ヤレヤレひゅうひゅう引っ切り無し
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そんな先輩は今、廊下の隅で大きな身体を丸めて『とても反省しています……』と書いて貼ったような面持ちで正座をしていた。俺はそれを口パクで「せんぱーい! やっほー!!」と挑発しながら眺めているところである。
今すぐにでも俺の頭をひっぱたきに来たいだろうに、ジン先生が文字通り真っ赤になって「これでもう三回目だぞ! 次は庇わんからな!」と大激怒している最中では、ザオウ先輩に成す術はない。だから昨日電話かけたのに! 補習覚えてますかってメッセージもいれたのに! 電波の届かない場所にいた先輩が悪いんで、涙が出るまで叱られてほしい。
しかしジン先生はとても優しいので、カンカンに怒っていても一通りの説教を終えると「いいか? 次は本当にないぞ!」の言葉ひとつで許してくれる。本当に人の出来た――魔神の出来た? お方だ。
だって俺が知っている限り、ジン先生・物部先生・トリトン先生の三人体制で同じ流れを繰り返している。俺がいなかった頃から考えたら、いったい何度同じことを繰り返しているんだろうか。
そしてザオウ先輩は何歳なのだろうか。こういうところを見ると『人間じゃないんだなぁ』とあらためて考えさせられる。たぶん、寿命とかそういうのが人間とは違うんだろう。
外見は二十代半ばのように見えるけど、何しろ学園外まで広がる都市伝説と化していた人だ。何年も何年も山に籠り、補習をさぼり、先生に叱られ、留年し、山に籠り、補習をさぼり、先生に叱られ、そして留年を……。
「山以外では本当にやばいですね、先輩」
「や、やめろ! 違うんだ。そんな眼でみるな!」
正座のまま俯いて苦悩している先輩は、口の中でもごもごと言い訳を並べている様子だ。残念ながら、何も聞こえない。
「それで、今回はどこの山を登ったんですか?」
「……ああ! 今度はエベレストと繋がったんだ!」
「はーん。『新しく出た山に軽く登ってくる』っつって行ったのがエベレスト!! なぁるほどー! 語るに落ちましたね先輩よォ。まさか電源切ってたんじゃないでしょうね。ん? んん?」
「ずるいぞ後輩! 誘導尋問だ!」
壁際に逃げる先輩の腹に小刻みにジャブを入れながら追い詰める。なんだこの低反発お腹はよぉ! 優しく衝撃を吸収しやがって! この! この! 好き……。
魔性の腹に完敗し、パッツンパッツンになっている哀れな制服ごとザオウ先輩を丹念に捏ねていると、頭上から焦りと困惑に満ちた声が落ちてくる。
「電源を切っていたわけじゃないんだ。本当に、電波が無くて……。すまん、俺は夢中になるといつもこうで……。お、お前の声を聞いたら、急いで登ってすぐに帰って来れたんだが……」
結局登るんですか。と、ツッコミたい気持ちを抑えた。
これは凄い進歩だ。自分勝手で、山しか知らず、人の話も全く聞かない。そんな蔵王権現先輩が! ここまで人に歩み寄ろうとしているなんて!
もう一度頭の上から落ちてきた「後輩、何か失礼なことを考えていないか」という言葉も聞かなかったことにした。人の心を読むなんてとんでもないドエッチな先輩だ。ゆるせん。罰として脇腹に触ると「うひゃっ」とひっくり返ったかわいい声を出して逃げていった。おう、どこ向けのサービスだ。オラオラ。
「ザオウ先輩は心配して連絡までしてくれた後輩の好意を無下にしたわけですし?」
「うっ」
「当然、相応の感謝の気持ちってやつを見せてもらえますよねえ。大人には大人の、ありがとうの仕方があるんですよ」
「な、なにが望みだ?」
「コーヒー奢ってください」
最近自動販売機に入った、黄色い缶の甘ったるいコーヒー。学園内販売価格で100円。それで許してあげようという優しい俺の言葉に感激したのか、ザオウ先輩も今日一の笑顔で「そうか!! いいぞ!!」と俺を担いだ。
担いだ……?
「ちょっ」
「任せろ! わかっている! こういう事もあろうかと、用意は完璧だ!」
「嘘でしょ先輩いつの間に着替えたんですか! そういう力ありましたっけ?!」
俺の腰をがっしりと担ぐ丸太のような太い腕は、いつの間にかいつもの登山服にかわっている。かつてここまで攻撃的な緑色はあっただろうか。いや、イクトシとかけっこう緑だから割とあるか……?
どうでもいい現実逃避に一周思考が飲まれた隙に俺は見たことのない雪原へと運び込まれていた。
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「ザオウ先輩」
「どうした後輩。今淹れたてを作るから、少し待ってくれよ」
「はい」
優しい眼をしてやがる……。極寒の雪原、その標高数千メートルの山に、心の準備皆無の人間を連れ出した山の悪魔とは思えない、優しい眼をしてやがる……。
いつの間にか着せられていた登山服と、ザオウ先輩渾身のおもてなし登山術(絶対に素敵な思い出だけ持って帰って貰いたいという願いの塊)により、肉体的には問題はない。精神的に大丈夫かどうかは横に置いておく。
「いつかお前とこうやって、珈琲を飲みたかったんだ」
「俺も同じ気持ちです」
まさかそれが今日だとは思わなかったけどな!
俺にはよくわからない器具を使って、嬉しそうに珈琲を作る先輩の丸まった背中を眺める。
その背の向こうは既に墨を垂らしたような黒に染まっていて、浜辺の砂を撒いたが如く星が散らばっている。つまり無断外泊ということだが、文句を言う気はおきなかった。
重ねて言うが、今日だとは思わなかっただけで、俺もザオウ先輩と山の景色の中で珈琲を飲んでみたかったからだ。
「お前が自分から山に興味を持ってくれるなんて嬉しいよ」とマグカップを差し出すザオウ先輩のはにかんだ笑みを見上げる。この先輩ほんと人の話を聞かねえな。
「ありがとうございます」
「ああ」
「かんぱーい」
「うおっ、か、かんぱーい!」
「なんで力むんですか」
「お前が突然やるからだろう!」
自分の息と珈琲の湯気が白く視界を染める。
横に視線を移せば、先輩は星を見上げていた。
「……綺麗ですね」
「そうだろう。お前に見せたかったもののひとつだ」
「という事は他にも?」
「知りたいか?」
「……後の楽しみに取っておきます」
「警戒するなよ」
警戒されるような事をしている自覚だけはあるらしい。ザオウ先輩の癖に生意気なので、全体重をかけて座椅子代わりの刑に処した。先輩の押し殺した笑い声のせいで身体が揺れる。
今度はちゃんと準備をして来たいな。 言葉に出そうとしたけど、どうせ「この異界化がいつとけるかわからない。絶対という約束はできないだろう」とかド真面目に返して来そうなので黙っておく。
「本当に綺麗ですね」
「そうだな」
「俺じゃなくて空見てくださいよ」
「お前こそ」
「山まで来ていちゃつくの、山の声的にどうです?」
「……聞くな」
途端に頭を抱えているあたり、ヤジが凄いんだろう。ははっ超面白い。
うなだれた頭をなで繰り回して、つむじにキスをする。途端に赤く染まる耳が可愛い。
俺だって久しぶりに会えた恋人と、もう少し長く一緒にいたい。
「夜はこれからですね」の言葉に、先輩は頷くことで応えた。
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