玉葱を刻むとき

玉葱を刻むとき

COCO MEMO TEXT

ふと。

▽2021/03/21(Sun)例えば、紙にこすってしまって、指を切ってしまった、とかで、好きな人にそれを報告できる子が、“愛される女の子”だと思っていて。

シャワーを浴びながら、髪に指をすべりこませたとき、ちくっと左の中指に痛みが走って、確認してみると、切り傷があった。

でも、3秒後にはそんなことも忘れて、また、ちくっとなって、中指を眺めた。

風呂上がりに、また眺める。


わたしにとっては、その程度の怪我なんてわりとどうでもいいことだけど、見えないくらいの小さな傷を突き出して、絆創膏くださいと言ってくる子もいたりして、ほんとに驚いてしまったことがある。さまざまだなあ、と。

さすがに、これくらいさあ、なんて言えないから、心配するふりをして、絆創膏を渡したけれど、わたしはその女の子を少なからず馬鹿馬鹿しくも思ったし、ちょっとだけ羨ましいとも思った。

自分を、常に些細なことで心配できる。自分が傷ついたことを素直に人に伝えられる。



大人になると、人の心配は責務としてしなくちゃいけないかわりに、自分への気遣いは人前で見せられない。
なのに、自己管理は、義務。

だからほんとうは、誰も誰か他人のことなんて、心配していなくって、心配するふりをしなくちゃいけなくって。
本当は自分のことを心配したいのに、そこまで間に合わなくって。
だから、疲れていって、その疲弊すら、自己消化で。

わたしの思っていた“愛される女の子”の、そのポーズに逆らうように、見て見て痛いの心配して、じゃなくて、疲れてるの辛いのわかってるよわたしの前では無理しなくていいんだよって。
大人ぶって、それである程度の人間関係が保たれるならそっちの方が幸福、そう思って無理してる人たちが、きっとマジョリティ。

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