紙切れ一枚無限の隔たり


握り締めた紙幣の感触だけに集中して目を閉じる。大切なのに手汗で湿ってるのがわかった。さっさとしまわないと危ないのに、オレの意思を真っ当にするためにはこいつがないと駄目だ。頭がふわふわになって、馬鹿なことを言っちまうかもしれない。意識を集中させたらおしまいだから、腹減ったなぁとかレオナさんが機嫌よく起きる方法ないかなぁとか考える。
「なんだよその顔」と笑いを含んだナマエの声が降ってきて、咄嗟に目を開けた。

「ヴヴ〜〜」
「嫌ならやめるけど」
「いや、じゃ、ないっスけど……」
「そ?」
「ん、ぅ、ヴぅぅぅ〜〜」
「唸るじゃん」
「……本能、ッス」
「凶暴〜〜」

ケラケラ笑うナマエの顔が見える。耳を触る他人の体温でぞわぞわする。毛並みを撫でて指で挟んで、揉むように撫でる。くにくにと折り曲げられたり悪戯に引っ張られたりする度に変な声が出そうになって、それを噛み殺すために唸り声が出た。ゔゔ〜〜。なんでこんなことになってんスか……。




一年の頃、ナマエが言った「耳触っていい?」に、「5分500マドル」とこたえた。たま〜にあるやつ。オレたち獣人の耳って、まあ動物と一緒だから見るやつによっては魅力的に見えるらしい。ちょっとした人種差別ってやつだけど、目の前のナマエは何も考えてないだけで悪気はないし、友達だし、オレも別に不愉快になった訳じゃないから貰えるもん貰えたらそれでいいかなって。
おら500マドル出しなと手を向けると、渋い顔をしたナマエから1000マドルを手渡された。

「お前、自分の身体のことだぞ。安売りすんなよ、変なやつに買われたらどーすんだ」
「シシシ、毎度あり! ナマエは変なやつなんスか〜?」
「俺はいいんだよ、ラギーのことそういう風にみてないから」

10分間も他人の耳を触りたいんだなんて充分変なやつだけど、マドルを渡されたら客だ。正面から頭を下げたら「違う、後ろ向いて寝て」と言われて抱きかかえられた。ほんとにオレのこと動物だと思ってません? 悪気だけはないから許してるけど、オレ以外のやつにやったらぶん殴られるッスからね。

「なぁんで男のまたぐらを枕にしなきゃなんないんっスか、姿勢最悪すぎるでしょこれ」
「消費者がやりやすいように提供しろ。あったかいんだなあ」
「血ぃ巡ってますからね」
「意外と分厚い」
「そっスか? まあ人間のと比べたらね」
「動かせる?」
「そりゃあね」

人間は動かせなくて不便そうッスねえと軽口を叩きながら、耳を伏せたり立てたりする。1000マドル分のサービスはしますよ。上から覗き込んでくるナマエの顔がよく見えた。この角度では見た事がなかったから興味深い。
「ヒゲ剃り残してるっスよ」
「え、まじ?」
「不器用〜〜」
「ラギーは生えないから良いよなあ」
「体質なんでしょーね」
手を伸ばしてまばらに残されたヒゲを触ると、ちくちくしている。「俺も金とるぞ」「一銭も払わねえッス」「強い意志を感じる」見たことの無い角度のナマエは面白くて、野郎のまたぐらを枕にさせられてる最悪さもちょっとだけ薄れた。変なやつ、変な趣味。それだけだったのに。


進級して二年になった今もたまにこうやって耳を触られる。慣れて遠慮がなくなって、最初の頃は優しく触ってくれていたのに今は痛くないぎりぎりのところを見極められるようになっていた。そんなもん慣れんな。

「ゔゔゔゔ」
「なんですぐ唸るんだよ。怒ってんのか」
「そういう年頃だからッスよ」
「獣人特性?」
「そーそー獣人特性」

ゔゔ、ゔゔゔゔ。うーー。ぐるるるる。
ケラケラ笑うナマエの顎、不器用なヒゲの剃り残し。触りたいけど、握り締めた1000マドルから手をはなしたらおしまいだ。ナマエは興味本位でオレに触れてるだけだし、オレはマドルを貰ったから許してるだけ。ああ、こう言うとほんとに最悪だ。最初にナマエが言った「安売りするな」は正しかった。安く売ってしまったから、こうなってしまった。

触りたい、届くのに。マドルが紙としての意味しかなくなって、価値が上塗りされていく。5分1000マドルでいいよ。オレ今持ってるッスもん。

「なんだよぉ、そんなに見んなよ」
「ゔーー」
「おお怖」

オレが牙を剥き出しにしようと、威嚇しようと、ナマエはケラケラ笑っている。オレがナマエを傷付けないと信頼しているからだ。だから何も出来ない。

だってナマエ、オレのこと【そういう風に】見てないから唸るしかない。ゔゔゔゔ。


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