていけないからただひたすらわたしなだけだ、好きも嫌いもない、関心の範疇外で考えたい、そんなふうにいくわけがないのが悔しい、意識のない何かになりたい。自分を好きか嫌いかなんてクエスチョンは甚だ馬鹿げているとずっと昔から思っていたが、いまだに思っている。好きだろうが嫌いだろうが自分でいる限りすべてが自分だと思っている、それなら好きでいたほうが楽観的だし少なからず不幸ではないだろうそう帰結してから最早こだわらなくなった。ただ言動と自意識の乖離には気を付けたいというだけ。
目前で発生したこととそうなってしまった結果という事実がすべてだ。自己評価が低いことについての弊害は確認しているが逆に高いことについての利益は確認していない。
でも大丈夫わたしはこんなにおいしい豚汁をつくれるんだから。また豚汁をつくればいいのだ。あるいはミネストローネでもいいのだ。なんだっていい。
結局最後まで食べ切れないのはいつだって同じ。
ていうか、単純に作り過ぎてしまうのね。味見だけで満足してしまうんだから。
作り過ぎたから、食べ切れない。
ただそれだけのことをわざわざ騒ぐようなこと、そんなことの何が楽しいのかわからない。原因がわかっているのに糾弾することに何の意味があるの、わたしの置かれている世界って、やっぱりわたしサイズでこんなふうにつまらないことで平然と生産が止まるの。
でも大丈夫、豚汁を食べて生産されるもの、否、どんなにおいしいものも、最後は排泄されて流される。