モストロ・ラウンジの平和な一日


ナマエ・ミョウジはサバナクロー所属二年生の獣人である。
体格の良い者が多いサバナクローでは小柄に見える身長と、少し垂れ目がちな大きな目というと、同寮のラギー・ブッチと特徴が重なるが、ナマエは彼ほど溌剌とは動けない人間だ。大人しくはないがマイペースで呑気。綺麗好きで洗い物が趣味な為、ラギーのバイトを手伝ったりモストロ・ラウンジで裏方の仕事をしていたりする。極平凡で、毒にも薬にもならない生徒の1人に見えた。




その日のモストロ・ラウンジは新商品の発表後であった為か、いつもより込み合っていた。本来ならホール担当を任されていたフロイドが「今日はご飯作りたい気分」とキッチンに入ったのも理由の一つ。慣れない業務にあたふたしている一年が多かったのも理由の一つ。普段は裏方で泡まみれになりながら皿を洗っているナマエが「じゃあ俺、向こう手伝いにいくよ」と優しさを見せてホールに出た。普段やらないだけで、やろうと思えばそれなりにできるのだ。『それなり』なので、丁寧に動く分スピードは遅い。基本的に性格が終わってる者が多いNRCでは、絡まれる隙を作った方が悪いという暗黙の了解があるので、きっとナマエが悪かった。


パシャン

濡れた音がして、ナマエは「つめた」と言葉に出す。頭から水が落ちている。かけられたのだ。

瞬間、付近の席に座っていたサバナクロー生が「会計!! 釣りはいらねえ!!」と机にマドルを叩きつけラウンジから飛び出して行った。その勢いに、ナマエに水をかけた生徒が一人で狼狽えている。ひとつひとつ丁寧に下膳していたのが癪に触ったのか、なんら意味の無い嫌がらせなのか、ナマエに水をかけた生徒はナマエという男がどういうものなのか理解していなかったのだろう。
ナマエも目の前の男がなんなのかわかっていない。少なくとも、サバナクローとオクタヴィネルの者ではないんだろうなと思いながら、トレーに積んでいた食器を全てそいつの頭に向けてぶちまけた。いつでも熱々を提供できる魔法のプレートが新たな肉を焼く匂いを出して「今日の賄い、肉がいいな」と考える。叫ぶ腹に馬乗りになり、両手に触れた食器を持って殴れるところを殴り続けた。

「アズール〜。ナマエがまたやった〜〜」
「皿の値段の3分の1、刑期を伸ばしておいてください」
「バイト期間を刑期って言うのウケんね。3分の2は?」
「挑発した方ですよ。即金で払えないなら出せるもの全てで返済していただきます」
「はーい。ジェイドぉ、そろそろ止める?」
「怒られたくないので見てましょう」

離れた席からは「やれやれー!」「まだこういう奴いたんだな」というサバナクロー生の野次が飛ぶ。近づかない限り巻き込まれない。その距離の見極めが出来るくらい『よくある事』だった。

ナマエ・ミョウジは獣人である。可愛らしい顔をした、手先が器用で、獰猛で賢く執念深い。アライグマの獣人だった。


ガッガッガッ
ガッガッガッ

歓声が舞う中、殴打音だけが響く。恐ろしいのは、ナマエの表情がぴくりとも変わっていないことだ。趣味の洗い物をしている時や、友人と話してる時はにこやかに笑うこともある男が、この暴力はつまらなそうに拳を振るい続けるだけ。舐められたから殴る。そういうシステムと化しているのだ。

殴られている方が動かなくなって来たなというタイミングで、アズールはしぶしぶ立ち上がった。それに合わせて従業員も各々の仕事に戻る。ジェイドが飛び散った食器の破片を魔法で集め、フロイドがそれらの値段をなんとなくで計算している中で、アズールの鋭い声が響いた。

「ナマエ! 皿洗いが残ってますよ!」

ガッガッガッ

「あ、ごめん。ここも片付ける。海でいい?」
「捨てようとしない! 命あるかぎりモストロ・ラウンジの大切な財源……お客様です。ところでこの僕調合の素敵な治療薬、いまならお得意様価格で8万マドルですがいかがですか?」
「おいアズールが呼びかけてんだから返事しろ」

ガッ
あ、今頬骨砕いたな? という音を立ててトドメの一撃がくわえられた。

怒り心頭の際はなんの言葉も届かないが、多少落ち着いてきた時にアズールが話しかけるとこのように落ち着いて対話ができる。そう、オクタヴィネルが掲げる海の魔女の大いなる慈悲には、この野蛮なケダモノも大人しくなるという訳だ。

「またやっちゃった」
「ナマエ、ちっせえからすぐ絡まれんね。ハリセンボンみてーに身体中に針仕込んでたらいいんじゃねえ?」
「動きにくそう」

いつもの持ち場である流しに来ると、フロイドが親しげに笑いながら語りかけてくる。趣味のついででお金を稼げるなら……とはじめたモストロ・ラウンジのバイトは、武器として割った皿の枚数だけ借金が増えて今ではマイナスになっている。タダ働きをしに来ているだけになっているが、そもそもが「でかい皿やでかい鍋、めちゃくちゃ洗いたい」という偏った趣味の発散のために来ているので、バイト代はどうでもいいらしい。
その心理がよく分からないので、フロイドは「ナマエは俺が面倒みてやんないとダメ」と思い、シフトを組む時はなんとなく自分と同じ日に合わせている。そして仕事終わりに自分の財布から250マドルをそっと手渡して、「これでパンでも買いな」と慈悲の心を分け与えているのだ。ナマエは何も考えてないので「やったあ」としか言わないし、他者が見ると「パン買ってこいよ」とパシリに使っているようにしか見えない為、また絡まれる理由が出来る。負の連鎖が続いているが、フロイドは気付かないしナマエは気にしない。モストロ・ラウンジの平和は大いなる慈悲の心と純粋な『暴』の力で成り立っていた。

今日も凶暴なアライグマは皿を洗うし、今日も凶暴なウツボは気まぐれにやりたいことだけをやる。
代わり映えのない、いつもの平和なモストロ・ラウンジの一日だった。


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